【AI時代の大疑問】結局「英語力」って、どこまで必要なの?
コメント
選択しているユーザー
仕事で使う「英語力ってどこまで必要なの?」という問いに対する私の答えは、すばりCEFR スピーキングでB2以上です。
英語力を語るときに抜けがちなのは、英語にはリスニング、リーディング、スピーキング、ライティングの4技能があり、日本人の場合、スピーキング力が他に比べて劣るという事実です。
「あの人、TOEIC LRで900点って聞いたけど、会議で一言もしゃべらなかった」なんてことはありませんか?
実は、CEFRは総合力とともに4技能別の力も測ることができます。当社の大量データ分析では、CEFRリーディング&リスニングでB2レベル(TOEIC LRなら800点前後)以上ある人のなかで、CEFRスピーキングレベルもB2ある人は。10人に1人もいませんでした。つまりほとんどの人は読む・聞くはB2でも相応に話せるレベルにはないのです。
当然のことながらグローバルビジネスでもっとも必要なのはスピーキング&リスニングつまり瞬発力です。これは、定型文の繰り返しや暗記でなくて、自分の言いたいことを瞬時に英語で表現したり、相手の発言にすぐに意見を述べるなどの練習時間をどれだけとるかで身につきます。
Chat GPTを暗記してとにかく英語を話すことからでもいいと思いますが、日本人の英語力を考えるときには、スピーキング力にもっとフォーカスすべきと思います。
注目のコメント
ここで述べられているように、「生身の英語力」はビジネスの高度なスキルが要求される場では必要になってくるという、必要性から来るメリットがある一方、「言語によって違う人格の自分」が開発されて自分の違う側面に出会えるというもっと自己成長に近いメリットともあると思う。
私の場合は、英語話してるときの方が人見知りが減り、社交的で自信がある話し方をしてると思う。
言語って単なる人と人の通信手段ではなく、言語が持つ歴史から脈々と受け継いできた地域や国の人格も宿っていて、そういう新しい自分を発見するために言語を学ぶのは、AIには絶対に代替できない部分だと思う。洋楽をよく聴いていたので、中学・高校と英語は好きな科目でした。そこから外国語大学に進み、米国留学を経て、取材でも英語を使うようになり、それなりに話せるようにはなったと思います。戦略的というよりは、やりたいことをやっていたら英語もついてきたというパターンですが、それでも「英語なんてもう勉強しなくていいよ」と言われたら、今まで自分がやってきたことは何だったのか、なんて思ってしまいます。
少し込み入ったメールを書くときは、今でも自分の表現のバリエーションの乏しさを痛感します。そんなときにChatGPTを使うと、かなり洗練されたものに仕上がります。確かにこれを繰り返していると、知らず知らずのうちにいろいろな表現が身についていることに気が付きました。参考書で勉強しなくとも、ChatGPTで"生きた英語”が学べる。AI時代の英語学習とは、そういうことなのかもしれません。結局「英語力」って、どこまで必要なの、という問いにたいする私の答えはシンプルです。
「結局、AIが出てきても英語なんて、そんなに難しくないんだから、普通にペラペラに話せなくちゃダメでしょ」というのが私の答えです。AIで翻訳は確かにできる、しかし面と向かって英語で普通にコミニュケーションしなければ、英語を母国語にする人と本当の意味での友人にはなれません。
目の前にある仕事をこなすにはAI翻訳で充分かもしれないが、そこから仕事を超えて一生付き合える人間関係は生まれてこない、ということです。
どこまで必要なの、なんて聞いている暇があったら、勉強してどんどん話して、普通にコミニュケーションが出来る英語を身につけなければだめ。横着は禁物です。ただ英語より使用頻度の低い外国語は、AI翻訳でもいいと思います。