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アメリカスポーツ【第11回】

職歴は不問。メジャーリーグのIT化で監督に必要な資質が変化

2015/12/18

日本のプロ野球で過去のコーチ・監督経験のない者を監督に据えるのはどうか、メジャーリーグのように経験のある者を採用すべきではないか、という疑義を投げかけるかたちで前回は記事を書いた。

しかし、その考え方は、メジャーでも過去のものになりつつある。それは、メジャーの監督の役割や立場が以前とは異なることが大きい。試合における采配だけが主たる仕事ではなくなっているのが現在の状況なのだ。

選手と監督、どちらが重要?

日米の野球に造詣の深い作家のロバート・ホワイティング氏がこう話してくれた。

「私がインタビューしたことのあるほとんどの選手が、『メジャーリーグでは監督はそれほど必要がない』と言っている。彼らは野球のプレーの仕方を知っているし、また監督という存在がチームの成否にさほど重要ではないという研究もある。試合の勝敗は選手が担っているということだ」

いわゆる「名将」とされる監督は今も昔もいる。だが、日米を問わず、そう呼ばれる監督たちでさえ良い選手がいなければ勝利者たりえない、とホワイティング氏は主張する。

最近ならばジョー・マドン(シカゴ・カブス監督)やジョー・トーレ(元ニューヨーク・ヤンキース監督)などが優れた指揮官とされているが、彼らにしても、良い手持ちのカードを持っていなければ優勝または優勝争いに絡むことはできなかった、と同氏は指摘する。

2014年のオールド・タイマーズ・デーで再会を喜ぶジョー・トーリ元監督(右)と松井秀喜氏

2014年のオールド・タイマーズ・デーで再会を喜ぶジョー・トーレ元監督(右)と松井秀喜氏

直観力より分析力

実際、近年のメジャーでは急速に監督の就任以前の実績や経験を重視しなくなっている。

前回の記事ではアメリカの監督は就任以前に下積みや、どこかしらで指導者経験を積んでいるのが大半、というようなことを書いたが、実際は未経験で監督になる例は加速度的に増えている。2016年は全体の約2割がそういった指揮官となる。

アメリカのヤフースポーツでコラムニストを担うジェフ・パサン記者は、メジャーリーグでもデータ重視の流れが進んでいることが監督の選任に影響していると言う。コンピュータなどの情報技術(IT)の発展でデータを重視するようになり、監督の経験不足はさほど大きな問題ではなくなっている。

たとえば、投手交代のタイミングも相手打者との相性など過去のデータを考慮して行われる。そこに監督(あるいはいかなるコーチングスタッフ)の直感的な判断をはさむ余地は、昔に比べて小さくなっているのだ。

6年間マイナーリーグで監督を務めてからメジャーへと「昇格」した経歴を持つ61歳のマドンですら、現在の野球を「データ・ドリブン(データ重視)」と認める。膨大なデータを理解し、それを采配に活用できる人物でなければもはやメジャーで監督を務めることはできなくなっているのかもしれない。

ロサンゼルス・タイムズ紙のビル・シェイキン記者の記事で同監督は「今ではもう以前のような下積みなど必要ないと思っている人たちが(球団内に)いる」と語っている。

監督=球団と選手の中間管理職

こうした変化もあって、今の監督の仕事は昔とは様変わりしている。シェイキン記者は、今日の監督という存在は球団側と選手ないしチームのバランスを取り持つような役職であるとしている。

筆者が前回の記事で触れたウィリー・ランドルフ監督をはじめ多くのアメリカの監督たちもそう考えている(マドンも監督業を「フロントオフィスの延長のようなもの」と言っている)。

メジャーの監督も昔は今よりもはるかに力を持っていたが、現在は球団が選手に多額の年俸を支払い彼らを貴重な財産として扱うようになっているため、それぞれの立場に変化が生じている(つまり、選手の立場が強くなった)。

パサン記者は、そういった「億万長者となった選手たちのエゴをコントロールすることやメディアとうまく付き合っていくことが、試合における采配同様に監督の大きな仕事の一部となっている」と言う。

つまりは、メジャーリーグでも日本のプロ野球のように指導者経験のない者を監督に据える事例は増えているのである。

スター選手に欠けているもの

もう1点、監督の選定で日米間には差異がある。それは、日本では元スター選手が監督になる傾向が高いのに対して、メジャーではその例が少ないことだ。

なぜか。

パサン記者の説明は最も単純かつ明快で、「スーパースターたちは選手時代に大金持ちになるから、監督になっても疲弊するだけで得るものはないし、それよりも名誉職的な立場を好むから」というものだ。

前稿でもコメントをくれたベースボール・アメリカ誌のベン・バドラー記者は「元々スター選手だった監督は確かに優れた技術や野球脳を携えていたかもしれないが、監督として自分の考えを的確に伝えられるコミュニケーション能力がなければ意味がない」と、いくら選手として優秀だった人物でも監督になるならば、監督としての資質が問われると述べる。

もちろん、スター選手が監督としても成功した例は少なからずある。しかし普通に考えれば、より実績のある者が彼よりも実績のない者の気持ちや能力をわかってあげられることはなかなかないのではないか。

日本では過去の実績が必要な理由

だが、「日米の野球の慣習の違いを見なければならない」とホワイティング氏は話す。日本の監督は、それこそ昔のメジャーの監督のように大きな力をいまだに持っており、その力は過去の実績が大きければなおさら増す、つまり効果的なものとなる。

だから、おおよそ監督には向かないと思われる投手出身の監督がいたりもする。

「日本の監督は自らの選手たちにもっと練習しろと強く命令することができるし、言われる選手たちもそれに従う。しかもほとんど1年中」とホワイティング氏は語る。

「彼らは、選手たちの顔が青くなるまで打撃練習や走塁練習、犠打の練習をさせることだってできる。アメリカの選手にはそうはできない」

変化する米国、変わらない日本

このように、いくつかの面から日米の野球の監督に求められる性格や資質を考えてみたが、少なからず違いがあることがわかる。

ただし、球団数や選手の年俸、球界の慣習、長幼の序が重んじられる日本とそうでないアメリカといった要素を考慮すると、単純に比較できないところもある。

あまりどちらがはっきりと「正しい」と白黒つけられないこの監督の件だが、少なくともアメリカでは時代に即した監督選考をしているように見受けられる。

一方で、日本のプロ野球の監督選考はいつまでも変わらないふうに見える。

(写真:アフロ)

*次回は1月8日に掲載予定です。

<連載「スポーツの最先端はアメリカから生まれる」概要>
世界最大のスポーツ大国であるアメリカは、収益、人気、ビジネスモデル、トレーニング理論など、スポーツにまつわるあらゆる領域で最先端を走っている。メジャーリーグやNBA、NFL、NHLという4大スポーツを人気沸騰させているだけでなく、近年はメジャーリーグサッカー(MLS)でもJリーグを上回る規模で成功を収めているほどだ。なぜ、アメリカはいつも秀逸なモデルや理論を生み出してくるのか。日米のスポーツ事情に精通するライター・永塚和志がアメリカのスポーツ事情を隔週金曜日にリポートする。