リーダーの責任、フォロワーの責任とは

2018/3/23

フォロワーは自立すべき

リーダーに対してフォロワーという関係性があるように、リーダーシップと表裏一体で存在するのが、「フォロワーシップ」です。
フォロワーシップは、誰かがリーダーシップを発揮したとき、別の人がそれに共感し、「参加する」と決めた時点で発動します。たとえ1人でも共感してくれたなら、リーダーとフォロワーが出会い、チームが発生するのです。
ただし、ポイントはフォロワーが「自分でついていくと決めた」ということ。
社会では、「発言や反対をしないのなら、決定したことに従うべき」という暗黙のルールが存在していることがありますが、自分の意思がないままに、ただ従うのは「依存」であって、フォロワーシップを発揮しているとは言えません。
この、依存とフォローの違いに気づかず、「やらされている」「してあげている」「こちらが合わせてあげている」と考えてしまい、ストレスを抱えている人は多いのではないでしょうか。
「私は本当に、この人が言ったことをやりたいと思っているのだろうか? もしやらされていると感じているのなら、自分だったらどうしたいのか?」
そう自問してみるといいのかもしれません。

「リーダーシップとフォロワーシップは表裏一体」

リーダーにはリーダーの責任が生じますし、フォロワーにはフォロワーとしての責任が生じるのです。
たとえば、ある営業部の社員が、「会社のホームページをリニューアルしたい」と発言したとします。その場にいた何人もがそれに同意したので、上司は「じゃあ、君たちでやってみてくれないか?」と依頼しました。
すると提案した社員は、「それは、私たち営業部の仕事ではない。広報の人間がやるべきだ」と断りました。リニューアルに同意していた社員たちからも、「では自分がやります」という申し出はありません。
この場合、営業部の社員はリーダーシップを発揮したように見えて、自身の「Want」ではなく、ただの他者への要望だったことがわかります。ほかのメンバーも、同調しただけでやろうとしてはいないので、フォロワーシップにはなりませんでした。残念ながらチーム結成には至らず、です。つまり、リーダーでもフォロワーでも、自分が決めて納得して動かないかぎり、「チーム」として機能しません。
リーダーシップとフォロワーシップは表裏一体なので、誰もが両方を内包しています。ですから、リーダーが主役でフォロワーが脇役ということでもありません。
六太は、主役になれない自分のことを、「ホームズとワトソン君で言ったらワトソン君の方だよ。バットマンとロビンで言ったらロビンだよ俺は」と表現していました。さらには、「かきピーん中のピーナッツくらいのもんか……」とも。
ですが、かきピーの中にピーナッツがなければ、ただの「おかき」ですよね。ホームズもバットマンも、フォローしてくれるワトソンやロビンがいなかったら、事件を解決したりピンチを切り抜けたりすることはできなかったでしょう。
リーダーシップとフォロワーシップが組み合わさることで、1つのチームが成立するのです。そこに優劣や上下関係はありません。

共感してくれる人を探せ

ちなみに、「Want」を発信しているにもかかわらずフォロワーが現れない場合、その要因の1つとして、伝えるべき人に伝わっていないという可能性があります。居酒屋の店長に、自分のやりたい社内プロジェクトを熱くプレゼンテーションしても、応援はしてくれるでしょうが、フォロワーになる確率は低いでしょう。
「自分の“Want”に共感してくれる人は、どこにいるのかな?」
などと見直してみると、発信するべき場所が見えてくるはずです。
かきピーん中のピーナッツくらいのもんか……
かきピーの中のピーナッツがなければ、 ただのおかき。
あなたがいなければ、始まらないこと、 あなたがいなければ、成り立たないことが必ずあります。
そこに優劣はありません。
*続きは明日掲載します。
(画像:小山宙哉/講談社)