日本人の7人に1人境界知能の苦悩「頑張らない」「努力できない」は誤解だと発信する当事者の思い
コメント
注目のコメント
ここで語られている内容は、身体機能についても、人格についても当てはまることで、もしかしたら年齢の数字や性的嗜好などについても同様のことが言えるかもしれません。
人間には個性の幅があるものの、それぞれの物差しには多くの人が落とし込まれる「標準」という狭い範囲があって、その範囲を外れた場合に多くの人から「障害」と捉えられます。
しかし、本来ならそれらは個性の幅であり、尊重され、個々人の必要に応じて支援が差し伸べられるべきものです。このようなequityの考え方は、equalityと明確に区別される必要があります。
equalityの考え方では、高い壁の向こうの景色を見るために、身長の異なるそれぞれの人に同じ高さの足場が提供されます。一見「平等」ですが、それでは身長の低い人には景色は見えません。equityの考え方では、それぞれの人に必要な異なる高さの足場が提供され、皆が同じ目線で向こうの景色を見ることができます。後者の捉え方が、IQについても、身体機能についても、必要とされています。私が社会人になった1980年代に較べて、ホワイトカラーの仕事の難易度は明らかに上がっているように感じます。
IT化が進んで情報量が拡大していくと、それに着いてこられない人の数は増える。そうでない方も日々努力をしないと置いてきぼりを食う恐怖を感じている。境界線どころか半数以上の方々はどんどん生き辛い世の中になっていく気がします。今後はホワイトカラーの仕事の多くはAIに代替されていくと、どんな世の中になっていくのでしょうか。
社会の置き去りにされた方々がベーシックインカムで生きていく世の中になったら、それは豊かな社会なのでしょうか。境界知能の問題について考えさせられるNP番組を思い出しました。↓(HORIE ONE)
港区・歌舞伎町の「グレーな課題」【鈴木涼美】 https://newspicks.com/live-movie/3156/?invoker=np_urlshare_uid194272&utm_source=newspicks&utm_medium=urlshare&utm_campaign=np_urlshare
知的障がい者とまでは判断できない人たちが結構な割合でいて、その人達がSNS等で単純に「お金になる」と言う事実に乗ってしまう…「情報過多によるセーフティネットの崩壊」…。
『個性』と一言で片付けられない側面もあるのでは??
と思いました。