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YKK吉田忠裕会長インタビュー 前編

YKKの黒部移転。吉田会長が語る“東京に本社がなくていい”理由

2016/2/8
窓やサッシ、雨戸など数多くの住宅商品等を手がけるYKKグループは、本社機能の一部を富山県黒部市への移転した。この背景にはどのようなビジョンがあるのか、同グループ会長の吉田忠裕氏に話を聞いた。前編では、移転を決めた理由と、黒部市における経済活動と両立すべきエネルギー課題について語られる。

地方創生に先駆け、移転を検討

──政府が進める「地方創生」の目玉政策の1つに、大企業の本社機能の移転があります。YKKグループは、2015年度末までに東京にある本社機能の一部を富山県黒部市に移転を完了する予定です。YKK APは企業の地方移転促進税制(東京23区から地方に本社機能を移転したり、地方の本社機能を拡充する企業を税制で優遇する特別措置)の適用第1号でもあります。

吉田:じつは、政府が地方創生の取り組みを始めるずっと前から、われわれは黒部への機能移転を検討していました。結果、国の政策と移転のタイミングがたまたま合致しただけです。税制優遇の有無にかかわらず、黒部への移転は決断していました。

──YKKのようなグローバルメーカーが地方に本社を置くことは珍しいのではないでしょうか。

たしかに、YKKはいま世界71カ国・地域で事業を展開していますが、われわれの工場は例外なくすべて地方にあります。

アメリカであれば、ジョージア州のアトランタよりさらに離れた田舎にあります。欧米だけでなくアジアを見渡しても、メーカーの工場の多くは、中心都市ではなく地方に建設します。

余談ですが、海外工場の周年行事には夫婦で一緒に出席するようにしています。あるとき、家内が「私は海外に何度も足を運んできたけれども、パリやロンドンなどの有名な都市にほとんど行ったことがない。ヨーロッパを訪れても、田舎に行くだけだ」と愚痴をこぼしていました(笑)。YKKは世界の大都市には、ほとんど拠点を置いていませんから。

なぜ黒部に移転するのか

──しかし、なぜ黒部なのでしょう。

メーカーであるからこそ、ものづくりの現場が最も重要であり、生産拠点を大切にしたいからです。

YKKにとって黒部は、研究・開発部門や製造拠点が集まる「技術の総本山」です。いまのところ工場をほかの場所に分散する予定はありませんし、むしろ各地域に供給する技術・製造アイテムを一極集中させていきたいと考えました。

そこで、黒部を中心にグループ全体の本社機能を再配置し、ものづくりに最適な体制を敷くことにしたのです。その代表的な例が、「YKK AP R&Dセンター」です。ここに、これまで分散していたYKK APの研究開発と生産技術の機能を集約します(2016年4月稼働予定)。

さらに、2016年3月をめどに人事部や経理部、法務部、知的財産部などの管理部門を中心に計230名の東京からの異動が完了し黒部で働きます。これにより製造や開発部門、そして管理部門で働く社員同士の効果的なコミュニケーションが生まれます。

以前、現社長の猿丸(雅之)に「どこに本社を置くべきか」と尋ねたことがあります。すると、「本社機能が世界のどこにあるかは、実務をするうえで問題にはならない。生産拠点の8割が海外にあるのだから、東京でやりとりを行なう必然性はない」と答えました。

──本社機能の一部移転に伴い、たとえば新卒採用時など、ローカル色が強く見えるとマイナスに働きませんか。

YKKへの入社を志す学生は、「この部署で、これがしたい」という思いを明確に抱いています。では、彼らは、都会のど真ん中でないと自分がやりたい仕事ができないかというとそうでもない。

日本の地方はもちろん、アジアやアフリカにいても実現できることがほとんどです。結局、仕事に取り組みやすい場所は、個人の問題に帰するんですね。

吉田忠裕(よしだ・ただひろ) YKK・YKK AP会長CEO 1947年、富山県生まれ。69年、慶應義塾大学法学部を卒業、72年にノースウエスタン大学経営学修士課程修了、MBA取得。同年、吉田工業(現YKK)に入社。90年にYKKアーキテクチュラルプラダクツ(現YKK AP)社長、93年にYKK社長に就任。2011年より現職

吉田忠裕(よしだ・ただひろ)
YKK・YKK AP会長CEO
1947年富山県生まれ。1969年慶應義塾大学法学部を卒業、72年にノースウエスタン大学経営学修士課程修了、MBA取得。同年、吉田工業(現YKK)に入社。1990年にYKKアーキテクチュラルプラダクツ(現YKK AP)社長、93年にYKK社長に就任。2011年より現職

エネルギーを削減するまちづくり

──本社機能の一部を移転するだけでなく、YKKは、黒部市に「パッシブタウン黒部モデル」(以下、パッシブタウン)という次世代型集合住宅を建設中です。これはまさに企業が主体となって取り組む「まちづくり」ですね。

2025年までに、8街区で計250戸を建設する予定です(第1期街区の36戸は2016年3月完成予定)。総入居者は800人を想定しており、YKKグループの社員だけでなく、一般の人も入居可能にしました。

パッシブタウン内には、仕事と子育てとの両立を支援するための保育所や、カフェ、商業施設も併設します。黒部モデルと付けたのは、ほかの地域では真似できない“黒部ならでは”のスタイルだからです。

──最大の特徴は、エネルギー消費量が北陸の一般的な住宅の四割程度に抑えられる点です。「冷暖房が要らない」といえば大げさかもしれませんが、電気料金を激減できると完成前から話題を呼んでいます。エネルギー削減をめざす住宅の建設に踏み切ったきっかけは何だったのでしょうか。

人間が生活を営むうえで、エネルギーは欠かせません。ところが、2011年に東日本大震災に伴う原発事故が起き、日本の電力は原発だけに頼れないことがわかった。

かといって、水力だけですべてを賄うことはできません。火力や再生可能エネルギーを有効活用していく方針が、一般的に考えられているエネルギー代替策です。

しかし、エネルギー先進国であるドイツを見ても明らかなように、再生可能エネルギーが普及するにあたり発電コストは高くなり、電力会社は電気料金を上げざるをえません。

当然、発電コストの上昇は、われわれ製造業にとっても致命傷です。電気料金を値上げされたら、黒部でこれまでどおりの事業を続けることは困難になります。

われわれが黒部を離れるときは、日本から出ることを意味します。それはほんとうに日本経済にとっていいことなのか。少なくとも、われわれはそれを望んでいません。

だからこそ、命懸けで黒部でのエネルギー削減に取り組みたいと覚悟を決めました。

エネルギー効率と経済の両立なるか

YKKの工場と社員住宅で使われる電力消費量は、黒部市全体の50%に達します。黒部事業所でピークカットに努めましたが、製造に支障が出る以上の削減はできません。

そこで、住宅環境でエネルギー消費を削減する方法はないかと考え、パッシブタウンの建設に着手したのです。

──電力使用量を減らしながら経済活動と生活の営みができるか、という壮大な実験ですね。具体的な構想を教えてください。

黒部川扇状地の伏流水をくみ上げ、パイプで循環させることで、夏は部屋のなかを涼しく、冬は暖かくすることが可能になります。また、エアコンを使うことなく、富山湾の季節風で暑さもしのげる。

水や太陽、風といった自然環境を最大限に活用し、電気やガスの消費を抑える設計が、パッシブ(自然の恵みを享受する)という発想です。

──これぞ“黒部ならでは”のスタイルですね。しかし、従来のエコハウスとは何が違うのでしょう。

もちろんエコハウスは否定しないし、むしろ大賛成です。家電メーカーが中心となってエネルギー使用を少なくしていく努力は大いにやっていただきたい。

でも、パッシブタウンはエコとは根本的に異なる発想で取り組んでいる活動です。

エネルギーは、船に例えるなら、船体を動かすために必要なモーターやエンジンに当たります。そのエネルギーの消費量をいかに抑え、かつ安くできるかという議論は、エコとは真逆の世界観で交わされるべきです。

大量のエネルギーを使う建物を造ったあとにエアコンの電力を削減するのは、非常に効率が悪い。

前述のとおり、黒部の自然をふんだんに活用して、エネルギー消費を低下させる住宅こそがパッシブタウンの最大の魅力です。

最終的に行きつく先が建築部材とすれば、開口部をどう作るか、季節風や太陽熱、地熱、地下水をどう利用できるか徹底的に追求していきます。

(聞き手・構成:ジャーナリスト 出町譲、写真:吉田和本)

*続きは明日掲載します。