2024/2/15

【福島から学ぶ】なぜ地方創生は“まち”の課題を起点とするべきか

NewsPicks Brand Design / Editor
 東日本大震災から12年。

 現在、福島ではインフラや公共施設などハード面の復興が完了しつつある。さらに移住誘致や起業家支援といった産業振興にも精力的だ。

 その結果、意欲に満ちた人材が集い、地方創生の新たなモデルになろうとしている。

 一方で、東京電力福島第一原子力発電所の廃炉や除去土壌の県外処分をはじめ、長期的に解決すべき課題も残る。

 では、福島は持続可能な都市になるためどんな取り組みをしているのか。福島で活躍するキーマンたちを招き、NewsPicks BrandDesignはイベントを開催。

 地方創生のあるべき姿にまで話が及んだ有識者たちの白熱の議論をダイジェストで伝える。

持続可能な街には起業カルチャーがある

木下 福島では多くのプレイヤーが地方創生に向き合っています。どんな取り組みが盛んなのでしょうか。
和田 福島県東部の太平洋沿いにある浜通り地域では、地元の特色を活かしたスモールビジネスが次々と誕生しています。
 例えば、「Craft Sake Brewery」という多品種少量生産の酒蔵、1足30万円程のクラフトメイドの革靴を作る工房。
 さらに約400騎の騎馬武者が疾走する「相馬野馬追」に関連付けたホースセラピーなど、面白い動きが満載です。
 浜通り地域は、3.11の原発事故により避難を強いられ、生活や経済活動がリセットされました。誰もいなくなった地域だけに、生活、コミュニティ形成、産業振興など様々な課題があります。
 この課題を解決するため「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」ことをミッションに、宿泊可能なコワーキングスペースを立ち上げ、創業支援に力を入れています。
 ここに続々と人が集まってきています。
木下 ハイテク産業ではなく生活に身近なスモールビジネスが盛り上がっているのは魅力的ですね。
和田 はい、国や自治体はハイテク産業の創出や企業誘致に注力しがちです。ただ、持続的に都市や街を発展させるためには、その土地に起業文化が根付くことが重要です。
高橋 同感です。経済的な自立があってこそ地域は持続可能になります。
 浜通り地域は長年にわたって原発産業に依存してきました。震災という痛ましい災害の影響もありますが、未来永劫続く企業や産業はないと感じたはずです。
 政府や地域外の企業に頼らず、柔軟性に富んだ起業文化を生むことは経済的な自立の支柱になります。
太田 私も地方創生に携わる中で、全国100以上の地域を回りました。その過程で実感したのは、素晴らしいポテンシャルを持った地域の大半は長いものに巻かれていないこと。
 むやみに補助金事業に取り組まないなど、政府に頼らず、自分たちで未来を切り拓くマインドを持っています。
 その最たる例が福島の会津地方です。会津といえば「スマートシティ会津若松」で有名ですが、それも民間主導だからこそ成功したのだと思います。

独自のハイコンテクストを探れ

木下 日本の生産年齢人口は1990年代から1000万人以上も減りました。もはや大量生産、大量消費の第二次産業を軸にした産業構造では地域を持続的に発展させることは難しい。
 早くから成熟社会となった欧州を見ると、ワインやチーズ、皮革製品などのローテク分野にこそ、付加価値が高く、世界と戦えるものが存在しますよね。
高橋 私自身、3.11以降は福島の食にまつわる取り組みに注力してきました。地域特有の食やクラフトは、規模や効率性といった第二次産業の強みにはない付加価値を生めます。
 実際、インバウンドの観光客の多くが独自性の高い食文化を求めています。また輸出に関しても、アジアの中間層や富裕層が最高級のグルメを探しています。
 このニーズを満たせるのがまさに日本の地方都市です。
木下 食もそうですし、海外を含め、外部の需要を取り込んで、地域に新しいお金の流れを生み出す付加価値があるかがポイントになりそうですね。
太田 食やクラフトへのこだわりもさることながら、それらが織り成すストーリー性も重視されていますよね。
和田 そうですね。先ほど触れた靴職人の話でいえば、すでに何カ月も先まで注文が埋まっている状態です。
 海外からの問い合わせも増えており、わざわざフィッティングのためだけに県外からもお客さんが福島まで来ています。「Craft Sake Brewery」も常に注文待ちです。
高橋 まさにその土地の歴史や文化を深掘りした発信は重要です。
 また、福島は3.11以降、様々なハンデを背負いましたが、その分、多くの人たちのモチベーションも信じられないほど高い。手間暇を惜しまず食やクラフトに向き合っています。
 こだわりとハイコンテクストなストーリーの両輪が回っているため、消費者の心に届いているのだと思います。

「廃県置藩」で経済的自立を

木下 歴史や文化などの実感や説明をないがしろにしたローコンテクストな集客は大量生産・大量消費、団体旅行などの終焉とともにすでに限界を感じます。
 例えば、奈良では大勢が知っているシンボルとして大仏と鹿を前面に打ち出し、集客していますが、それだけでは現状維持。観光客の再訪意欲を刺激できません。
 むしろ数百年前と変わらない情景を残す「奥大和」などの魅力を掘り起こし、体験型のコンテンツを育て上げるべきです。
 福島でいうと相馬にも会津にも、藩政時代からの歴史や文化が豊富にありますよね。
高橋 まさにそうですね。私も2021年に浪江町に移住し、2023年には浪江町を含む「相馬藩」を新たなコミュニティとして復活させようとしています。
 避難解除したばかりのまっさらなエリアに「驫の谷」という団体を立ち上げました。
 相馬藩にはまだ「殿」が現存しています。地域に根付いている馬事文化をベースに、殿と共に合議を行い、コミュニティの拠点やサービスを作り始めています。
 地域全体の交流人口を増やし、観光需要を創出し、自律分散型のコミュニティを構築するつもりです。
太田 アクセンチュア・イノベーションセンター福島のセンター長を務め、会津のスマートシティの立役者だった故・中村彰二朗さんは「廃県置藩」という考え方を提唱していました。
 明治時代の廃藩置県と逆行するわけですから一見すると突飛な発想に思えますが、合理的な面が多々あります。
 また藩単位の方が長年にわたって地域に根差してきた文化や魅力を正確に掘り下げ、活用もしやすい。
木下 たしかに幕藩体制下において、各藩は基本的に独立採算制で、自分たちでしっかりと稼ぎ、その一部を上納していました。
 ところが明治以降、特に戦後は地方交付税交付金も含めて、地方にお金が大量に配分されるようになり、箱もの行政が蔓延してしまった。
 戦後復興の時期などはそれが奏功した面もありますが、あまりにも依存し過ぎた結果、地域経済の自立とは真逆の方向に進んでいます。
 日本は良くも悪くも、団塊世代の常識に沿った経済活動を続けてきましたが、シフトチェンジするべきですね。
高橋 だからこそ、私たちのような中堅が中継ぎをしながら、できるだけ早く起業を担う若者にバトンを渡すべきです。
 福島をはじめ、地方都市は若者が少ない。移住も、関係人口も積極的に取り込まなければいけない。
 その時に大事なのは地域側が多様性や寛容性を持ち合わせているかどうかです。
 若者たちが自由に自己表現できる環境を生み出せれば、自然と意欲的な若者が集まってくると実感しています。
和田 たしかに地方都市では「出る杭は打たれる」ことがあります。
 ただ、3.11の被災地の方たちは避難によって自分たちが“よそもの"になった経験があり、地域外の人に寛容です。
 浜通り地域で実際に起業に挑戦しているのは、主に首都圏から来た20代、30代の若者たちです。
 起業の文化がある場所で一念発起したい。そう考えた若者に来てもらい、その土地独自の魅力を活用し何ができるかについては私たちのような支援者が伴走する。
 福島はその素地が整いつつあるため、日本で最も地方創生がしやすい地域だと思っています。

忘れられつつある「除去土壌」

開沼 福島が完全復興を果たす上で、解決すべき問題が、除染で出た除去土壌の移設、最終処分です。
 そもそも除去土壌とは何かポイントを紹介します。
 用地確保は住民の葛藤の中で進められ、2045年3月までに県外に移され、最終処分される約束です。
 ただ県外の8割の人が除去土壌を福島県外に移し、最終処分が必要であることを知りません。県内でも5割程度といわれています。
 では、どうすれば一人でも多くの方が関心を持つか。
 高村さんは以前、福島のテレビ局に在職し、3.11の緊張感が漂う中で様々な取材に取り組まれましたが、どんな印象を持っていますか。
高村 報道記者として6年半ほど勤務する中で、除染や除去土壌に注目してきました。当時は日常生活で目にするため意識せざるを得なかった。
 しかし、今はほとんどの除去土壌が中間貯蔵施設に移され、多くの人が存在を意識しなくなっています。
 報道機関は視聴率のためにも、日々の新しい出来事を取り上げてしまいがちです。
 ただ除去土壌の問題は大熊町や双葉町に移しただけで、何も解決していませんし、その行方について継続的に伝える工夫が必要だと感じています。
開沼 小山さんは福島大学の食農学類の教授を務め、震災当時から農地の放射線量の測定に携わられてきました。どんな情報発信が必要だと考えますか。
小山 除去土壌に関心を持つ方に、様々なエビデンスをもっとしっかり伝えることが肝心です。
 東日本大震災当時、農業事業者を中心に、近隣の地域の放射線量を調べてほしいと、依頼されました。
 特定の箇所のみではなく面的な測定を行い、測定した結果を地図上に落とし込むなど可視化し、地域の農家の皆さんに提示しました。
 多くの農地で作付け制限の基準を超える農地はほとんどない。年間被ばく量も基準値を超えないことがわかった一方、特定の圃場で高い値を示すことがわかり、エビデンスに基づきゾーニングをすることができました。
 このような取り組みが安全な農業の前提となっています。
 除染に関しては、2011年から数年間は地域住民の不安払拭を優先し、放射線量の高さを精緻に区別せず、除去土壌を中間貯蔵施設に移設しています。全量の4分の3もの除去土壌の放射線量が低いのは、これが理由です。
中野 我々環境省も一貫して、除染や中間貯蔵の安全性をエビデンスとともに広報してきました。
 ただ関心を持たない方に広く知ってもらい、自分ごととして捉えてもらうための方法については、課題を感じています。
 そのため安全性を伝えるだけではなく、対話や体験を通して、除去土壌をよりリアルに感じてもらう取り組みを今後強化することが必要だと思っています。

エビデンスだけでは自分ごと化できない

開沼 たしかにエビデンスだけでは人の心を動かすことはできませんし、なかなか関心が持ちづらい。
 またこういうセンシティブな問題となると、危険だ、安全だと議論が二極化し、対立構造が際立ちがちです。
 前向きに対話を重ねていくにはどうしたら良いと思いますか。
太田 科学的に安全というのと、自分が安心だと感じるポイントには大きなギャップがあります。ただ、科学へのリテラシーが高まれば感じ方が変わるのではないでしょうか。
 特に放射線のような理解が難しいものは不安になり、つい陰謀論に流されてしまったりするわけです。
 まずは小さなことからでも科学を“自分ごと化”できる仕組みを作るべきです。
 私はCode for Japanという市民科学を推進する団体の理事を務める中で、土中環境をオープンデータにするプロジェクトを2023年に立ち上げました。
 一般の方が科学的なデータに携わる機会になっています。
 またコロナ禍の際に、東京都が患者数やPCR検査の状況を確認できるウェブサイトを作成しています。
 このウェブサイトは、中学生からお年寄りまで300人ほどの民間の方が、保健所のデータの収集や可視化に協力して出来上がっています。
 さらに、そのデータをオープンソースで公開したことで、全国の自治体で近しい取り組みが行われました。
 このように科学的な情報への“関わり代”を増やせば、リテラシーが高まり、情報の信憑性を自身で調べられるようになるのではないでしょうか。
小山 私たちも生協やスーパーなどの小売店の方々に声をかけ、農地の線量測定をしてもらったことがあります。
 安全な農地が多いと実感いただき、福島応援ギフトなどを生協が作るきっかけになりましたね。
中野 かつての公害問題は煙や排水の色などで、体感的に公害の状況を捉えることができました。
 しかし、放射線は目に見えず、測定してみなければその存在を確認することができません。
 安全に管理していることと、大熊町と双葉町の負担を知ってもらうには、現地に来てもらうことが最も理解がすすむと考えています。
 そのため、中間貯蔵施設の見学ツアー内でも、放射線量の測定など体験をしてもらう機会を設けています。
 また、中間貯蔵施設の広大さを体感することで、大熊町と双葉町の負担をリアルに感じていただきたいという想いもあります。

コミュニティが関わり代を増やす

開沼 体験の機会を増やすことがキーになりそうですね。では、例えば、公害の水俣病の後に水俣市はどうしたか。
 水俣病の原因物質の有機水銀を容器に入れ、その上を埋め立て、道の駅や野球場を建設しています。この事実は公表されていますし、水俣病や有機水銀について伝える資料館も併設されている。
 ネガティブなことを覆い隠すのではなく、オープンにして関わり代を増やす。マーケットにビルドインし体感の機会を増やす必要性を感じます。
太田 マーケットにビルドインするため、人の心を動かすアートなどの力を活用するのも一案だと思います。
 先日、避難指定地域だった飯舘村の「図図倉庫(ズットソーコ)」という施設を訪れました。
 アート、自然、サイエンスの要素が見事に融合した施設になっており高い体験価値がありました。
「図図倉庫」は復興のための地域活性化の拠点であり、放射線について理解を深める展示も行われています。
高村 私もアートやクリエイティブの可能性を感じます。またリスキリングの潮流に乗り、学びの機会にもできると思います。
 先日、中間貯蔵施設の見学ツアーに参加しましたが「他の地域では得られない経験があるから参加した」という方がいました。
 先行きが不透明で、不確実性の高い時代において、座学ではない経験を通じて知見を深めたいというニーズが拡大しています。
開沼 社会課題を、アートやサイエンス、教育を通じて伝え、解決を目指す。そうしたコミュニティが増えていることに可能性を感じますね。
太田 3.11が発生した2011年は「コミュニティ元年」といわれています。Code for Japanもその気運の中で生まれました。
 現在は全体で約7000人のコミュニティで、各メンバー間で様々な情報交換をしています。
 マスコミュニケーションやSNSは人数が多く、アテンションの取り合いになる。
 そうではないコミュニティの中でのコミュニケーションは信憑性も高く、ビジネスや課題解決のアウトプットが生まれやすい、面白い情報の伝わり方だと思います。
小山 おっしゃる通りですね。その上で、放射線の問題や、風評被害の問題など、解決したい課題と人が出会った時に、課題解決に必要な正確なエビデンスを学ぶための仕組みが作れれば、尚良いと思います。
開沼 社会課題を知り、正確なエビデンスのもとに行動を起こす人が増えれば理想的ですね。
 3.11の問題は広域かつ全産業に及んでいたので、高齢者や既得権層も巻き込みながら、事を進められました。
 しかし震災から12年が経ち、全世代が一蓮托生になるのは難しくなっています。
 この状況下でも、福島で面白いコミュニティが生まれたら知ってもらう。除去土壌との関わり代が増えたのであれば知ってもらう。
 コミュニケーションの方法を模索し、対話を続けることで少しずつでも状況が変わればよいと考えています。