【水野良樹×糸井重里】音楽の新しい“球場”を作りたい

2016/8/30

球場自体がなくなりそうだ

水野:糸井さんが以前書かれた『ほぼ日刊イトイ新聞の本』に、「自分がいる業界が狭まって、このままでは何もできなくなる。だから、業界を出てみようと思った」という話が出てきます。
業界の売り上げ規模自体が下がっているなかでどう対処するか。
それは、まさに僕ら音楽家も考えるべきことです。いままでは、あるルールの中で野球をして、勝った、負けたと楽しくやっていた。だけど、観客が減ってきて、そもそも球場自体がなくなりそうになってきた。
そういう状況で、僕が考えたのは、球場を出ること。今の球場は出て、新しい球場を作らないといけないと思っています。
水野良樹(みずの・よしき)
「いきものがかり」のリーダー、ギター担当。1982年、静岡県生まれ。5歳より神奈川県で育つ。1999年、高校生のときに現メンバーの山下穂尊(ギター&ハーモニカ)、吉岡聖恵(ボーカル)といきものがかりを結成。明治大学中退、一橋大学卒業。2003年にインディーズ・デビュー。06年にエピックレコードジャパンからシングル「SAKURA」でメジャー・デビューした。

親鳥とヒナの関係

では、どんな球場を作るのかと言われたら、まだ考えられていません。
球場を出ないと、ずっと同じルールで戦わないといけなくなります。とはいえ、いきものがかりは、わりと昔の音楽界のルールに沿っているグループ。いまだにネットではなくCDを売るのがメインだから旧来勢力です。
旧来勢力だからこそ、今の球場は出たほうがいいと思ってしまうのです。糸井さんは、広告業界という球場を出たときの心境はどうだったのですか?
糸井:当時一番自分が面白いこと(バス釣り)を、放課後の課外授業でいいから、やってみようという心境だったと思います。僕が「ほぼ日」を作ったときは、広告業界を「や~めた」と言っていたけれど、広告の仕事もしていました。
釣りをしながらですけど(笑)。
いうなら、親鳥とヒナの関係です。親鳥は広告やゲームの仕事で、ヒナが「ほぼ日」。
水野:ちゃんと稼ぐお父さんがいたと。
糸井:そうです。同時にヒナ(子ども)の役もやっていたのですが、やはりヒナのほうが圧倒的に面白い。だから、どうしようか迷ったけど、お父さん役に徹して、ヒナは儲からなくても潰さないぞと守っていました。
結局従来とあまり変わらないけど、「ほぼ日」をやっている自分は、コピーライターをしている自分に対して、「申し訳ないね」と言っている状態です。
人格が分裂していますが、面白いのはヒナ鳥の成長です。稼ぐ方法を思いつかないのに、ピヨピヨ鳴きながら大きくなる。しばらくこの状態が続いた後、全部の仕事を「ほぼ日」にしてしまおうという時期が来ます。
糸井重里(いとい・しげさと)
「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。1948年、群馬県生まれ。コピーライター、エッセイスト、作詞家、ゲーム制作などマルチに活躍。70年代からコピーライターとして注目され数々の広告賞を受賞。98年に毎日更新のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。著名人やクリエイターなどの連載を始め、ほぼ日手帳や様々なオリジナルグッズを販売。東京糸井重里事務所は、イノベーションを起こした事業を表彰する「ポーター賞」を2012年に受賞した。

どう稼ぐかは思いついてなかった

そうなると、お父さんがいなくなるわけだから、必死さが出てきます。それでも、どうやって「ほぼ日」で稼ぐかは本当に思いついていませんでした。
ただ、サイトがにぎやかになっていくことはよくわかりました。
にぎやかとは、言い換えると顧客がいるということです。それは市場があるという意味で、マーケットを生み出したことになります。マーケットがあれば、大して稼げなくても、小さい所帯くらいならなんとかなります。
こういう移行が楽しかったから広告業界を出られたんです。
水野:具体的に、移行の段階で何をしたのですか?
糸井:アイデアとコピーを、すべてタダにしました。
「ほぼ日」では、僕が考えた文章と僕が考えた企画をすべて無料で提供しています。タダにしたほうが人は喜んでくれたということです。こういうなかで、芝生に芽が出るように、企画したTシャツが売れたりしました。
それが「ほぼ日」のスタートです。
一番大冒険だったのは、僕は自分の作品をチラシ(販促物)と言い切ったことです。これは、やはり大事件です。
水野:作品をタダにする前のタイミングで、もう広告業界にいるのは嫌だ、ムリだと思ったのですか?
糸井:そう思いました。業界の人みんなが汲々(きゅうきゅう)としているさまがよく見えましたから。そんなに汲々とするなら、違うことを考えればいいのに、と思いました。
僕が「ほぼ日」を始めたとき、「糸井さん、業界から逃げたと言われていますよ」「生きていかれるのかとみんな心配していますよ」とか言われました。
水野:なぜ、それでも強気でいられたのですか?
糸井:やはり自分のほうが現状と先のことを本気で考えていたからでしょう。
実際に新しくやることをたくさん考えました。貧乏になるから、寝泊まりできるオフィスに引っ越すとか(笑)。あと「ギャラはいらない」という人としか付き合えないから、食事の用意だけはするとか一生懸命考えました。
そういうことを考える名残がいまもあります。

うそをつく必要がない人

タダでやったことで、何が得られたかと言うと、表現は難しいのですが、「信用」じゃないかと思います。タダだと、過剰に褒めたりする必要がありません。
たとえるなら、お金をもらって結婚相手を探しているのではなく、いい子を見つけたから、好きで紹介しているだけ。だから、「この商品はちょっと欠点があるんだけどね、使い方を工夫すれば大丈夫だから」みたいなことも言えます(笑)。
糸井:そういう、率直なことを何年もやっていると、糸井はうそをつく必要がない人と認知されます。この認知を作るのに時間をかけました。
水野:正直者が勝つということですね。
糸井:まさに、そうですね。僕は「正直は最大の戦略である」という山岸俊男さんの言葉を知って、ものすごく僕の心を勇気づけてくれました。彼は社会科学の学者さんですから、正直者が勝つかどうかの実験を実際にしているんです。
そのことを「ほぼ日」に書いたら、実験に参加した女性からメールがきました。
そうしたら、その彼女は実験で一番勝った正直者とご結婚されたそうです。「本当にいい人と結婚できました。正直は最大の戦略はその通りでした」と。
水野:すごい話ですね。ただ、あまり正直でいると、周囲には悲しむ人もいるんじゃないかと思いますが。
糸井:みんな新しいことをやるときは、そんなふうに不安もあるんです。だれかを傷つける、悲しませるんじゃないか。夢にも出てきます。
水野:だれも傷つけないで生きていくこと自体が至難のワザですからね。
糸井:はい。だから、人が悲しむことを恐れて、自分の道をねじ曲げないほうがいいですよね。この人が傷つくからやめましたといったら、大人として失格だと思います。
人の気持ちや意向に縛られてしまったら、結果的に人を二重に傷つけることになってしまいます。
水野:傷つけると思うこと自体が失礼だとも思います。
糸井:その通りです。傷つけるんじゃないかという気持ちの元は、エリート意識だと思います。
人を傷つけたとき、いろいろなパターンの整理の仕方がありますが、自分の答えを出さないといけません。「ほぼ日」が焼け跡、闇市みたいになって人を傷つけたら、傷つけた人に米俵を持って謝りに行きたいというのが僕の答えでした。
水野:米俵ですか。深いなあ(笑)。
糸井:たとえると、そうなるんです。米俵と野菜のセットで謝りに行きたいですね(笑)。
水野:人生は本当にややこしいものですが、詞を書いていると、人生を単純化することがどうしても必要です。
たとえば「愛しています」だったら、言葉以上の大きさの愛があって、それをすべて愛という言葉に凝縮している。僕も糸井さんと同じように、ややこしさがすてきなことと思っているから、シンプルにすると、矛盾をきたします。

「ホームラン」になりたい

糸井さんのコピー『ほしいものが、ほしいわ。』は、すごくややこしいことを、すごくシンプルにしています。
シンプルな言葉にするときの葛藤とか、快楽かもしれないけど、それはどういう感じですか?
糸井:シンプルにできたらいいなと、いつも思っています。
水野さんが言う「言葉よりも、その背景にあるもののほうが大きい」という話は、そうは思わない人もいるから、これもややこしかったりするんです。
そんなに愛してないのに「愛している」と言いたがる人とか。
水野:ややこしいですね。
糸井:選挙の演説も、言っていることはかなり盛っていたり、考えてもないことを言っていたりするかもしれません。
それもまた言葉です。
言葉は、表したいという気持ちと、人に伝えたいという気持ちの交差点にいつもあって、ストンと落とし穴に落ちるように言葉ができたら、すごくうれしいけれど、なかなか狙っても出てきません。
結局、喜んでくれる人のおかげで、できたりするんです。言葉だけ切り取って語るのは難しいですね。
あるインタビューで「何になりたいですか」と質問され、いっぱい考えたんですが、ひとつだけ好きな答え(言葉)があって、それは「ホームランになりたい」です。
ホームランは、取り出してみることはできないけれど、野球場にいると見られます。「花火になりたい」ではなく、やはり「ホームランになりたい」は、一番自分の欲を言えた感じがします。
水野:大きなことを成し遂げたというイメージですね。
糸井:そういう人になりたいんです。
まず球場という環境があり、多くの視線が集まり、ゲームの中の大事件である、ホームランを彫刻にしたらどうなるかと、考えると楽しいですね。
水野:「ホームランになりたい」とは、なかなか思いつきません。
僕も「どんな歌を書きたいですか?」という質問の答えをよく考えているんですが、たとえばデビュー曲の『SAKURA』。桜は、お前を慰めてやるぞという感じでは咲かないで、同じ季節に同じ場所でただ咲くだけです。
見るほうが「入学式を思い出すな」「もう春なんだなあ」などと、勝手に思いを馳せます。桜自体は、ただあるだけ。
自分もそういう存在になりたいなと思って作ったんです。
糸井:いいですね。
水野:ホームランは、形はないのに意志が感じられます。
糸井:形はないけど、明らかにあるものですよね。逆に、打たれたときの悔しさもありますし。
水野:いろいろな感情が渦巻いていますね。喜びと悔しさが同居している。
糸井:野球選手の間では、ホームランバッターと剛速球の投手が一番尊敬されるんですよ。野球談議を始めると、お互い際限がなくなるから、やめましょう(笑)。
(構成:栗原 昇、撮影:池田光史)
※明日掲載の「 『夢』に手足を付けて届けたい」に続きます。