老子のタオで考える、宇宙開発ラプソディ

2018/9/20

なぜ宇宙に夢中になるのか?

アメリカと旧ソ連の二大国が宇宙開発でしのぎを削っていたのは、もう遠い昔の話である。宇宙の歴史でいうと、ついこの前なのだが……。
しかし今や世界中の多くの国が宇宙開発に参入し、民間企業も独自に宇宙に触手を伸ばしつつある。まさに全地球を舞台に、宇宙開発ラプソディが奏で始められた感が否めない。
なぜみんなそんなに宇宙に夢中になるのか? 宇宙開発の動機はいったい何なんだろうか? 
大きく分けると三つあるように思われる。一つ目はさらなる領土・資源・市場の開拓、二つ目は地球のバックアップの確保、三つめは純粋なロマン。
一つ目はわかりやすいだろう。国家というのは、歴史上一貫して領土拡大を目的の一つにしてきた。なぜなら、領土は国家を規定する主要な要素だからだ。そのために多くの犠牲を出しつつも戦争を繰り返してきたのだ。
今なお、領土をめぐる紛争は世界中でくすぶっている。その背景には新たな資源の開発がある。油田があるとなれば、それこそ取り合いになるのは必至だ。
市場については、民間企業の欲望だといっていいだろう。宇宙は観光をはじめ、新たなビジネスチャンスの宝庫なのだ。
(写真:RomoloTavani/iStock)
二つ目の地球のバックアップとは、万が一地球が住めないような状況になったとき、他の惑星に避難したり、移住したりするということだ。
この場合、国家が主体になった場合はもちろんのこと、企業が主導権を握る場合でも、動機としてはより純粋であるように思われる。いわばみんなのことを考えて、公共心から宇宙を開発しようというのだから。
三つ目はもっと純粋だ。とにかく宇宙にロマンを感じ、より遠くへ行きたい、未知の世界を見てみたいというだけなのだから。
人間は、太古の昔から宇宙にロマンを抱いてきた。今やその宇宙に手が届く時代なのだから、当然熱が入る。私財を投じてでも宇宙に行きたいと切望する人が出てくるのも理解できる。

宇宙開発の動機は欲望、公共心、ロマン

まとめると、これらの動機は、それぞれ欲望、公共心、ロマンといった言葉で表現できるのではないだろうか。
いずれもニュアンスは異なるが、あえて共通項を探り当てるとすると、それは「外側に広げる思考」であるように思われる。欲望であれ、公共心であれ、ロマンであれ、いずれにしても宇宙に対して思いを広げる発想がそこには横たわっている。
これに対して、地球に目を向けるのはどいう思考と表現できるだろうか? 
中に狭める思考? これだとネガティブで内向きな感じがする。地球のことを考えるのは、もっと積極的で、深遠な営みのはずだ。
現に、このかけがえのない地球のことを考えれば考えるほど、より深い思考が求められる。いわば「内側に深める思考」といっていいのではないだろうか。
ここで想起するのは、中国の思想家、老子の思想だ。

老子の説いた知足──地球にも目を向けよ

老子は知足を説いた。「足るを知れ」というのだ。人は持っているものに満足することなく、持っていないものばかりに目を向けて不満をいっていると。私たちが外側に目を向けるのは、内側にあるものに目を向けていないからなのだ。
人間が宇宙にばかり目をやり、外側に広げようとするのは、内側にある地球のかけがえなさに目が行っていないからではないだろうか。
たとえ隕石(いんせき)が衝突する可能性があるにしても、逃げるのではなく、全力で地球を守る方向に英知を使うことはできないものだろうか。
たしかに、老子の思想の根幹は宇宙にある。しかし、これは決して宇宙に目を向けよという話ではない。彼は宇宙の原理としての道(タオ)について論じたのだ。
地球を含めすべてはこの宇宙の原理の中にあるのだから、無為自然、つまり何もしないほうがいいというわけだ。
そのほうがうまくいくと。私たちは人為によって物事を変えることができると信じている。だからあがくのだ。そしてついには、宇宙をも変えようとしている。あるいは宇宙の原理さえも。はたしてそれがいいことなのかどうか。
老子にいわせると、宇宙は開発する場所ではなく「一体となる場所」なのではないだろうか。
私も老子の思想が好きだ。純粋なロマンにはシンパシーを感じつつも、なぜかそこに乗り出そうとする人間の営為に一抹の不安を覚えてしまうのはそのためだろう。
きれいな星に行って砂だらけの現実を見るよりは、輝く姿を地上から眺めているほうがよっぽどロマンチックな気がしてならないのだが……。
*本連載は毎週木曜日に掲載予定です。
(執筆:小川仁志 編集:奈良岡崇子 バナー写真:Gearstd/iStock)