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『その「グローバル教育」で大丈夫?』

【小島慶子×ヤマザキマリ】子を「東大」に行かせたいなら、親が行けばいい

2015/12/4

先行きの見えないこの時代を生きるわが子に、一生安泰の切符を与えたい──。

そんな親心から子どもの教育に熱心になる親たちが増えている。目指す究極のゴールは「東大合格」。いや、それだけでは足りないと、ハーバード大、ケンブリッジ大、マサチューセッツ工科大……など、世界の名門校に目を向ける。

キーワードは「グローバル教育」だ。

だが、果たして、「世界に名だたる有名大学を目指す」ことが本当のグローバル教育だろうか。「こうならなければ勝ち組になれない」と“狭いゴール”を押し付けることは、むしろグローバルな生き方と真逆なのではないか。

そんな疑問をもとに、漫画家のヤマザキマリさんと、タレント・エッセイストの小島慶子さんがたっぷりと語り合った『その「グローバル教育」で大丈夫?』(朝日新聞出版)が12月7日(月)に発売される。

ヤマザキさんは、絵画の勉強のため17歳で単身イタリアへ。その後シリア、ポルトガル、アメリカなどで暮らしながら子育てし、長男は現在ハワイ大学に通う。

小島さんは、夫の退職を機に、2014年に家族でオーストラリアに引っ越し。子育てはオーストラリアでしながら、自身は仕事のある日本と往復する日々を送る。

海外で子育てを実践してきた(そして、実践中の)2人が感じたのは、意外にも「海外に行かなくてもグローバル教育はできる」だ。

本では、本音をぶつけ合った爆裂トークを繰り広げているが、今回はその一部を“早出し”で紹介する。

東大母本にもの申す

──今日は地球規模で子育てをしていらっしゃるお二人に「グローバル教育」について語っていただきたいと思います。「わが子に世界に通用する力を」と教育熱心な親たちの関心が高まっているテーマで、「グローバル教育」というタイトルのついた雑誌は売れ行きもよくなるという現象も起きています。この現状については、どうお考えですか。

ヤマザキ:グローバル教育……ねぇ。誰かが「これからの時代はグローバル教育だ!」と言うと、みんなそっちに振れちゃう。日本人ってやっぱりマニュアル信仰的なところがありますね。

小島:ありますね。

ヤマザキ:最近、「私は息子を東京大学に行かせました!」みたいな本が売れているらしいですね。

小島:話題になっているみたいですね。

ヤマザキ:日本はいまだに学歴信仰が根深い国ということに驚くし、私がとにかく違和感を覚えるのは、その母親が「東大に行くかどうか」を子育ての成功要件としていて、かつ、子どもの価値さえも学歴で決めてしまっているってことです。違う、違う、違うでしょ! 人間のクオリティはどこの学校行ったかで決まるもんじゃない。

まして、親がわが子に対してそんなふうに考えるなんてもってのほか! いつの時代の考え方ですか? って突っ込みまくっているところです。……はぁ、ごめんなさい。ついつい、しょっぱなから熱くなってしまったわ……。

教育機関は専門分野を磨く場

小島:マリさん、落ち着かないお気持ち、わかります。何かがおかしいですよね。極端な場合は、子どもの意思をまったく無視して高学歴の道を強いる親がいるのも事実ですよね。「極端な場合」と今言いましたが、案外それほど珍しくない、フツウの状況になってきているかもしれません。

あまりに行き過ぎると“教育虐待”にならないか、心配です。

ヤマザキ:私の違和感の核にあるのは、子どもを有名教育機関に入れることが親のステータスになっているという点です。ヨーロッパでは、教育機関はあくまで自分の専門分野を磨きたい人が勉強しに行くところであって、親の子育ての成功を意味するものでは全然ないですからね。

「私はわが子を東大に入れました」と堂々アピールしている親たちがわんさといる日本の状況からすると、もしかして、こういう考え方の親って少数派ではないってことなのかしら。こういう狂気じみた学歴競争みたいなものは少しは落ち着いていくのかと思ったら。

──むしろエスカレートしているかもしれません。小泉政権以来の非正規労働者の増加で「格差社会」が加速度的に進む中、「わが子だけは食いっぱぐれない人生を」「わが子だけは負け組にしたくない」と、子どもが小さいうちから英才教育を与えていく親は増えています。そして、その象徴ともいえるゴールが「東大合格」です。

ヤマザキ:東大そのものについては素晴らしい教育機関だと私も思っています。ただ、学術的水準ではなく、世間的評価だけの東大信仰はおかしい。そんなのは日本の一歩外に出てしまったら大した効力もないのに。子どもの立場はどうなるの? って思いますよ。

小島:親の価値観がすり込まれてしまい、自分の心から自由な発想ができなくなっていく。こんなことを小さいときから繰り返していたら、子どもは抑圧されてしまいますよね。

ヤマザキ:子どもは世界がどうなっているかわからない状態で、親の信念だけを頼りに生きていくものだから、「僕が、私が頑張れば、お母さんはニコニコして優しくしてくれるはず」って無理もするじゃないですか。子どもが心からやりたいと思うなら、いくらでもやっていいんだけどね。医学部の願書を親が下書きして、子どもに清書させるとか、あるんですよね?

小島:信じられない!

ヤマザキ:願書を親に下書きしてもらうってことは、子どもはそこまでして医者になりたい意思があるわけではないってことですよね? なぜなりたくないのに医者にさせようとするんだろう? 子どもの人生が、本人の意思を無視しての「親の創作品」に仕立てられているような気がしてならないな。

小島:同感です。

“教育虐待”の危険

ヤマザキ:大前提として思うのは、子育ての概念がすごく狭くなっているんじゃないかということ。東大に行かなくたって、ハーバード大に行かなくたって、立派な教育機関がない地域でだって子どもは立派な大人に育つのに、ごく狭い“一点”で育った子どもだけがどうして成功例として取り上げられるんだろう?

小島:メディアの責任もありますよね。もし、それを唯一の成功例のように持ち上げ続けていけば、曲解した親たちによる教育虐待の連鎖が起きると思います。いや、もうすでに起きているのかもしれません。メディアは教育虐待の現状を取材して、周知することのほうに力を注ぐべきですよね。

ヤマザキ:そうだよね。虐待って「殴られた」「食べさせてもらえなかった」だけじゃなくて、「無理やりやらされた勉強がつらい」という訴えだって虐待の一つのかたちですからね。

小島:結果として志望大学に合格したから虐待ではない、というのではありませんよね。

ヤマザキ:そんなに「東大」に行かせたいなら、親自身が行けばいいと思うわけですよ。「成功」して満足したいなら、何も子どもにやらせなくたって自分が頑張ればいいんだから。子どもの脳みそを「親が自由にできる第二の脳みそ」にしちゃいけない。
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親がつかめなかったことを子に求める

小島:親が子どもに対してゆがんだ支配欲を持ってしまうのは、なぜなのか。マリさんはどう思われますか?

ヤマザキ:やっぱり親自身の欲求不満じゃないですかね。お母さんが自分の過去を振り返ってつかめなかったモノや、人生の中に足りていないモノがあると感じているから、その分を子どもに託すことで満足する。

あるいは、子どもがテストで取った点数を自分自身に対する評価と勘違いしてしまっている。一方で、子どもたちにとっては混沌とした世界の中で親に守ってもらうための条件が「親から言われたとおりにすることだ」と思い込んでしまうと、間違った取引が成立してしまうじゃないですか。

「親が満足する目標を達成すること=子どもの人生の目標」という公式が共有されていく。そういう公式のもとでの勉強なんて、ほとんど機械的作業になるでしょうね。

「学びたい」という内側からの欲求に裏打ちされていないから、本をたとえ100冊読んだとしてもほとんど素通り状態になるんじゃない?

小島:本来の勉強って、本を1冊読むにしてもじっくり自分の中に吸収していくように読むものですよね。

ヤマザキ:そう。本当にスゴい本に出合ったら、読み終わった後に2〜3日は頭の中で反すうしてじっくり自分の中に取り入れていくものじゃない?

小島:「見る」「読む」「聞く」という楽しみを感じられないただの機械的作業に時間をかけているだけだとすると、真に学んだとは言えないし、その子どもは本当に不幸だと思います。
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東大一直線君の悲劇

ヤマザキ:百歩譲ってその試練の末に、子どもが「俺の人生って楽しい!」と笑っていたら問題ないんだけど、実際はそうじゃない場合のほうが多いんじゃないですか? 私が知っている例では、ある教育熱心なお母さんのもとで育った男の子が、東大に入り、卒業後に一流商社に入り、結婚をして、子どもを私立の学校に入れて……と“理想の”人生を歩んでいたんだけど、45歳のときに突然引きこもりになってしまったの。

小島:えー!

ヤマザキ:家から一歩も出ずに仕事も辞めて、ずっとゲーム三昧。結局、ご両親が扶養することになってしまって。こういうことがあるまでは親御さんも「うちの子どもたちは皆うまくやっているのよ」とおっしゃっていたけれど、子どもの立場からするとそうではなかった。もちろん、子どもも満足する場合だってあるとは思うけれど、全員が全員そうではない。子育てのゴールをただ一つの型にはめてしまうことの危険性を感じますね。

小島:本当に怖いですね。

トイプードルは警察犬に向かない

ヤマザキ:人間の種類って十人十色。犬でも猫でも、種類によって向き不向きがあるじゃないですか。どんなに頑張ってもトイプードルは警察犬には向かないし、多分、本人(犬)もなろうと思っていない。人だって、生まれ持ったアビリティは一人ひとり違うもので、関心の方向性や喜びを感じられる対象だって全員違うもの。

小島:そうなんですよね。きっと親のほうに「高学歴の子どもしか認められない」という強い思い込みがある場合、自分の子どもを観察して「おや、この子は自力でトップ校には入れないかもしれない」と気づいたときに、「まずい。何が何でも鍛えなくちゃ!」とスイッチが入ってしまうのだと思うんです。

ヤマザキ:入ってしまうんでしょうね。

小島:私の場合は、わが息子たちを観察しながら「あ、なるほどぉ。この子は放っておいても麻布中や灘中に入るタイプではない!」と確信したので、ハーバード大、東大、その他いわゆる“名門・有名大学”に入らなかったとしても幸せに生きられる方法を伝えるほうが親切だと考えました。もし名門大に入りたいと本人が思えば、自分で頑張るでしょうし。なによりも、人が幸せになる方法は一つじゃないと思える視野の広さを与えることが大事だよなあ、と。

ヤマザキ:そう。子育ては相手ありき。つまり子どもの観察が出発点だと私も思います。

小島:相手に合わせるしかないじゃないですか。でも、そんな態度を世間に公表すると、「そんなに早々と子どもの可能性を見限るなんて愛情が足りないんじゃないの?」って言われることもあったりして(笑)。

ヤマザキ:え? 「見限る」って何を基準にしてそう言っているの?

小島:“うちの子はトップ校に入れるはず”“入れてみせる”と力を注ぐのが親の愛情である、という基準でしょうか。
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