日本交通に入社。1900億円の負債に「ノアの箱舟」作戦を決行

2015/12/30

戦略なき会議に激怒

2000年、日本交通に入社した頃。
マッキンゼーを辞めて日本交通に入社したのは2000年のことです。私は29歳になっていました。
祖父・秋蔵が独立して事業を興したのも29歳。なにやら、因縁めいたものを感じます。
祖父は1928年、ハイヤーの個人営業からスタートし、翌年には「川鍋自動車商會」を設立。のちに日本交通と社名を改め、1959年には車両数1256台を数える日本一のハイヤー・タクシー会社へと育て上げました。
しかし、祖父が一代で築き上げた会社はこの時、まぎれもない沈没の危機にありました。なにしろ、私が入社した時の負債額は1900億円。それでも、危機感はゼロでした。
入社して1カ月間もしないうちに、私はもう「この会社はダメだな」と感じていました。べつに財務分析をしたわけでも、なんでもありません。要するに、雰囲気が最悪なんです。