【大西健丞】3・11でも大活躍。「NGO界の巨人」が生まれるまで

2017/2/28
今、世界レベルで飛躍する、新時代の日本人が生まれ始めている。本連載ではビジネス、アート、クリエイティブなど、あらゆる分野で新時代のロールモデルとなりえる「グローバルで響いてる人の頭の中」をフィーチャー。経営ストラテジストの坂之上洋子氏との対談を通じて、各人物の魅力に迫る。

第6回のゲストは、世界各地の紛争や自然災害の現場で支援を行ってきた、国際協力NGOピースウィンズ・ジャパンの代表理事兼統括責任者の大西健丞氏だ。

ポニョに似ている

坂之上 大西さんは崖の上のポニョのモデルだという都市伝説がありますよね?
大西 そうなんですか?(笑) たしかに僕も初めて見たとき、「似てる」と思いましたけど。
坂之上 そもそもそんなことを言われるきっかけは何だったのですか?
大西 もともとは、ジブリに広島の鞆の浦を守りたいって僕が話をしたのがきっかけです。
坂之上 鞆の浦?
大西 はい。今の日本には江戸時代の面影を残してる港町がほとんどなくて。江戸時代の港に必要だった、潮が満ちても引いても船が接岸できる石の階段みたいな「雁木(がんぎ)」とか。灯台の代わりの大きな灯籠とか、そういうものがいまもそのまま残っているところって、鞆の浦しかないんです。
坂之上 大西さんはそういう場所を守るのが大事だと?
坂之上洋子(さかのうえ・ようこ)
経営ストラテジスト/作家
米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出。
大西 そうですね。歴史的なものは、一度壊しちゃうともう再現できないですからね。その上、鞆の浦には、紀州藩の「明光丸」という大きな蒸気船と、坂本龍馬の海援隊の「いろは丸」が夜半に衝突して、紀州藩に賠償してもらおうと龍馬が命がけで談判した古民家も残っているんですよ。
でもその民家のオーナーがもう更地にして、駐車場にするって言いだした。市は道路を造るために、古い港の一部を埋め立てて橋をかけるという、もうそこの歴史的景観を全部ぶち壊す計画を進めていたんです。
坂之上 そこに住んでいる人たちからすると、あたりまえすぎて、価値あるものが見えなくなることってよくありますよね。
大西 日本の文化遺産としてもったいなさすぎるからなんとかしたいと考えて、ジブリに相談に行ったら、ジブリの皆さんが社員旅行で見に来てくださった。そして龍馬の談判の家も、宮崎駿監督が支援してくださって残すことができました。今は人気の観光地になっています。
坂之上 良かったです。
大西 そのジブリの社員旅行の後で、宮崎監督が、鞆の浦を気に入ったから家を借りたいとおっしゃって、崖の上にあった別荘のオーナーに話をつけました。
そして、宮崎さんが滞在されている間、僕はよく食事を運んでいました。
坂之上 あぁ、それで、宮崎さんが、よく大西さんの顔を見てたって話から、みんながポニョが大西さんに似てると言い出したわけですね。
大西 そのとき金魚のキャラクターのスケッチを見せてもらって、「え、海に金魚ですか」っていう話をしたのは覚えてますけどね(笑)。
大西健丞(おおにし・けんすけ)
ピースウィンズ・ジャパン代表理事/シビックフォース代表
1967年大阪府生まれ。上智大学卒業。英ブラッドフォード大学で平和研究学部国際政治・安全保障学修士課程修了。1996年に国際協力NGO「ピースウィンズ・ジャパン」を設立。2006年、ダボス ヤング・グローバル・リーダーに選出される。2008年には、災害即応パートナーズ(現 シビックフォース)を発足。3・11での救助活動で多大なる貢献を果たした。

NGO業界に入った理由

坂之上 こういう話を聞くと、大西さんは、地方の伝統文化を守る人、って感じがしますけど実は、日本で一番大きな災害支援NGOのピースウィンズ・ジャパンとシビックフォースの代表をされています。
3・11の活躍など本当にシビックフォースがなかったら、日本はどうなってたんだろうというほどの機動力でした。
そして、去年の日本経済新聞社のソーシャルイニシアチブ大賞では、捨て犬の殺処分ゼロの活動が大賞受賞の原動力になりました。あまりにも多岐にわたる問題解決に関わっていらっしゃるので、どの話を切り取れば良いのか迷ってしまいますけど。
そもそも大西さんが、どうしてNGO業界に入られたのか。きっかけから伺ってもいいですか?
大西  僕は20歳のときに父親が倒れて3年くらい植物状態になったんです。家計がマヒしてしまったので、大学を途中で辞めようと思ったんです。
坂之上 おつらい経験ですね。
大西 でもボランティアの人たちが来てくれて、2歳児ぐらいの知能が戻ったおやじの面倒をそれはよく見てくれたんです。そのおかげで母親が学校の教師として復職できた。だから僕も大学を辞めずにすんだんです。その原体験がNGO業界に入る大きなきっかけにはなっているかなと思います。
坂之上 苦しい時に寄り添ってくれる人たちがいるのは大きいですよね。
大西 ええ。あとおやじのいた病棟には重症の患者が多かったので、人の死をたくさん見ました。少年が、夜中に「死にたくない」と言って泣いていたりする。
それまで僕は永遠に生きるような気がしていたけれど、「ああ、自分もいつ死ぬかわからんな」と思いました。だったら生きている限り、徹底的に大きな問題に挑戦してやろうと思った、そんな感じですかね。
坂之上 徹底的に大きな問題に向き合う?
大西 若かったから、大上段に構えて考えてみたんですよ、人類にとって最大の問題とは何かって考えました。
坂之上 はい。
大西 それはやっぱり戦争だ、ってね。
坂之上 戦争……。確かに、そうですね。でも平和な日本にいて、そう思うのは、なんだか突飛な発想な感じもしますけど。
大西 そうですよね(笑)。でもなぜか僕は戦争の問題を解決できるような人材になりたいと思ったんですよ。
それから、おやじが死んで、保険金が出たんです。それを母が「勉強のためなら全部使っていい」と言ってくれたので、そういうことを専門にしているブラッドフォードというイギリスの大学院に行かせてもらうことになりました。
坂之上 戦争を専門にする学部があるんですか?
大西 「紛争解決」です。ブラッドフォードはハーバードよりも先にその研究を始めたところで、有名な教授もいるんです。
坂之上 あぁ、そういう流れで、大西さんは、タリバンと交渉だとか、紛争地で難民を助けたりとか、普通の人では到底できないようなことができるようになったんですね。
(構成:長山清子、撮影:遠藤素子)
*続きは明日掲載します。