【最終回】死を避ける時代から、人生をデザインする時代へ

2018/9/27

万人にとって平等に訪れる「死」

死はある意味で公共的なテーマだといっていいだろう。この世に生を受けた人間が、唯一公平に受け入れないといけないもの。それが死だ。
どんなに身分が高くても、どんなにお金持ちでも、いずれは死んでしまう。だから万人にとって共通のテーマになり得るのだ。
そして万人が平等に死を迎える以上、それをどう社会の中に位置づけるかをめぐって、公共哲学の議論が求められる。たとえば、安楽死を認めるべきかとか、孤独死を解消しないといけないとか、葬儀は営んだほうがいいとかいうふうに。
それ以上に、死そのものが社会にとって損失なのだから、そもそも死をなくそうという発想がなされてきた。歴史上ずっと。
たとえば、古(いにしえ)より多くの権力者たちは不老不死の薬を求めてきたし、今もまた現代医学が再生医療や細胞が若返る研究を進めている。
哲学の世界でも、人間が究極的に求めているのは不死だということが割と早い段階から説かれていた。プラトンの『饗宴』に描かれた不死への憧れがそうだ。
完璧なもののメタファーとしての不死。人間はそれに憧れて、永遠に求め続ける。なぜならそれは決して手に入れることができないものだから。

不死への憧れとクライオニクス

そんななか、テクノロジーは死の概念についても新たな問題を提起している。まさに不死を実現すべく、躍起になっているのだ。
クライオニクスはその一つだ。死後、遺体を冷凍保存し、科学技術が進んだ未来において蘇生させるというプロジェクトである。
すでに冷凍保存が始まっているわけだが、もし本当に未来においてこれらの命が蘇生したとしたら、死の概念が覆ってしまうだろう。不死が実現したことになるのだから。
あるいはこんな発想の転換もある。Aさんが死んでしまっても、Aさんの記憶をコピーしたAIがいたら、まだAさんは生きていることになるというのだ。SFの世界のようだが、今や現実に起こってもおかしくないほど、テクノロジーは進展している。
この場合、命とは記憶なのかどうかということが問題になる。従来、命と身体が生きていることとは同義であった。ところが、テクノロジーのおかげで、そこが切断されてしまったのだ。身体がなくても命は継続可能かもしれないのだ。
いや、テクノロジーが切断したのは、命と身体だけではない。人間と死の関係性をも切断してしまったのではないだろうか? 
つまり、人間は死すべきものであるというその関係性を切断し、「人間は死なないかもしれない」という新たな関係性をもたらしたともいえるのである。

人生をデザインし、死期が選べる時代へ

「死なないかもしれない」ということは、不死はもはや究極の憧れではなくなる。かといって、どんな状態になってでも生き続けたいかどうかは別の話だし、永遠に生きることを誰もが選ぶとは限らない。
したがって、むしろこれからは、どのタイミングで死を選ぶかという死期の選択こそが重要な問題になってくるに違いない。
死とはいたずらに恐れるものではなく、人生をデザインするうえでの重要な要素へと変貌するわけだ。何事もどう終えるかは重要な事柄であるから。今や死は避けるものではなく、選ぶものになろうとしているのだ。
(写真:South_agency/iStock)
かつてドイツの哲学者ハイデガーは、人間とは死へと向かう存在だと説いた。不可避の死を意識してはじめて、本来的な生をまっとうすることができるのだと。
ハイデガーのこの思想は、死に積極的な意義を認めたものであるとして、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばしている。
しかし確実にいえるのは、テクノロジーによって死期や死に方さえも選べるようになった人間にとっては、死はさらなる積極的意義を持つものになったということだ。その意味では、ハイデガーの思想はより強化されたことになる。
それは単に懸命に生きるということから、人生を悔いのないものにするためにしっかりとデザインするという課題を背負ったことを意味している。

30歳がターニングポイントに

突然だがこの連載は今日で最終回を迎える。今回のテーマ「死」を意識しつつ、最後に私自身の人生デザインについてお話ししておきたい。おそらくもうこのような機会はないだろうから。
ご存じの方もいるかもしれないが、私は30歳になるまでかなり漫然と人生を過ごしてきた。デザインもなにもない。ただ時間の中をさまよっていたような感じだ。若いころは皆そうなのかもしれない。あたかも時間が無限にあるかのように勘違いしてしまう。
大学を卒業して総合商社に入った私は、台湾で政変に出くわしたことをきっかけに、会社を辞める。そして社会を変えると大言壮語したものの、実力が伴わず、結果フリーターになってしまった。
20代後半を無為に過ごしたツケが回り、30を前に大病を患った。そこで初めて死を意識した。
それからの私は、まさにハイデガーのいうように、本来的な生を送ってきたように思う。市役所で働きながら大学院で哲学を修め、哲学者になってからはただがむしゃらに、時間貧乏のように働いてきた。

人生の折り返し地点。ペース配分が大切だ

ところがつい最近、50歳を目前にして、ふと立ち止まってしまったのだ。
奇しくも今後死は選択の問題になるかもしれない時代が訪れようとしていた。ならば、死に追い立てられるような人生ではなく、むしろ死を見据え、もっと計画的に人生をデザインしようと思い立ったのである。
もちろん現時点では具体的な死期がいつになるかはわからない。ただ、人生100年時代だとすると、仮に100年生きたと想定して、人生の資源を適正に配分すべきだと思うのだ。そうでないともたない。何もかもが。とりわけ精神がもたないような気がする。
いつ死んでもいいようにがむしゃらに走るのではなく、100年生きることを前提に人生というマラソンのペース配分を考える。偶然にも最近ジョギングを始めた。これまでの私の人生にはなかったことだ。そんな時間さえもったいないと思っていたから。
人生の折り返し地点に来て、ようやく私は生きるということのペースをつかんだような気がする……。
この話が決して私個人の述懐ではなく、人生100年時代を迎える私たち人類皆にとってなんらかの示唆となれば幸いです。
短い間でしたが、毎週読んでいただいてありがとうございました。またどこかでお目にかかりましょう。
(執筆:小川仁志 編集:奈良岡崇子 バナー写真:Yuri_Arcurs/iStock)