忘れられるチベットの受難。日本在住の亡命者が伝えたいこと

2018/6/10
2008年3月、中国チベット自治区のラサで政府の民族政策に抗議するデモが暴動へと発展し、流血の悲劇が起きた。また、2008年といえば北京オリンピックの開催年で、チベット問題を含めた人権問題が改善されると国際的な期待が高まった年だ。
2008年3月10日を皮切りに、ラサでは厳重な警備の中で僧侶たちを先頭に比較的抑制された示威行動が行われていた。しかしその数日後、デモに加わっていた群衆が暴徒化。ラサ市内のチベット人が営むものを含め多くの店舗が破壊・放火され、いたるところで暴力的な衝突が見られた。
その後騒乱はチベット自治区周辺のカム・アムド地方(四川省、甘粛省、青海省)にも拡大した。武装警察が大規模に動員され徹底的な鎮圧が行われた結果、各地の騒乱はいずれも短期間で沈静化した。
一連の騒乱および鎮圧の過程でチベット人、漢人の間に多くの死傷者が出た。当時から厳重な報道統制が取られていたこともあり、どのような経緯で暴力的な衝突が生じたのかなど、事件の経緯については不明な点が多い。
2008年3月、チベット自治区のラサで起きた抗議デモは暴動へと発展した(写真:ロイター/アフロ)
あれから10年。チベット問題が前進するという世界の期待は打ち砕かれ、当時の日本でも一定の盛りあがりを見せたチベット問題への関心は、すっかり冷めてしまっている。
その理由の一つに、事件の「政治性」が前面にでるあまり、当事者であるチベットの人々の素顔やその思いについて、私たちのイメージや想像力が貧弱なままだったことが挙げられるのではないか。
ニュースに上がる頻度が減ったものの、チベットに対する中国の支配と弾圧は続く。デモや抗議が潰され、人々の宗教活動にさえ制限が加えられるチベットでいま、何が起きているのか。そして、日本においてこの問題にリアリティを持たせるには、何が必要か。
当時、在日チベット人コミュニティーの世話役として「フリーチベット」を訴えたデモの先頭に立っていた小原カルデンさんに、神戸大学大学院の梶谷懐教授が話を聞いた。
小原カルデン(OBARA, Kalden):1974年、インド生まれ。ムスーリのチベット人コミュニティで育つ。1998年来日。在日チベット人コミュニティーの代表を務めていた2008年、北京五輪の開催に合わせてチベットの人権問題を訴えるデモや集会に積極的に参加、問題の解決を求めて発言を行う。現在、日本人の妻と2人の子どもとの4人暮らし。(提供写真:梶谷懐)

2008年の「フリーチベット・デモ」

梶谷 2008年夏に北京オリンピックがあり、その聖火リレーのときにカルデンさんをはじめ、多くのチベット人やサポーターが「フリーチベット」を唱えてデモに参加しました。それから10年が経ちますが、多くの人の記憶から薄れていると思います。この年、なぜ多くの人たちがデモに参加したのでしょうか。
カルデン オリンピックは世界からいろいろな人たちが集まって平和になるためのイベントだと思います。(着ているTシャツを指しながら)“One World, One Dream”ですね。
そういうイベントを中国が開催するのは私たちも歓迎します。ただ、北京で平和の祭典を開催するのであれば、きちんと人権問題にも取り組んでほしい、チベットの人々に対してもちゃんとリスペクトを持ってほしい、というのが僕たちの思いでした。
また、同年の3月10日から行われた、お坊さんたちによるデモへの弾圧に抗議する意味もありました。
梶谷 3月10日というのは、チベットの人たちにとってどんな意味を持つ日なのでしょうか。
カルデン チベット人にとって3月10日は、悲しい歴史的な記憶を思い出させる日です。
多くのチベット人が中国の支配に対して立ち上がった蜂起の日が1959年3月10日なのです(注:1959年3月10日にチベットの中心都市ラサで、中国共産党の支配に不満を持つ民衆がダライ・ラマの住むポタラ宮周辺に集結し、武力蜂起を行った事態を指す)。
毎年3月10日前後に「フリーチベット」を訴える抗議デモが各地で行われる(写真:AP/アフロ)
その際、多くの人たちがつかまり、殺されたりひどい仕打ちを受けたりしました。
そういう人たちがインドに亡命してきて、いかに非人間的な扱いを受けたかを訴え、僕たちもそういった人たちの話を直接聞きました。その悲劇を忘れないために、毎年3月10日には世界中のチベット人のコミュニティでデモが行われます。
2008年の3月10日にも、ラサでお坊さんたちが平和的なデモ行進を行いました。しかしその後政府の弾圧に遭い、多くのチベット人が牢屋に入れられたり殺されたりしたのです。
北京オリンピックはその年の8月で、聖火リレーが日本でも4月ぐらいに行われました。何人かの在日チベット人で話し合って、それに合わせて日本でデモしようということになり、日本人のサポーターも協力してもらってバスをチャーターして長野県の善光寺(注:善光寺はチベットでの仏教徒や民衆への弾圧に抗議し、寺域での聖火リレーの行事への関与を禁じる、という声明を出している)まで行って抗議デモを行いました。
2008年、長野市善光寺近くで「フリーチベット」を訴えるデモが行われた(写真:ロイター/アフロ)
梶谷 デモで日本の人々に訴える中で、どういったことを感じましたか。
カルデン その時は、非常に大きな反応があってうれしかったです。今まで来たことのないサポーターもたくさん来てくれました。チベットのことに何かしてあげようということが伝わりましたし、いろんな人と出会うことができました。
その時からすると、日本社会の関心がだいぶ冷めてしまったという感じがあります。当時デモや僕が代々木公園などでスピーチをした時には、チベット人100人に対し、日本人サポーターが5000人ぐらい来てくれました。今は3月10日にデモを行っても参加する人は100人前後です。在日チベット人の代表をやめた後も月1回ぐらいチベット料理の教室などを続けていたのですが、それも参加者が少なく、やめてしまいました。
梶谷 日本ではどちらかというと中国共産党を敵視している右翼の人たちが、「敵の敵は味方」というロジックでチベット問題に関心を持つ状況があるのではないでしょうか。
カルデン 「右翼」と呼ばれる人たちもなにか目的を持ち、政治的な主張を非暴力的な手段で行う以上、それは立派な、尊重されるべき行いだと思います。いつまでも中国や韓国に日本が昔やった行為に対して悪いと言われたくない、という彼(女)らの気持ちも理解できます。
中国(人)から日本に対して過去の戦争のことを謝れという言葉が出てくると、僕も「じゃああなたたちはチベット人に対して何をしたんですか」、と言いたくなります。
梶谷 私は小学校の時から平和教育を受けていて過去の戦争の際に日本が行った行為は間違っていた、という気持ちが強いので、右翼の人の主張にはやはり違和感があります。むしろその中国政府がチベットに対してやってきたことと日本がかつて中国や朝鮮半島にしてきたことは、武力をもって弱いものを苦しめるという点で共通するのではないでしょうか。
カルデン そうですね。ただそれを言うときには、右翼の人たちの存在も認めた上でそういう考え方を議論しなければいけない。いろんな考えの人たちの考えをまず認めないといけないのではないでしょうか。

亡命チベット人コミュニティ

梶谷 カルデンさんは北インド生まれですが、ご両親はチベット出身です。どのような経緯でインドに移り住み、またそこでの生活はどのようなものだったのでしょうか。
カルデン 生まれは北インドのデラドゥンですが、生まれてすぐにムスーリというチベット人コミュニティに移ってきました。
両親が生まれたのはチベットカム地方のナンチェン(中国青海省玉樹)です。父は15歳の時に中国(国民党)の軍隊に、その後はチベット人の軍隊に入り、チベット全土を制圧しようと進攻してきた中国共産党と戦いました。
その戦いに敗れてインドに亡命したのです。
ムスーリではチベット亡命政府が建てた学校に通っていました。そういうチベット人のための学校が小中高とありますが、学校の運営は、海外の支援者の寄付によって賄われていて、学費はとても安い。
当時はチベットの歴史についてはチベット語の教科書で勉強しましたが、チベット以外の地域の歴史、そして算数、理科の教科書はほとんど英語でした。今はほぼ全ての教材がチベット語で作られています。
(RalfJodl/iStock)
家はすごく貧乏で、お正月に新しいズボンを買ってもらったことがとてもうれしかった。僕と兄とは父が商売や肉体労働で苦労するのを見て育ったので、最初は僧侶になろうと、小学校を出たあと南インドの寺院で修行しました。
僧侶になるためには、お経を覚えることをはじめ、とにかく勉強しなければなりませんが、僕は勉強が嫌いで、同じ年の子どもたちがみんな遊んでいるのをみて我慢できなくなり、結局ムスーリに戻ってきました。
ムスーリで暮らしているうち、妻(日本人)と出会い、1998年に来日しました。それからいろいろな仕事をしましたが、最初は言葉の問題もありうまくいきませんでした。最終的に好きだった料理を仕事にしようと、レストランで働き始めました。今では、社員食堂の調理場を任され、和食、中華、洋食、何でも作ります。
梶谷 現在、日本にはカルデンさんのようなチベット人は何人くらい住んでいますか。
カルデン チベット本土から来た人たちも含め、全国で300人ぐらいです。在日チベット人の活動の中心になっているのはダライ・ラマ法王事務所です。
そこからつながる形で、政治的なものから文化的な趣味のサークルまで、様々な活動が行われています。僕も在日チベット人コミュニティー(TCJ)の代表を何年かにわたり務めましたが、法王事務所からの連絡事項を電話で伝えたり、イベントがあるときはサポーターに連絡して人を集めたり、どちらかというと「連絡係」という感じでした。
2008年に日本でもチベット問題に関心が高まった時にはNHK BS のチベット料理を紹介する番組に出演したことがあります。料理を通じて、チベットに関心を持ってもらいたかったからです。

焼身自殺する僧侶たち

梶谷 2008年以降、日本におけるチベット問題への関心は下火になっているとのことですが、チベットの置かれた現状はますます厳しくなっています。
カルデン 焼身自殺の問題が深刻化しています。2009年から現在まで160人近い方々が亡くなっています。
チベットの人たちにとって、本来自殺は一番良くない行為です。両親が苦労して自分を生んで育ててくれた、その体を大事にしなければならない、というのが一般的な考え方だからです。
それにもかかわらず自殺する人々が相次いでいるのは非常につらいことです。僕たちも、そういう状況に対して何かできることがあれば少しでもやりたいという気持ちがあります。
近年、中国政府のチベット政策に対し抗議の焼身自殺が相次いでいる(写真:AP/アフロ)
梶谷 焼身自殺というのは本当に最後の手段だと思いますが、それに訴えるというのはデモなど、他の手段による抗議が許されなくなったということでしょうか。
カルデン 中国政府はデモの発生を最も警戒しています。ラサをはじめ、チベット全土で警察や軍隊の数を増やして監視をするようになっています。現在、チベット人が少しでも変なことをしようとすると拘束されるという状況があります。
2008年まではそんなことはありませんでした。焼身自殺は、そういう厳しい状況を少しでも世界の人たちに知ってもらおうと訴えかけるという意味があると思います。
梶谷 私も映画監督の池谷薫さんが撮った『ルンタ』という映画を見て、実際にどういう方が焼身自殺をしたのか、自殺する前にどういうことを考えていたのかを初めて知り、胸が締め付けられました。まだ若い僧侶が多いようです。
カルデン はい。7割は若い人による自殺です。その中の2割くらいは尼さんです。自分の体が燃えていく中、法王様の名前を唱えながら亡くなっていくのです。
こういう状況を僕たちは黙って見ていられません。中国政府もこの事態をきちんと受け止めてほしい。僕たちは自分たちの言葉で教育を受ける権利や、宗教の自由とか言論の自由など、そういう人間として当たり前のことを要求しているだけなのです。
チベットによる高度な自治を訴えるダライ・ラマ(写真:AP/アフロ)
梶谷 2008年以降、チベット本土での教育や宗教活動はどのように変化しているのでしょうか。
カルデン 一番深刻なのは教育です。学校ではチベット語で教えたいのにそれができない、そういう悩みを持っているチベット人の先生も多いと聞きます。子どもたちに自分たちの言葉で勉強させようとしても中国語で勉強させないといけない。そうやってチベット語を話す人たちが減っていくのが一番怖いことです。現状ではいわゆる「チベット語」の授業はありますが、それ以外の算数や歴史といった教科はみんな中国語で教えるようになっている。そうすると自然に中国語が子どもたちにとっての第1言語になってしまう(注:近年、中国の少数民族地域では「双語教育(バイリンガル教育)」が進められている。その際、教授言語を中国語とし、チベット語などの民族言語を英語と同じような「教科」として教える状況が増加している)。
2008年より前にもそういう状況はありましたが、それが一層厳しくなっています。宗教活動についても、そうです。
例えば、ラルンガルゴンパというお寺(僧坊)が密集した場所(四川省ガンゼ・チベット族自治州)があるんですが、2016年にはチベット語のお経を勉強するお寺が次々と壊されて、そこに住んでいた人は立ち退きを強要される、という事態が起きています(注:当局は、ラルンガルゴンパ周辺には僧坊が密集しており、火災などの危険があるため取り壊しを行い、新たな施設を建設する、と説明している)。
梶谷 チベットをとりまく状況はますます厳しさを増していますが、中国政府には何を一番訴えたいですか。
カルデン 今のチベット本土について、ダライ・ラマ法王がおっしゃっているような高度な自治をとにかく実現してほしいと思います。
独立したいという気持ちはありますが、それは今できないということをよくわかっているので、自治区の中で宗教や教育、言論の自由をとにかく保障してほしい。
そしてチベット亡命政府と中国政府のトップが交渉をしてそういうことを決めてほしい。それから法王様が自由にチベットで活動ができるようにしてほしい。それが一番の願いです。
梶谷 多くの日本人は、「ダライ・ラマ」という名前は知っていますが、チベットの人たちにとってどれだけ重要な存在なのかイメージがわかない部分もあると思います。カルデンさんにとって、あるいはチベット人にとってダライ・ラマ14世とはどういう存在でしょうか。
(写真:ロイター/アフロ)
カルデン 法王様の存在は一言でいうと「全て」です。
正確には、一言では言えません。親以上の存在ですし、「神様」と言ってしまうとそれもまた違う。
法王様ご自身も「自分は一人の人間である」とおっしゃっていますが、僕にとっては神様に近い存在です。世界中どの国にいても、どんなにつらい境遇になっても、法王様のおかげでチベット人は世界で一番豊かな生活ができる──そう信じています。
梶谷 そういう思いは本土で生まれたチベット人にも共有されているのでしょうか。
カルデン そう信じています。チベット人はいつも法王様がチベットに戻られることをずっと待っている。
朝起きたら今日も戻られていない、明日には戻ってこられるだろうか。それぐらいの気持ちで毎日生活をしているのだと思います。
梶谷 日本人に伝えたいメッセージはありますか。
カルデン とにかくチベットとはどういう国なのか、チベット人とはどういう民族なのか、どういう食べ物を食べているのかを知っていただきたいです。
その上で、われわれの活動をサポートしてくれるのであればすごくありがたい。でもまず、一人でも多くの人にチベットやチベット人について少しでも知ってほしいと思います。
梶谷懐(KAJITANI, Kai):1970年大阪生まれ。神戸大学大学院経済学研究科教授。専門は現代中国の財政・金融。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、2014年から現職。主な著書に『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、 2011年)、『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院、2011年)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版、2015年)、『日本と中国経済』(ちくま新書、2016年)などがある。(写真提供:梶谷懐)

インタビューを終えて

チベット問題に取り組む小原カルデンさんの名前を検索すると、2008年の北京オリンピックの聖火リレーに合わせて行われたデモや集会に参加し、チベット問題の解決を訴える姿や発言が多数ヒットする。そのため、カルデンさんは「活動家」というイメージで見られがちだ。
だが筆者にとってカルデンさんは、家族思いの優しい生活者であり、ダライ・ラマを尊敬する敬虔な仏教徒である。カルデンさんはあくまでも「活動家」ではなく、本来は政治的なこと、難しいことが苦手な家族思いの生活者。その彼がデモの先頭に立たなければならなかったところにチベット人の「悲しみ」が集約されている。
今回のインタビューで心掛けたのも、一人の人間としての彼の素顔および祖国チベットに抱いている思いをありのままに伝えたい、ということだ。
(執筆・構成:梶谷懐、バナー写真:ロイター/アフロ)
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