日本交通3代目・川鍋一朗、Uberを迎え撃つ戦略と野望

2015/12/26
タクシー会社大手、日本交通の3代目御曹司・川鍋一朗氏は、マッキンゼー・アンド・カンパニーで人生初の挫折を経験した後、日本交通に入社した。1900億円もの負債に愕然とし、再建に向けて格闘、V字回復を果たす。現在、スマートフォンでタクシーを呼べる「日交アプリ」を開発してユーザーを拡大中だ。今後、“黒船”Uberとどう戦っていくのか。熱き魂に迫る。

人生初の「落ちこぼれ」

そこからが地獄でした。
人生で初めて「落ちこぼれ」というのを経験したのも、マッキンゼー時代です。
3年ごとに「アップ・オア・アウト」が待つ厳しい世界。3年でマネジャーに昇格できなければ、実質、辞めるしかありません。
人事評価はいつも中の下くらい。面談で決まって言われたのは、「川鍋君、人柄はいいと思うんだけどね……」のひとこと。だけど、人柄って、評価項目にはないんですよ(笑)。
こうも言われました。
「君はプロブレム・ソルビングが弱いんだよね」。問題解決力って、コンサルタントに一番必要な能力なんです(笑)。
結果的に、マッキンゼーに在籍していた3年間は、私の半生における最も暗く、苦しい時代となりました──。

負債額1900億円でも危機感ゼロ

マッキンゼーを辞めて日本交通に入社したのは2000年のことです。私は29歳になっていました。
祖父が一代で築き上げた会社はこの時、まぎれもない沈没の危機にありました。なにしろ、私が入社した時の負債額は1900億円。それでも、危機感はゼロでした。
入社して1カ月もしないうちに、私はもう「この会社はダメだな」と感じていました。雰囲気が最悪なんです。
「みなさん、こんなんでいいんですか? もっと危機感を持ってください。いいですか、私のいたマッキンゼーの世界では……」
MBA用語満載でまくし立てたら、みんなポカーンとしていました。
ついたあだ名が「アメリカ帰りのエコノミスト」。口だけ達者なお坊ちゃん、という皮肉がこもっていたと思います──。

泥舟を救ってやろう

「ノアの箱舟」をつくって、この沈みゆく泥舟を救ってやろうじゃないか。
事業のあるべき姿を描き、その通りにやればうまくいくはずだ、と無邪気に信じていました。
当然のことながら、世の中の人がみんなロジカルに考えて行動するわけじゃない。だけど、当時の私にはそういう事業感覚がなかった。
〈オレはビジネススクール出身のマッキンゼー仕込みだ。だから、このオレに任せとけ!〉と完全に、頭の中だけで事業を構想していました。
結局、泥舟を救うどころか、また、新たな泥舟をつくってしまった。私の鼻は、ここで完全にへし折られました──。

「聞いてねーよ」

最初のうちは「オーナーとして言うべきことはきっちり言う」と強気だった父も、合併を迫る銀行の勢いにしょんぼりしてしまう始末。だけど、私は諦められませんでした。
言葉は悪いですが、「聞いてねーよ」って感じです。
相手はメインバンクですから、逆らったら怖い。だけど、たった一度、それも支店の本部長にきつく言われたくらいで諦めてどうするの、と思いました。
子どもの頃から、日本交通の社長になる以外のオプションなんて考えたこともないんですから。こうなったら必死で戦うしかない──。

怒声が飛んでくる

必死で営業所巡りもしていました。「会社が危ない」といううわさを払拭(ふっしょく)するためです。
「謝れ!」
どこへ行っても、まずはそんな怒声が飛んでくる。
怒りを鎮めるには、とにかく頭を下げるしかありませんでした。頭を下げた上で、乗務員にはいつも、こんなふうに語りかけていました。
「みなさんの気持ちはよくわかります。我々にも悪いところはありました。でも、これだけは信じてください。タクシーに必要な事業以外はすべて売却しています。みんなに我慢しろと言いながら、自分だけ銀座で飲み歩いたりしているのを見たら、いつでも文句を言いに来てください」──。

タクシー乗務員を誇りある職業に

「あなたは、どうしてタクシー乗務員になったんですか?」
東京駅で300人のタクシー乗務員にアンケートを取り、分析したことがありました。
ダントツで返ってきた答えは──。
次にこんな質問もしました。
「なぜ、今の会社を選びましたか?」
一番多かったのは──。
結果を見た時には、正直、ガクーッときました。
私はここを変えたかった。誇りを持ってタクシー乗務員ができる状態を目指そう──。

社長がタクシー乗務員になる

「タクシーに乗ります!」と宣言すると、社内は騒然となりました。
約7000人の社員を抱えるハイヤー・タクシー会社の社長が一ドライバーとして乗務するなんて前代未聞のことです。
「これから1カ月間、社長としての業務はカンベンね」
現場の乗務員たちからは厳しい意見も寄せられました。
「また点数稼ぎですか? 黙って静かにしててくださいよ」
地球温暖化防止のためにクールビズを推進しましょうと流したら、「イチローちゃん、貴方が一番暑苦しい」「日本交通にあなたがいなければクールビズ」という川柳が返ってくるような会社ですから、なかなか辛辣(しんらつ)です。
半面、こんな激励のメールももらいました──。

元総理の孫と結婚

妻、文子と結婚したのは2009年10月のことでした。これに関しては、やれ政略結婚だと騒がれもしました。
妻の父は参議院議員の中曽根弘文、祖父は元総理の中曽根康弘とくれば、そんなうわさが広がるのも当然かもしれません。
しかし、事実はちょっと違います。
いざという時の決断は、昔から早いんです。会ってすぐに「この人だ」と決めました──。

本気で攻める

勉強会では、1900億円あった借金をいかにして完済し、会社を立ち直らせたか、経緯を私なりにお話ししました。
カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)創業者で社長の増田宗昭さんがいらっしゃいました。
「オーソドックスにやるべきことをやるのもいいけど、もっと攻めてもいいんじゃないかな?」
それまで「守る」ことばかりに懸命で、「攻め」を忘れていました。
耐え忍ぶだけの毎日に、自分自身も退屈しかけていました。
〈これからは本気で攻めるぞ〉
2011年には、3つの事業をスタートさせました──。

「日交アプリ」をリリース

Uber(ウーバー)がスマートフォンのアプリを使った配車サービスをリリースしたのは、2010年夏のことでした。
我々もほぼ同時期に「日交アプリ」をリリースしたものだから、よく「意識したんですか」と聞かれますが、そうではありません。
私が参考にしたのは──。
「これと同じモノをつくってよ」と指示しました。すると、一人がこう言いました。
「だけどこれ、Macでつくったアプリですよ。社長、うちのコンピュータは全部、Windowsなんです。それでスマホ用アプリをつくれるわけないじゃないですか」
「わかった。じゃあ、すぐにMacを買おう」
その頃、新規投資はすべて却下しているような状態でしたから、「まさか」と驚いた様子でした。
「ただし、1台だけ。うちはお金ないから、中古ね」
3カ月間くらいでとりあえず完成させたのが、最初の日交アプリでした──。

海外勢アプリ、ついに日本上陸

「Airbnb(エアビーアンドビー)」と並びシェアリング・エコノミーの代表格といわれる「Uber」が2013年、日本にもついに上陸してきました。
Uberのアプリはたしかに、よくできています。しかし、彼らはあくまでアプリ専門の業者であってタクシー会社ではありません。
乗務員を雇用もしていなければ、利用者に対する最終責任も負ってはいない。
私は、ここに大きな問題があると考えています──。
(構成:上田真緒、撮影:遠藤素子)