【岡田武史】今治で入れる「遺伝子スイッチ」と地方創生の夢

2018/1/8
元サッカー日本代表監督で、FC今治のオーナーを務める岡田武史氏のインタビュー後編。前編はこちら

「不便な今治」の恵まれた環境

僕が今治に移り住んだのはサッカークラブの運営をするためで、引っ越す前、町自体についてはあまり深く考えていませんでした。
住んでみると、今治大丸がなくなって、他の百貨店もお客さんが少なくなって、町が閑散としていた。だからサッカークラブだけでなく、町ごと元気にならなければというところから始めました。
よく、「今治は不便だ」と言われます。
松山市方面から海側に向かっている道(国道317号)と、西条市方面から山側に来る道(国道196号)の交点の兼ね合いで、今治市から他の市に車で出入りしにくい部分も確かにあります。でも、それなら逆の発想で、遊びに来た観光客に長く滞在してもらえばいい。
今治は風光明媚なところで、まだ観光化されないまま残っている地域があります。山、海、そして島があって、無人島体験やシーカヤックなどアウトドアをするには最高のフィールドです。それに鯛や海産物など、食べ物はすごく美味しいですしね。
岡田武史(おかだ・たけし)
 1956年生まれ。1998年W杯予選中に日本代表のコーチから監督に昇格して、日本を初めてW杯に導いた。2007年に再び日本代表監督に就任し、2010年W杯ではベスト16に進出。2014年11月、FC今治のオーナーに就任した
恵まれた自然に囲まれた今治で、弊社の事業の一つとして行っているのが「アースランド」という野外体験教育です。もともと僕は野外体験が大好きで、今治に来る以前から「遺伝子にスイッチを入れる」という活動をしていました。
どういう意味かと言うと、人間は先祖の強い遺伝子を引き継いでいるけれど、現在のように便利で快適で安全な生活をしていたら、その遺伝子にスイッチが入りません。
食用にする家畜でも、屋根がついた小屋で飼われて、エサがパイプから流れてくるようなシステムで育てられている場合、抗生物質を与えなければいけないくらい弱いこともあります。そういう肉を我々が食べても、遺伝子にスイッチが入りません。
我々が豊かだと思ってつくってきた社会は、街の公園で誰か一人が遊具で遊んでケガしたら、全部の遊具が使えなくなるような社会です。人々はこんなに守られていて、果たしていつ強くなるのでしょうか。
昔は引きこもっていたら食べ物がありませんでしたが、いまは誰かが持ってきてくれる時代です。日本はそうした社会になっているので、“遺伝子にスイッチを入れるチャンスを若者に与えてあげなければ”と考えて、社団法人をつくって活動を始めました。
最初は早稲田の学生を10人連れて、カナダのエドモントンに行きました。現地の大学生と2人1組になり、ロッキー山脈で5日間ハイクや川下りするようなプロジェクトです。現地のインストラクターは一切手を出しません。
大学生が自分たちで全部決めて行動し、遅れたらビバークすることになる(緊急避難的に、野外で一夜をすごすこと)。必ずケンカが起きるし、泣き出す子がいます。本当にカオスです。
それでも何とか乗り越えて帰ってくると、みんなで抱き合ってワンワン泣くんです。そして、人間として変わっていく。
引きこもりの子を無人島に連れていったときも、同じようなことが起こりました。最初はダラダラしているけれど、帰るときには生き生きとした顔になっている。それが、「遺伝子にスイッチが入る」ということです。
そうしたチャンスを今治の子たちにも与えてあげたいと思って、FC今治でアースランド事業を始めました。先日は小学生コースで9泊10日の無人島体験をしてきましたが、応募はいつも満員です。
アースランドも、FC今治でサッカーを通じて行う活動も、我々にとって目標はすべて同じです。弊社の活動を通じて、夢や感動、信頼や共感という目に見えない資本を大切にする社会をつくっていきたいと考えています。

今治が町として動き出している

僕は今治に住んでみて、経済的にすごくポテンシャルのある町だとわかりました。
例えば船主、つまり船舶を所有して日本郵船にリースしている人が今治には300人くらいいて、収入的にも豊かです。今治造船という(資本金300億円の)優良企業もあります。タオル事業で成功した人もいるし、高齢のお金持ちの方が多く住んでいます。
そのなかには大きな一戸建てから街中の便利なマンションに移りたいと思っている方もいて、先日、駅前のマンションが売り出されると、強気の値段設定にもかかわらずかなりの応募があったと聞きました。
今治はサッカークラブを運営するうえで、大きな可能性のある町だと思います。僕は深く考えずに来たけど、すごく当たりだったと感じています。
そんな今治はいま、変わろうと動き出しているところです。
先日、クリエイティブディレクターの佐藤可士和さんと話をしました。可士和さんは2006年から今治タオルのブランディングをしています。
最初は今治でやっても難しいと、東京で活動していたけれど、10年経って僕が来たり、いろんなことが動き出したりして、「これからは今治でやるべきだ」となったそうです。それで戦略変更の記者会見をして、FC今治と今治タオル工業組合でタイアップして始めることになりました。
今治はいま、町として動き出している感じがしています。そういう意味で、めちゃくちゃ面白い町になっていると思います。

地方創生に必要な“夢”

日本各地で人口減少や地方創生がさけばれていますが、地方都市を活気づけるためには、突拍子もなく妄想に近いとしても、夢を語ることが必要です。
ただし夢を語るだけではダメで、リスクを冒してチャレンジすること。その二つが大事だと思います。
実際、途方もない僕らの夢にかけて、一流企業を辞めて、給料が半額や3分の1になっても来てくれる人たちがいます。データ的にはスタートアップの90%以上が5年以内に潰れるわけで、そのリスクを背負って来てくれている。
一方、僕は外資系の企業の役員を務めていますが、離職率が30%です。会社としてトップライン(売上高)がすごく上がっている一方、社内の管理はとても厳しい。個々にストレッチ目標を設定して最大限に頑張ろうとさせるのはわかるけれど、それだけでは社員がもちません。
よくよく振り返ってみると、その会社の役員には、「こういう会社にしたい」「この会社を通じて社会のここを変えたい」と夢を語っている人は誰一人いませんでした。ところが役員が夢を語るようになると、離職率が12%に減ったんです。
やはり、夢はものすごく大事です。
「今治で5000人のスタジアムなんて絶対できない」と言われていましたが、できました。
「今治で5000人のスタジアムを満員にするなんて無理だ」とも言われていましたが、満員になりました。
「今治で1万5000人収容のスタジアムを建設するなんて絶対無理だ」といまは言われていますが、たぶんできると思っています。
そのためにはまず、夢を語らないといけない。そして、チャレンジしなければいけない。そうしなければ、絶対実現できないんです。
1万5000人収容のスタジアムは今年あたりからつくり始めて、2019年には完成させなければと思っています。少なくとも1万人のスタジアムがないと、J2には上がれません。
1万人の簡易なスタジアムなら40億円くらいでつくれるし、実現できる可能性は高いですが、そこから増設するのではなく、一度に複合型の1万5000人のスタジアムをつくった方がいいと僕は思っています。何回にも分けての投資というのはそうそう起こらないと思うので、最初の大きな夢に投資してもらった方がいい、と。
こうした国内での事業に加え、弊社では海外展開も行っています。「岡田メソッド」というビジネスモデルの展開で、これまで中国にコーチを6人派遣して、今後は上海に4人派遣します。合計10人になり、2億円くらい稼ぐ事業です。
弊社にとってかなり大きな事業ですし、上海の事業はこれからどんどん大きくなる可能性があります。今後はある大企業と組んだり、香港の会社と提携したりするので、中国での事業は弊社にとって大きなポイントです。
以上のような事業を行っているのが、「株式会社今治.夢スポーツ」です。弊社の理念や営業方針に共感してくださる方がいれば、ぜひ今回の執行役員の公募について詳細をご覧になってみてください。
(撮影:大隅智洋)