【朝倉祐介×田中良和】グリー起業の理由、任天堂に対する思い

2016/10/25
朝倉祐介氏の連載『論語と算盤と私』が書籍化されたことを受けて、グリー代表・田中良和氏との特別対談をお届けする。
かつては、SNSやゲーム事業において競合の関係にもあった両氏。今回、朝倉氏がメディア上での発言が珍しくなった田中氏に対して、改めて起業の経緯や経営者としての思い、今後の事業における戦略などについて聞いた。
本日から、3日連続全3回でお届けする。

みんなmixiとGREEを使っていた

――はじめに、お二人の関係から伺えればと思います。
田中 面識は当然あって、イベントなどで何度かご一緒することがあります。直接お会いすることは少ないのですが、最近サンフランシスコで食事をしましたよね。
朝倉 そうですね。僕とグリーとの関係で言うと、ネイキッドテクノロジーという会社を始めたのが2006年なのですが、その頃にソーシャルグラフを活用したマーケティングエンジンやコマースの研究をしていたんです。
そこで、「うちで開発しているマーケティングエンジンを試してください」と、グリーに伺っていたことがあります。
田中 えっ、そうなんですか。
朝倉 残念ながら導入には至らなかったんですけれども。
もちろん、当時はみんながそうだったように、個人的にもユーザーとして、ミクシィとGREEを両方使っていました。
田中 その状況を知っている人たちも、もはや少ないんじゃないかな。テレビが白黒だった頃の話をしているような(笑)。
田中良和(たなか・よしかず)
1977年生まれ、東京都出身。日本大学法学部政治経済学科卒業後、ソニー・コミュニケーション・ネットワーク(当時)に入社。2000年からは楽天でオークションサイト、ブログサービスなどの企画、開発運営に携わる。2004年2月、「GREE」のサービスを開始。同年12月、楽天を退社し、グリー株式会社を設立。代表取締役社長に就任した
朝倉 本当、そうかもしれません。
田中 最近、そういうソーシャルネットワークという言葉が初めて現れたような時代の話をどこまでするべきか、悩んでいるんです。学べる部分もあるけれど「昔話すぎて、前近代的すぎるな」と。
朝倉 「iモードの時代は……」みたいな話になっちゃいますよね。
田中 そうそう。ネイティブアプリもなかったころの話ですから。
朝倉 それで言うと、僕は田中さんの生い立ちから現在に至るまで、まとまった形でお話を伺う機会が今までありませんでした。
そこで、田中さんがこの業界に関心を持つきっかけから、ぜひ教えて下さい。

“ネット好きの仲間”を探す日々

田中 僕は、中学生くらいのときから、「20歳までに夢や志がないやつはダメなやつなんじゃないか」という強迫観念に、理由なく駆られていたんです。
でも、やりたいことは全くない(笑)。そんな中学時代に、情報通信の革命が、価値観を変えて、社会のあり方を変えるというアルビン・トフラーの『パワーシフト』を読んで衝撃を受けました。「こんな時代の変化に自分も参加したい」と思ったんです。
高校生の終わりくらいになると、アメリカではインターネットが普及し始め、Yahoo!やAmazon.comが創業したことを『WIRED』で知りました。
そのとき、「あの本に書いてあった時代が本当にきたんだ」と実感して、将来の仕事にしたいと思ったんです。
朝倉 大学生と言うと、それこそ「ビットバレー」の頃ですか。
田中 そうですね。ただ、僕が大学に入学したのが95年で、Windows95が出たくらいだったので、パソコンも個人ではほとんどの人が持っていないような時代です。ネットを使っている人なんか全然いない。
だから、大学では周りの友達と話が噛み合わなかったんです。「これからインターネットが来る」と熱く言っても、「良和はワードとエクセルが好きなんだね」と言われていました(笑)。
朝倉 なるほど(笑)。
朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)
1982年生まれ。騎手を目指して渡豪。その後、競走馬育成牧場の調教助手、東京大学、マッキンゼーを経て、自身が学生時代に起業したネイキッドテクノロジーに復帰し代表に就任。ミクシィに売却を機に入社、2013年より同社社長。業績の回復を機に退任。2014年よりスタンフォード大学客員研究員
田中 そこで、「自分と同じような人に、何とかして会いたい」と思って、インターネットの検索エンジンで「インターネット」と検索して、上からヒットした企業や人に会いに行っていたんです。「インターネットに興味があるんですけど、会ってもらえませんか」みたいな感じで。
朝倉 本当ですか。相手は意味がわからなかったかもしれませんね。
田中 完全にヤバい感じですけれど(笑)。その中に、たとえばジョブウェブもありました。
朝倉 佐藤(孝治)さんですね。
田中 いきなり「興味があるので、今からオフィスに訪問していいですか」と連絡して、遊びに行っていました。
そうやって、大学1~2年くらいのときは「インターネットに興味あるんです」と触れ回って繋がりを作り、未開の荒野を切り開いていました。
ビットバレーもその延長線上です。松山太河さん(East Ventures)とも、そんな中で知り合いました。ビットバレーの集まりに行っても、夜まで飲んでいると家に帰れないので、松山さんの家に泊めてもらっていました。僕が20歳で、松山さんが25歳くらいでしたね。
こんな生活をしていたこともあり、自分のやりたい人生を生きるには、他人から「どうしたの、あなたは?」って不思議に思われることに慣れてしまい耐性がつきました。
ネットやパソコンに関して言うと、中学生時代にパソコンに興味を持ち『マイコンBASICマガジン』を愛読していました。雑誌を集めて、並べながら読むのが好きだったんです。
そんなある日、父親にいきなり激怒されました。「お前にパソコンは買わないからな!」って。
僕はパソコンが好きなので雑誌を読んで楽しんでいただけで、買ってもらおうなんて思ってなかったんですけどね。
まあ、今思うと、当時50万くらいするパソコンが載った雑誌を、子どもが一生懸命に並べて読んでいたら、「買って」と言われていると感じたんでしょうね(笑)。
朝倉 確かに、プレッシャーですよね。彼女の部屋に行ったら『ゼクシィ』が置かれているようなものですから。
田中 しかも、何冊も床に並べてね(笑)。

儲からなくてもやると決めた

朝倉 それほどネットやパソコンに興味を持っていた田中少年ですが、大学を卒業してすぐに起業したわけではありません。むしろ、各所で「起業は二度とやりたくない」とお話されています。
そうであるにも関わらず、田中さんが「なぜ起業することになったのか」はあまり知られていないので、そのあたりを聞かせてください。
田中 「インターネットを仕事にしたい」としか思っていなかったので、僕は大学卒業後に新卒1期生でインターネットプロバイダーのSo-netを運営していたソニーコミュニケーションネットワーク(当時)に入社しました。
ただ、すぐに会社の“モード”が違うことに気付いたんです。これは僕の判断ミスでしかないのですが、ネット企業はどれも同じだと思っていたんです。
でも、Yahoo!もAmazonも、ebayも、僕が憧れていたネット企業は、全部ベンチャーでした。そう、僕は「インターネットベンチャー」で働きたかった。
そのとき、友人が新卒で、まだ10人もいないような楽天に入社していました。彼が入社する時に三木谷(浩史)さんを紹介してもらっていたので、改めて会いに行って、「ベンチャーで働きたいんです。雑巾がけからしますので、お願いします」と言って入社しました。
たぶん、私と彼が、一番社内で若かったんじゃないでしょうか。そこから、4、5年ぐらい働きました。その頃に、GREEを作り始めたんです。
朝倉 なるほど。元々、GREEは、田中さんの趣味というか、ご自分のプロジェクトとしてスタートしたんですよね。
田中 そうです。ただ、全然知られていないと思いますが、実は、僕は大学1年生の18歳の頃から、趣味でいろいろなウェブサービスを作っていたので、GREEが最初に作ったサービスではないんです。
朝倉 たとえば、どんなものを作っていたんですか。
田中 初めて作ったのはブックマーク集みたいなものですね。当時は検索エンジンの性能があまり良くなかったので。
朝倉 ディレクトリ型の検索だった頃でしょうか。
田中 そうそう。
また、楽天では、初めて本格的にプログラミングを覚えながら楽天広場というコミュニティサイトを作りました。
ほぼ1人で開発しながら、大きくサイトとしては成長させたものの、全くもって費用を回収できるようなお金にならない。SNSの原型のようなサービスで、日記を書いて、コメントを付けて、タイムラインがあって、足跡アクセスカウンターサービスとか、コミュニケーション要素が満載だったので高コスト、サーバー代も億単位。
個人でこういうコミュニティサイトの運営は到底できないと感じました。
朝倉 AWSなどもない頃ですからね。
田中 でも、僕は儲からなくても「こういうものが、世の中にあったらいいな」と思うサービスがあったら、作りたいと思う気持ちを止められないタイプなんです。
今では信じられないことですが、ソーシャルメディア・SNSという言葉がない時代には、コミュニティサイトは「一部の人が使うもので、見知らぬ人と使うもの」と、一般的に思われていました。
僕は、それが日本に根付けば、もっと多くの人がインターネットを使って、家族や友人など多くの人とコミュニケーションがとれる世の中になると思っていました。
そこで、SNSであるGREEを作ろうと思いましたが、ビジネスになるとも思っていなかったので、趣味でやろうと始めました。逆に「儲からないから、やらない」という選択肢はありませんでした。
最終的にはクレジットカードでキャッシングしながらサーバー代を払うような生活をしていました。生活をかけた趣味ですね(笑)。
GREEを始めてみて、いろいろわかることがありました。GREEとmixiはほぼ同時に作られていたわけですが、当時、学生のころから知っていたミクシィの笠原(健治)君と、同時期に同様なサービスに取り組む中で、「僕は笠原君が長年やってきたことを、やっていない」と、初めて自覚したんです。
朝倉 それは、具体的にどういうことですか。

mixiとの違いを痛感

田中 僕は、笠原君がいかに苦労して「Find Job!」や「eHammer」などのサービスに取り組んだうえで、mixiを作り上げたのを見ていました。
彼は、学生の頃から会社を作り、チームを作ってビジネスをしてきたわけです。これに対して、趣味でやってきた僕とでは、“できること”が全然違うと気がついたんです。
サラリーマン1人が、生活しながらできることには限度があった。もっといろいろな機能を開発したいと思っていましたが、全くできません。素晴らしいサービスを作るためには、素晴らしい組織・会社がなければ、実現できないことを痛感しました。
当時は、「なぜ楽天でGREEをやらないのか」とよく聞かれました。でも、収益を上げられる確信のないことに、会社の費用を使って、報酬をもらいながら趣味のようにやるのは、僕のビジネスマンとしての価値観ではおかしいと思ったんです。
報酬をもらってやるからには、その何倍もの価値を創出して対価を返すのがプロフェッショナル。好きで楽しいけれど収益を生まないものは、「報酬をもらってやることではなく、自分が費用を払ってやるものだ」と思っていました。
その結果、本当にお金がなくなってきた(笑)。これはなんとかしなければと思い、起業したんです。こうした経緯がなければ、会社を作ることはなかったと思います。
朝倉 今でも、楽天でサービスを作っていたかもしれない。
田中 そうです。僕は所属や立場よりも、「何を成し遂げられるのか」に重きを置いていましたし、楽天での仕事にやりがいを大変感じていました。その中で、10万人くらいに膨れ上がったGREEのユーザーのためには、やむなく会社を辞めるしかないと判断したんです。
朝倉 サービスがなくなってしまったら、翌日から10万人のユーザーはどうなるんだという想いですよね。
田中 ユーザーからは、「このサービス、田中さんが1人でやっていると聞きましたが、死んだら終わっちゃうんですか」みたいなメールがカスタマーサポート宛てに来ましたから。
朝倉 個人で作っていたということは、「カスタマーサポート宛て」というのはつまり、田中さん宛てということですか。
田中 そうです。その頃は、プログラムを書き、アイコンを作り、規約を書きながら、カスタマーサポートを返して……という生活を1~2年続けていました。そのメールを見て確かにその通りだなと思いました。
僕は、いいサービスとは、続いてこそだと思うんです。3ヶ月限定であれば、それはいいサービスとは言えない。
僕がこのサービスを潰すわけにはいかないし、ユーザーに応えなければいけない。サービスとユーザーへの責任感。それが起業の始まりでした。

任天堂に対する思い

朝倉 起業に至る経緯について、詳しくは存じ上げなかったので興味深いです。ここのところ、メディアに出られることも、そんなに多くはないと思いますし。
田中 メディアで何かを発信していくとしても、ネイティブゲームや新規事業がもっと成功しないと、説得力がないと感じています。だから、まずは結果を出すことを考えています。
その中で、最近一番大切にしていることは、「お客さまと製品に集中」することです。特にゲーム業界を見ていてそう感じます。
たとえば、最近はソニーさんのPS4の販売台数が大きく伸びて、すごい勢いがあるとメディアで言われています。数年前は、逆に「PS3に勢いがないので、PS4も難しい」と言うメディアもあったと記憶しています。
任天堂さんもGAMECUBEやWiiUについて、メディアでいろいろ書かれているものもありましたが、最近もポケモンGOやNintendo NXなどもあり、やっぱり「任天堂すごい」というメディアの記事も多くなってきました。
そう考えると、メディアに「どうなんだろう?」と言われていた頃に、次に輝く製品作りをしていたことになるわけです。
僕としても、世の中の評価をみて事業をするのではなく、お客さまと製品に集中して頑張らなければと思っています。
――ちょうど、任天堂のお話が出ましたので、田中さんが任天堂についてどう思われているか、ぜひ伺えればと思います。
グリー社員が「任天堂の倒し方、知らないでしょ? オレらはもう知ってますよ」と話したとされる記事が広がったこともあり、グリーはネット上を中心に、ネガティブに捉えられていることも多いと思います。
田中 前提からお話しさせていただくと、僕は小学校1年生くらいから、ファミコンをはじめとするゲームにのめり込んでいました。ゲームに対して、社会的な批判が浴びるなかで、ずっとゲームをやってきました。
なので、リオ五輪での「安倍マリオ」を見て、僕は本当にいいなと思ったんです。いちゲームユーザーとして、子どもの頃から感じていた、ゲームに対する偏見が、やっと国家レベルで否定されたと感じましたから。
朝倉 これまで、社会悪みたいに考えられることもありましたからね。
田中 日本は優れたゲームを作ることができる国で、これは一朝一夕にはいかない、大きな文化的な財産なんです。
僕は、数年前にインドでゲーム作りができないかなと思って現地でリサーチしたんです。すると、優秀なエンジニアはいたんですが「技術はわかっても、ゲームをあまりやったことがないので作るのに困っている」と口々に言われたんです。
面白いゲームを創造するためには、テクノロジーについて理解しているだけでなく、ゲームを楽しんだ経験のある人がたくさんいないと難しい。それを、インドまで行って気がついたんです。
だから、今僕がゲームビジネスをできているのは、子どもの頃からゲームをやっていた経験があったからなんです。
さきほど、ちょうどゲーム開発の会議があって、「ここでアクションしたら、バシッと音がするだろう」「エフェクトが何でこうなっているんだ」とか、担当者とディスカッションしていたところです(笑)。
朝倉 ゲームには、ゲームの文法があると。
田中 日本のゲーム業界の方々のおかげで、日本にはゲームを通じてクリエイティブな経験を持つ人がたくさん生まれた土壌がある。その上で、初めて僕らもモノづくりができているんです。
任天堂さんをはじめとする日本のゲーム会社が、ゲーム業界を切り拓いたから今がある。それは間違いないことで、非常にリスペクトをしています。
――改めて、「任天堂の倒し方」といった話が社内外に流布していることについてはどう思われますか。
田中 まず、私自身がそういうことを思ったこともないですし、そういうことを話したことも、一切ありません。社内でそんな話を聞いたこともありません。
誰が何時どこで言ったのか定かではない、言われた人も明かされない「そんな話を聞いた」という話です。
根拠が明らかにされない噂や伝聞の記事ですので、私は事実だと思っていません。明確な事実かのように誤認されて広まっていることに、強い憤りを感じます。
朝倉 経営をしている側は、事業に浮き沈みもありますし、先進的なことをやろうとする中で、批判されることや誹謗されることも当然あります。
ただ、取るに足らない話によって、ユーザーはもちろん社員まで心が揺れてしまう事態になると、辛いものがありますね。
田中 はい。でも、もちろん反省しなければいけない点もあります。
GREEというサービスは、短期間に数千万人という多くのお客さまに利用していただけるサービスに成長しました。
企業としても創業4年で上場し、上場時は私も31歳。数千万人に利用いただくようなサービスを運営するとはどういうことなのか、自分たちに求められていること、果たさなければいけない社会的責任とはなんなのか、今振り返ればいろいろ未熟な部分があったと感じています。
多くの人に使っていただき、社会に必要とされる製品を作っていく会社を目指すためには、もっと社会やお客さまに対する配慮や行動ができるような会社を目指して、成長しなければいけない。
だからこそ、これから新しい事業を手掛ける時には、この経験を糧にしたいですね。
(取材・構成:菅原聖司、撮影:大隅智洋)
※続きは明日公開予定です