2024/4/13

学生時代からの夢を実現。55歳で地元に居酒屋を開業

ライター
人生100年時代、もう60歳定年退職は当たり前ではありません。体力もスキルもあってまだまだ活躍できるとあれば、新たな次のキャリアをあなたならどう描くでしょうか。

転職や早期退職、独立などさまざまなキャリアの選択肢が増えてきた今、長く企業で働いてきた後にこれまでと異なる道を歩み出す人が多くいます。

この連載では、一つのキャリアをしっかりと築いた後、また新たな道を踏み出す人たちの“セカンドキャリア”とその背景を追います。
INDEX
  • File2. オーロラ学者→居酒屋店主
  • オーロラ研究で憧れの南極観測隊に参加
  • 現場の研究員から経営マネジメントへ
  • 「このままでいいのか?」と、居酒屋開業を決断
  • 開業まで1年半。調理師学校や居酒屋バイトで準備
  • おいしい野菜と豆腐料理で地元に愛される店に
  • 大変なことは想像以上。それでもやりがいはある
  • 夢への準備をすることも重要

File2. オーロラ学者→居酒屋店主

1st Careerオーロラ学者 >>>2nd Career 居酒屋店主
File 02.久保田実さん
1966年埼玉県生まれ。東北大学大学院修了。1993年7月〜1995年3月、第35次南極地域観測隊に参加。1997年、郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構、通称NICT)に入所。電磁波計測研究所センシングシステム研究室長、経営企画部統括、サイバーセキュリティ研究所長などを経て、2022年3月に55歳で早期退職。2023年9月に東京・小平で居酒屋「久重(ひさしげ)」をオープン。

大学時代から憧れていた南極観測隊に大学院生のときにオーロラ研究者として参加。その後、情報通信研究機構(NICT、旧郵政省通信総合研究所)で研究者としてキャリアを積んだのち、研究開発基盤整備や組織運営などのマネジメント業務を担ってきた久保田実さん。次の新しい人生を歩もうと55歳のときに早期退職を決断します。次のキャリアに選んだのは、好きな料理の腕を生かした「居酒屋」の店主です。

地元・東京都小平市で2023年9月にオープンした「久重」は14坪のこぢんまりした店。オーロラ学者だった久保田さんは、今ではカウンターで包丁を振るいながら、地元の人たちがくつろげる店づくりに奮闘しています。

オーロラ研究で憧れの南極観測隊に参加

高校時代に興味を持った地球物理を学ぶために東北大学に入学。専門分野を決める際は、「南極観測隊に参加できるチャンスがありそうだ」と超高層大気物理学(オーロラ)を選択します。
「昔から、人が行ったことがないところに行ってみたいという冒険心が強かったんです。南極観測隊には絶対参加したいと思っていました」
熱意と研究成果が認められ、1993年7月から1995年3月までの1年半、南極観測隊として南極へ。
「南極という場所が持つ魅力もありますし、そこで出会う人たちからたくさんの刺激を受けました。本当に楽しい時間でしたね」
昭和基地には、さまざまな分野の研究者はもちろん、インフラや日常生活をサポートする多様な人材が集まり、ひとつの社会を形成。研究室では出会えないような人とのつながりに、若き日の久保田さんは大きな充実感を得ます。
「オーロラの観測は冬の時期だけ。日が沈まない夏の間は、基地の建設作業を手伝っていました。そのときに一流のとび職の方と仕事をして、そのプロの仕事ぶり、プライドにも感動しましたね」
憧れの南極観測隊での日々は、充実した楽しい経験ばかりだった(写真提供:久保田実さん)

現場の研究員から経営マネジメントへ

帰国後は、大学にドクターとして2年在籍。その後、郵政省通信総合研究所(当時)に入所し、研究員として「電離層」の研究を続けます。オーロラの動きは大気中の電離層に大きく影響し、それによって電波の届きやすさが変化。通信において重要なテーマでした。
久保田さんは研究員時代に、新しいタイプのオーロラを発見するなど成果を上げるとともに、アラスカ大学との共同研究、国内のロケット打ち上げプロジェクトにも参加。さまざまな経験を重ねています。
総務省出向中の久保田さん(写真提供/久保田さん)
しかし、年齢を重ねるにつれ、研究員から管理職、経営マネジメントへとポジションも変わっていきます。同じ頃、研究所も情報通信研究機構に改称し、そのミッションも時代に合わせたものへと大きく転換していきます。
「研究所設立当初は電離層の研究がメインでしたが、通信、特にインターネットが重要なテーマに変わってきました。ビッグデータの処理やサイバーセキュリティの研究などにも取り組むようになっていったんです」
40代で研究員を卒業。経営企画など研究所全体のマネジメントや研究開発基盤整備、管轄官庁である総務省との折衝業務などを担うようになります。
「もちろんいちばん楽しいのは研究ですが、マネジメント領域でも大きなやりがいを感じていました。総務省とのやりとりでは役人の世界を垣間見ることで、使命感を持って働く姿に感銘を受けました」

「このままでいいのか?」と、居酒屋開業を決断

研究と違い、組織運営ではさまざまな部門を担当することになります。ときには面白いとは思えない仕事をせざるを得ないこともありました。そんな中、「将来は役員になるルート」が見えたときに、ふと立ち止まる自分に気がつきます。53〜54歳の頃でした。
「組織運営ではやりたいことよりも、さまざまな政治的判断をすることが大事になります。それよりも、もう一度、現場で地に足のついた仕事がしたい。そんな気持ちが生まれてきました」
頭に浮かんだのは、学生時代から冗談半分で口にしていた「将来は居酒屋をやりたい」という夢です。東北大学時代、仙台の魚市場に通い魚を仕入れて調理。それをさかなに仲間とワイワイ食べたり飲んだりするのが楽しみでした。
「研究所時代にスタートアップ支援の仕事を担当していたことも、自分で店をやりたいという気持ちを後押ししてくれました」
そんな気持ちが固まってきたときに回ってきたのが、早期退職者募集のメール。メールを見た瞬間に心は決まりました。
「研究所を辞めて、居酒屋を開こう!」

開業まで1年半。調理師学校や居酒屋バイトで準備

すぐに退職の意思を伝え、半年後の2022年3月の退職が決定。退職後すぐに簿記3級を取得し、調理師学校にも通い始めました。
「飲食店の経営に必要なのは料理のスキルだけではありませんから」というように、資金面やコンセプト、資格…。それ以外にも、知っておくべきこと、準備すべきことが膨大にありました。
「昼は調理師学校、夜は居酒屋でアルバイトをしながら、さまざまなノウハウを学びました」
居酒屋ではメニュー開発や店舗経営の裏側など、現場のリアルを経験。調理師学校では、レストラン経営論、出店計画、コンセプトづくりなどの授業もあり、自らのコンセプトをブラッシュアップしていきました。
そこで思いついたのが「総菜の販売」です。「居酒屋だけで売り上げをつくるのは難しいので、総菜を同時にやるといいのでは?」。そんなアイデアをベースに、学校の先生にも相談しながら、店のイメージを固めていきました。
花小金井駅より徒歩6分。住宅街の一角にある久重には総菜コーナーも(写真提供:久保田実さん)

おいしい野菜と豆腐料理で地元に愛される店に

並行して進めていた店探しも、ようやく地元の花小金井駅近くでイメージに近い物件を見つけることができました。
無事、2023年9月にオープンした「久重」は、いわゆる「ザ・居酒屋」というよりも、明治初期をイメージした和モダンな雰囲気で、女性ひとりでも入れるのが売りです。
「ターゲットは地元の子育て世代からシニアまで。地元の野菜を使って、彩りと季節感がある料理が味わえるのがコンセプトです」
14坪の店内はカウンターに2掛けのテーブルが2席で、シックな雰囲気
「この年ですから、居酒屋で大もうけしようとは思っていない」という久保田さん。大事なのは、赤字を垂れ流さないようにして、長く続けることです。

大変なことは想像以上。それでもやりがいはある

オープンしてまだ半年。ようやくペースがつかめてきたところです。仕込みから料理、接客はもちろん、経理やスタッフ募集、集客のためのSNS対策…。それらをひとりでこなすのは、予想以上に大変です。
「オープン2、3カ月後にようやくペースがつかめてきました。お客さんの入り具合はまだまだ不安定ですが、何度か通ってくれる方もいます。ここから、もう少し売り上げを伸ばすのが目標ですね」
「研究所時代のことはもう忘れてしまいました(笑)」というほど、居酒屋に打ち込む日々が続いています。
気取らずにおいしい料理とお酒を楽しむことができる店に(写真提供:久保田実さん)

夢への準備をすることも重要

久保田さんは55歳で退職し、全くの異業種に挑戦しています。その経歴はマイナスよりも、プラスになることのほうが多いと感じています。店舗運営に必要なITスキル、さまざまな分野の人たちと交流して身についたコミュニケーション能力。
「ずっと飲食店でやってきた人が開業するよりも、有利になる点も多いんじゃないでしょうか」
また、夢を確実に現実にしていくには、しっかり資金を確保することも重要だとアドバイスします。
「開業資金は退職金でまかないました。僕はずっと共働きだったので、もし店がうまくいかなくても、家族全員が路頭に迷うことにはならないという安心感があったのも、チャレンジできた理由です」
思いだけではなく、現実的なリスク回避のための準備をしておく。それが希望するセカンドキャリアの扉を開くポイントでもあります。
人生は一度きり。「やりたいことがあるなら、やってみたほうがいい」と久保田さんはきっぱりと語ります。
「そんなの甘っちょろい、という人もいるかもしれません。しかし、僕はずっとやりたいことをやってきました。それができたのは、やりたいことをやるために自分がどう動くべきか、何が必要なのかを常に考えてきたからかもしれません」
中高年でセカンドキャリアを選択するには、体力も必要です。飲食業開業のためではありませんでしたが、久保田さんも40代半ばからジョギングや筋トレで体力づくりを習慣に。体力勝負の飲食業では、その基礎体力も武器になっています。
今のセカンドキャリアは、「まったく違う別の人生をリスタートしたというより、自分の世界がひとつ増えた感覚」という久保田さん。70歳くらいまで店を続け、その後はお店を気に入ってくれる人に譲れたら、と考えています。
「そのときは、今度はひとりの客として店のカウンターでお酒と料理を楽しんでいたいですね」