【深井×鈴木健】今、投資するべき分野は「人文知」だ
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注目のコメント
鈴木さんがずっと言っている「複雑なものを複雑なまま受け入れられるようにする」ことと教育の関係について、とても興味深い対談でした。深井さんがCOTENで取り組んでいる歴史のデータベース化が実現し広がった暁に何が起こるのか。とても楽しみです。
複雑なものを複雑なまま、個人としても社会としても受け入れたい。
一方で、そうできない限界・現実があるという「複雑性」もあるとも思っている。自分自身のことで言えば、年を取るごとに昔より複雑な具体をそのまま受け入れる力は減っていると感じる。一方、過去の具体の蓄積から抽象化・単純化することで、総量としては受け入れる力が上がっているように感じている。
教育によって、複雑なものを理解できるようにすることの重要性はその通り。今では、小学校とかでさえも昔の天才でさえ知りえなかったことを教えているし知れる。
一方で、複雑だからこそ理解しきれない・全員が理解できるものでもないという現実も忘れてはいけないと思っている。
理解しきれるわけではないという知への誠実性や、たまたま理解できた幸運やそれを当たり前と思わないこととか。
教育の重要性はありつつ、教育にすべてを帰着させたり、理想を求めすぎることもリスクだと思っている。
教育は価値観も反映し、共感されるものもあれば反発されるものもある。教育の有無や教育に対してのスタンスを推しすぎることも、個人的にはなめらかな社会の敵になりかねないと思っている。
言葉を選ばずに言えば、幸運にも教育を受けられてきたもののSnobbism(上から目線)を伴いかねないリスクもある。ここらへんはShy Trump(隠れトランプ)現象などにもつながる点。コテンラジオとデータベース事業は知っていましたが、背景として複雑なものを複雑なまま理解するという思想があったとは存じ上げませんでした。
データベースは解釈を併記するとのことですが、過去のことに出会う「身体性」であったり、「時代性」を包含する仕組みがあると理想ですね。とある作家の生い立ちとその環境を調べるために、地方の図書館で資料を探したときのことです。同じ地域にあっても、県立か、市立かで資料が異なり、司書のセンスや視点で見つかる資料やその順番が異なしました。さらには予算という縛りもあって。この過程をフラットにしてしまうと、「私」に浮かび上がってくる「歴史」は違うなあと。
なめらかな社会の複雑な歴史のデータベース、興味があります。