【東洋哲学】人生のすべての悩みに効く「劇薬」はこれだ
- 東洋哲学は人生の「劇薬」だった
- 西洋哲学とはココが違う
- 「空」を1分解説
- フィクションを手放すことがキモ
プレミアム会員限定の記事です
今すぐ無料トライアルで続きを読もう。
オリジナル記事 7,500本以上が読み放題
オリジナル動画 350本以上が見放題
The Wall Street Journal 日本版が読み放題
JobPicks すべての職業経験談が読み放題
「空」を一言で表現すると、本質性の不在(これがあるから「私」は「私」であるというものがないこと)、乱暴に言ってしまうと所謂「魂」のようなものが無いこととも言えるかもしれません。
何となく「私」が存在し続けているように思われるのは、様々な関係性(「縁起」)の中で生滅を繰り返しているに過ぎない、と説かれます。
仏教では「空」とともに「輪廻」が説かれるが、もし「魂」が存在しないのであれば、いったい何が「輪廻転生」するのか、生まれ変わるという主体は何か?ーーそもそも現世においても、3秒前の自分と今の自分との間に本質的な連続性は認められず、関係性において断絶していないだけであり、輪廻においても同様である。といった具合です。
「空」という言い方が出て来た経緯については、中村元『龍樹』が当時の論争を踏まえた分析を行っており、大変面白いです。
もっとも龍樹が「空」を説く前にも、このような「不断不常」について議論は行われており、前2世紀頃の『ミリンダ王の問い』でも、炎の喩えが用いられています。
ーー炎に実体はなく、木から木を替えながら燃え移っているに過ぎない。ただし、それに完全に連続性を認めないかというと、そうでもない。最初の着火と、それが燃え広がった先との間には、関係性を認めることができる。しかし何かを取り出して来て「これがこの炎だ」という連続的な本質を認めることはできない。
本邦においても、『方丈記』の出だし「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず」を、この「空」の話を踏まえて読むと、単に水の話をしているのではなく、自分自身の無常をも含みにしていることが理解できます。
「空」に関連して個人的に面白いと思った文章は、重久俊夫「ナーガールジュナから構想する生と死のメタフィジックス」」(渡辺恒夫等編、『人文死生学宣言――私の死の謎』、春秋社、2017 年、pp.111-147)です。こちらについては以前Twitter(現X)にて詳しく紹介したことがあります。
https://x.com/utokyo_chutetsu/status/1388813055866261516?s=46&t=Oy6V5HYNPHep1_urpRSwEA
ご興味がありましたら、ぜひ図書館等で探してみて下さい。
「世界はフィクション」、「ありのままが最強」、「言葉はいらねえ」と、東洋哲学のエッセンスを軽快に語った「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 」。
今回は著者のしんめいPさんに、「空」について詳しく話を伺いました。
学者や僧侶としてではなく、東洋哲学に救われやしんめいPさんだからこそ語れるお話は非常に興味深かったです。
わかりやすくも、たまに笑ってしまうほど面白く、あっという間に読み終わってしまう一冊です。
「大阪府出身、東京大学法学部卒業。新卒でDeNAに入社し、3年ほど勤務。のちに「自分探し」をこじらせ退職。教育事業に携わったり、芸人を目指したりするもうまくいかず、無職に。虚無感に苛まれるも東洋哲学に救われる。当時の心情を綴ったnoteが話題となり、「自分とか、ないから。」を出版。」
シンプルで、それでいて多くのことが伝わってくるプロフィールですね。
マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか