経営上の失敗か、ビジネス戦略か
テスラモーターズのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は、未来の到来を早めることで知られている。しかしどういうわけか、彼はいつもスケジュールに遅れる。
これを経営上の失敗と呼ぶ人もいるだろう。だが、これは一種のビジネス戦略かもしれない。筆者はこれを「マスク・ドクトリン(マスク主義)」と呼びたい。
人間はとてつもないプレッシャーにさらされたときにのみ、パラダイムシフトをもたらす業績を達成する。ならばそのカギは、つねに不可能なデッドラインを設定することだ。こう考えれば、なぜマスクCEOは製品を予定どおりにローンチしたことが一度もないのかわかるかもしれない。
ただ、彼には誰もついていけないように思われるし、ウォール街は翻弄されている。
44歳のマスクCEOは5月はじめ、失敗から勝利をつかむこの戦略の手の内を披露した。テスラの決算に関する電話会議で同氏は、期待の電気自動車(EV)「モデル3」の発売日を2017年7月1日と驚くほど早いスケジュールに設定したが、これは本気なわけではないと説明したのだ。
「さて、われわれは本当に来年の7月1日に大量生産を達成できるのか。もちろんできない」と同氏は語った。「われわれが2017年後半までにモデル3を大量生産できると確信するためには、発売日を2017年半ばに設定して、内と外から関係者にプレッシャーをかけねばならない」
並外れたブラフの功罪
デッドラインに関するマスクCEOのブラフを並外れたものにしているのは、彼がそれを公表して投資家からの糾弾の的を自らが買って出ているという点だ。
たとえば先日、彼が最大級の爆弾発言をしたときがそうだ。マスクCEOは、自動車の歴史のなかでほぼ間違いなく最も野心的な生産タイムラインを発表した。2018年までにEV生産を年間約5万台から50万台に拡大するつもりだと述べたのだ。
それまでの目標は2020年とされていたので、今回の構想で2年前倒しされたことになる。そもそも2020年という目標自体、ウォール街では不可能に近いと一蹴されていたものだ。
UBSのアナリスト、コリン・ランガンはこの構想について「あまりにアグレッシブで、投資家たちを失望させる準備をしているようだ」と投資家への書簡のなかで書いている。
マスクCEOの戦略は、モチベーションよりもむしろ資金調達に関係していると見る向きもあるかもしれない。JPモルガン・チェースのライアン・ブリンクマンは、この新たな目標は「出資資本の大幅な拡大を正当化するのにうってつけの理由」として受け止められるかもしれないと言っている。
しかし、テスラは必ずしも資金調達を正当化するための理由を新たに必要としているわけではない。すでにウォール街ではこのような動きは予想されていた。モデル3に予想外なレベルの需要が示され、テスラが1台当たり1,000ドルの手付金(払い戻し可能)を40万台分集めていたからだ。
テスラに訪れる「審判の日」
いずれにせよ、2018年というこの当惑せざるをえない目標が設定されたことで、投資家たちはテスラのキャッシュバーンにさらに神経を尖らせている。
RBCキャピタル・マーケッツのアナリスト、ジョセフ・スパックは「われわれは皆、アグレッシブな目標の設定を支持している」と話す。
「しかしながら、テスラは株式投資家に対して、われわれがこれまで見たことがないような複雑な増産計画への投資をさらに求めるようになっている。これは、期待の上昇と実際に実行できるのかというリスクの両方をもたらすものだ」
上場企業が通常行う「期待」をめぐる駆け引きからすると、この2018年の目標は道理に合わない。企業は普通、業績が期待を上回ることを好むものだ。
しかし、マスクCEOはその代わりに未来の到来を再び早めようとしている。ただし今回、彼が早めたのはテスラの「審判の日」だ。
株価下落を生む危うい戦術
この新しいデッドラインの意味を本当に理解するための唯一の方法は、マスク主義をそれに当てはめてみることだ。
同氏がこれまで設定してきた不可能なデッドラインのひとつだったという場合もあったのかもしれない。もし2020年という最初の目標が実際に達成できそうだということになったら、それはつまり誰もがもっと働けるということであり、予想は繰り上げられるべきだ。そう考えて、マスクCEOは2年前倒しにしたのだ。
いま同氏は、2020年までにEVの年間販売台数が100万台に到達すると予想している。今度ターゲットになるのはその目標だろう。
こうした「先手主義」にはリスクが伴う。それはテスラの従業員に使命感をもたらす一方で、会社に余裕がなくなる結果、彼らを燃え尽きさせてしまうというリスクをはらんでいる。ブルームバーグは5月5日付で、モデル3の大々的な販売促進を前に、テスラ製造部門の最高幹部2人が同社を去ることになったと報じた。
マスクCEOは、モデル3の製造スケジュールが早められたことに関して「9カ月で人間の赤ん坊をつくれるなら、クルマも9カ月でつくれるはずだ」と機知に富んだ発言をした。しかし、妊娠は決してそれほど容易ではなかったようだ。
市場はあまり楽観的ではなかった。通常、企業が見通しを大幅に上昇修正すると株価は上昇する。だが、今回は違った。テスラが新しい目標を発表したあと、株価は下落したのだ。
アナリストたちは、必要になるであろう追加資金など、2018年というデッドラインが含む失敗の新たなリスクを挙げつらった。
目標失敗でも「期待水準」を高める
2018年というデッドラインは、当初の2020年のデッドラインと同じく茶番に思える。
しかし、マスクCEOが目標を動かした翌日の5月5日、興味深いことが起きた。テスラの株価が下落した一方で、アナリストや自動車専門家はほぼ一様にテスラの販売台数に関する予測を引き上げたのだ。
RBCのスパックは「新たな投資へのリスク」を警告し、テスラの株価に対して中立のレーティング(投資判断)を維持したが、それと同じレポートのなかでテスラの2020年の売上予測をほぼ倍の62万台とした。この予測は大半が達成不可能と考えていた、マスクのかつての目標を上回る数字だ。
これは、マスク主義が効果を発揮している証かもしれない。
たとえマスクCEOが新しい目標の達成に失敗することがほぼ確実でも、そしてその過程で投資家やクルマの購入者の信頼をリスクにさらしたとしても、同氏は皆の「期待水準」を変えた。テスラにとって、そしてEV全般にとってかつて不可能と考えられてきたものが、いまでは実現の可能性が高いと考えられているのだ。
原文はこちら(英語)。
(原文筆者:Tom Randall、翻訳:ガリレオ、写真:Justin Chin/Bloomberg)
©2016 Bloomberg News
This article was produced in conjuction with IBM.