2024/3/27

【解明】「1→10」人材が持つべきスキルセットの構造

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 持続的な企業成長のために新規事業開発が欠かせない時代となった。しかし、実を結ばず種のまま終わるケースが大半だ。

 その一因は、事業グロースを担う「1→10」人材の不足にある。新規事業を起案しても「1→10」の経験を積んだ人材が乏しくては、事業の発展や継続は難しい。

 では「Air ビジネスツールズ」などSaaS領域にも進出し、新しいサービスを連続的に生み出しているリクルートは「1→10」を担う人材をどう輩出しているのか。

 「Air ビジネスツールズ」の一つである『Airワーク 給与支払』※1において、プロダクト戦略・企画を担当し、事業グロースを担うHRSaaSプロダクトマネジメント室ペイロールソリューション部部長 渡辺和樹氏の話から、「1→10」人材に求められるスキルの構造を探る。

※1 2023年4月より「Air ビジネスツールズ」の一つとして提供している給与支払いサービス。

「0→1」と「1→10」の違い

──事業者の毎月の給与振込業務をオンラインで完結する『Airワーク 給与支払』。立ち上げから急成長を続けています。現在どのような状況ですか。
渡辺 『Airワーク 給与支払』は、2019年にリクルートの新規事業提案制度「Ring」で、準グランプリを獲得し、事業化の検証がはじまったサービスです。
 従業員が給与を受け取る方法や、タイミングを自ら選ぶことができないという「不」の解消を目指し、起案されています。
 私は起案者ではなく、プロダクトの立ち上げの段階でプロダクト戦略・企画担当としてジョインしました。
 当時のメンバーは、私、デザイナーが2人、開発エンジニアが1人。4年で約100人が関わるようになり、現在は部署として確立されるなどハイペースで拡大しています。
──途中からのジョインだったのですね。
 はい。「Ring」で求められる条件をクリアし、「0→1」のアイデアの検証が済んだ段階でした。
 リクルートの「0→1」の条件とは、マーケットの規模、リクルートが解決する意義のある課題に取り組んでいるか。既存アセットを活用し、対象としている社会の「不」を解決しきる可能性があるかなどです。
 また「Ring」の審査基準はどんな価値を提供できるアイデアか、に比重が置かれています。
 一方、「1→10」では、サービスが市場に受け入れられていく過程で起きる課題をどう解消するかまで、深く求められます。
 例えば、人材調達はどうするか、競合にどう対応するか。市場環境要因が含まれ、事前に見通せない課題を解消していく必要がある。
 解決したい社会の「不」に対して「ヒト・モノ・カネ」を継続的に投資する価値があるのか、常に判断され、事業の確立を探るフェーズです。

信用に耐えうる仮説を立て、実証せよ

──どのようなことから着手したのですか。
 この事業をマネージメントできるという「信用」を、初期の段階で得ることに努めました。
 意識したのは“リスクマネージメント”。新規事業は、初期のトップラインが小さい割に、企業にとってリスクが大きい。
 売上も小さく未成熟。だからといって、多くの顧客が満足できないサービスを展開したり、事故を起こしたりすれば、顧客に迷惑がかかり、企業のブランドが棄損される可能性もある。
 特にわれわれが手掛けている『Airワーク 給与支払』は受け取る側、支払う側の双方にとって間違いがあってはいけない給与を扱います。
 そのため「われわれはリスクをコントロールできる」と証明することが特に肝心でした。
──「信用」を構築するために、何を実践したのでしょうか。
 まずはリスクをコントロールするための仮説を描き、最小限の機能を実装したプロトタイプ版を開発した後、試用段階に移りました。
 さらに、万一のリスクの範囲を限定的にするため、試用いただく顧客数を少数に絞りました。
 一方、試用いただく対象は飲食店やヘアサロンなどさまざまな業態に広げ、条件が異なる企業でも安定的に運用できるかを確かめていきました。
──どのようにして顧客を確保したのでしょうか。
 リクルートの強みでもある、さまざまな業界との豊富な顧客接点を活かしています。隣接部署の営業に協力を依頼し、顧客とアポイントをとってもらいました。
 ただ、扱っているのは給与というセンシティブな領域です。営業担当や、アポイント後の顧客にもリスクをどう回避できるか徹底的な説明が求められます。
 トランザクションを処理しきれるか、トラブルが起きた際に即座にシューティングできるか、万一クレームに至った際の対応方法などを全てわれわれが直接話すことで、不安を払拭していきました。
 そして、実際に顧客に試用いただきながら、振込処理や、トラブルシューティングなども全て自分たちの手で対応し、仮説検証を繰り返しました。
 小さなトラブルはありましたが、トラブルの原因を見つけては解決策を体系立てて整理したことで、リスクコントロールの知見を蓄積していった。
 こうした事象を何とか一巡させてようやく、プロダクト開発を本格化する費用として「現在の10倍の予算をわれわれの事業に投資してほしい」と自信を持って会社に起案できる状況を整えていきましたね。

本当に必要としてくれるか常に確かめる

──その後、グロースのための「ヒト・モノ・カネ」はなぜ確保できたのですか。
 どんな課題を持っている方が顧客となり得るのか、解像度高く突き詰めたためです。
 世の中の多くの人が受け取っている“給与を扱う”ため、『Airワーク 給与支払』は一見、広範なマーケットに映ります。
 しかしマーケットが“そもそも小さい”ということも起こりえるんです。
──マーケットが“そもそも小さい”とは、どのようなことですか。
 例えば、多くの中小企業は、ATMや銀行に並び給与を振り込んでいます。ただ、ATMや銀行に並ぶことに手間を感じていない企業はわれわれのサービスを必要としません。
 しかし、それを見極めることは容易ではありません。従業員規模、業態、組織構成などさまざまな要素で変わりますし、数値だけで決まるものでもない。
 そのため、なぜ購入に至ったかだけではなく、なぜ失注したのか、解約されたのか。営業から細かくフィードバックを受けています。
 どのような業態、規模、組織構成の顧客が“どんな理由”で給与振り込みの手間を軽減する必要があるのか。傾向を導き出し、サービスを必要とする顧客の総数を予測しながらトップラインを決めていきました。
──どこまでマーケットサイズがあるか。また伸びるのかを常に確認し、継続的な投資価値があると証明してきたのですね。
 そうですね。さらにリクルートがこの事業に取り組むべきというストーリーを、事業成長に合わせて更新し、報告しています。
 既存事業とのシナジー、売上の見込みの仮説、時流を見据えた先行投資のメリット、かかる費用を提示し、自社がなぜ行うべきか。社会の「不」の解決のために、提供する意義のあるサービスであることを伝える。これをコツコツと繰り返し、積み重ねています。

現実を捉える「柔軟性」を

──「1→10」を実践するにあたりどのようなスキルが必要だと感じますか。
 具体的に課題を設定し優先度をつける力。現実をきちんと捉える力です。
 組織全体で、今対処すべき課題は何か、細分化することを特に意識しています。ここがあいまいだとメンバーが苦労して対応した開発など、個々の取り組みが水の泡になってしまうこともある。
 一方、課題を具体的に設定していても、急に山の登り方を変えなければならないことがあるのも「1→10」の特徴です。
 マーケットの状況によっては、どれだけ苦労した取り組みでも、想定通りにいかない時がある。そのタイミングで、過去に描いた絵図に執着していても仕方ありません。
──山の登り方を変えるのは簡単ではないように思えます。
 もちろん簡単ではありません。そのため、1から2、2から3へと進む時に、どういう道を辿るのか。
 道がふさがっていたら、次はどちらに進むのか。二の矢、三の矢となるリスクプランを常に用意しています。
 マーケットに合わせて柔軟に事業の舵取りをする。現実をきちんと捉える力も「1→10」に求められるスキルですね。

「1→10」。いや「1→100」を目指せ

──渡辺さんはプロダクト戦略や企画の立案は未経験だったと伺っていますが「1→10」を担うスキルをどのように身につけたのでしょうか。
 リクルートには事業の種を考えたり、新規事業を試みたりする人材が豊富です。
 社内には起案止まりになった新規事業の資料が数多くあります。深く練られているもののその時々の時流やマーケットの状況によって、実現しなかった起案も多い。
 こうした過去の起案の資料の中に、現在われわれが求めている情報が含まれていることがあるため、取り入れられる要素を探していきました。
 また資料だけでは詳細がわからない場合は、当事者に連絡しヒアリングしています。
 特に役立ったのは、金融関連のサービスにまつわる知識です。過去に金融関連のサービスを起案した際に、どのようなハードルがあったかを聞き、事業グロースの段階で起こりえる課題の解像度を高めることができています。
 時には、現在、どんなサービスを手掛け、何を実現しようとしているのか意見交換の場となり「1→10」フェーズでのKPIの設定の方法や、よいUI/UXとは何かなど専門性が高まったこともありますね。
──新規事業開発に積極的で、オープンな社風というリクルートの強みを活かした。
 はい。また『Airワーク 給与支払』をグロースする上でありがたかったのは、コンプライアンス、法務、経理などのバックオフィスの体制が強固な点です。
 新しい事業への挑戦が根付いているため、迅速かつ杓子定規ではない回答が得られました。
 特に、2019年当時のリクルートは、お金を扱う領域のルールが大手金融サービス企業ほど成熟しきっていたわけではなかった。プロダクトを進めながら、ルールを固めていくこともありました。
 その中で法務から、よりリスクが少なくユーザーファーストのサービスにするためにはこうすべきと、サービス設計につながる選択肢を提示してもらえた。これは大きなバックアップになっています。
 また当時の私は、給与などの法律については門外漢で、専門書を読み、勉強を重ねている最中でした。
 自分なりの仮説や見解を伝えながら、法務にアドバイスを求めることを心掛けたところ、常に精度が高くわかりやすい回答が返ってきた。
 専門性を身につける速度が早まったことも、スピード感を持った事業成長につながっています。
──リクルートという組織の力を活かし『Airワーク 給与支払』を今後どう発展させていこうと考えていますか。
 リクルートは事業規模が大きく、世の中になくてはならないビジネスをいくつも抱えています。
『Airワーク 給与支払』がリクルートという組織の規模に見合うビジネスになるためにはまだ時間はかかりますが、さまざまな既存事業とのシナジーを生むことができれば、「1→10」といわず「1→100」も達成可能です。
「1→100」に達すれば、われわれが考えている給与の支払いにまつわる社会課題を、根本から解決できる可能性がある。
 そう期待できるのはリクルートという企業ならではのダイナミズムだと思います。
 もちろん「1→100」に達するためには、現在の『Airワーク 給与支払』が持つ機能をさらに磨く必要がありますし、場合によってはサービスの方針転換もあり得ます。
 事業グロースを続けるということは、常に新たな課題に向き合うことと同義です。
 ただ課題に直面した際も、リクルートという組織に蓄積されているケイパビリティを活用し、学び続ければ解決できる。
 組織一丸となって、この環境を柔軟に活用し、知識を深め専門性を高め合うことができればいつか「1→100」にもきっと到達できると、私は考えています。