(ブルームバーグ): 2013年10月、アップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)宛てに1人の人物がメールを送信した。カリフォルニア時間午前1時頃に送られた同メールには、当時のアップルにとって魅力的な売り文句が並んでいる。

「私ならアップルを医療、フィットネス、ウェルネス市場でのトップブランドに育て上げる新しいテクノロジーの波を開発できると確信している」。後に法的文書として採用される同メールにはこう書かれていた。メールを送信してから約10時間後、この人物はアップルの採用担当者から連絡を受けた。そこから数週間後には、アップルでヘルスセンサーを搭載するスマートウオッチの開発に携わっていた。

慌ただしい動きが始まった。アップル入社から数カ月もたたないうちに、このエンジニアはウエアラブルデバイスから人の血中酸素濃度を測定するためのセンサーとアルゴリズムに関する特許十数件を申請するよう会社に要請した。ただ、この人物は普通のエンジニアではなかった。医療機器を手掛けるマシモの関連会社であるサーカコア・ラボラトリーズで最高技術責任者(CTO)を務めていたのだ。マシモは、Apple Watchに搭載された血中酸素センサーを巡り、アップルと特許紛争を繰り広げている。

Apple Watch販売禁止、ホワイトハウスは覆さず-アップルは上訴

この人物、スタンフォード大学の工学博士号を持つマルセロ・ラメゴ氏を採用するというアップルの決断が、マシモを提訴に突き動かす火種になったとみられている。アップル側は何ら不正行為はなかったと主張しているが、マシモ側は自社の特許が侵害されたという主張の一環として従業員の引き抜きを挙げている。両社の法的闘争は今月、Apple Watch「シリーズ9」と「ウルトラ2」の販売停止措置に至った。Apple Watchの年間売上高は約170億ドル(約2兆4000億円)だ。

米連邦特別行政高裁は27日、米国際貿易委員会(ITC)によるApple Watchの販売禁止措置を一時停止する判断を下し、アップルは米国内の同社小売店舗の一部での販売を同日再開すると発表。オンラインでの販売も28日に再開する。

カリフォルニア州アーバインに本拠を置くマシモは、同社が誇る資産である血中酸素測定機能やそのノウハウをラメゴ氏がアップルに持ち込んだと訴えている。この機能により、Apple Watchは健康機器としての色合いを強め、ウエアラブル市場でのベストセラー製品としての地位を確固たるものにした。

ラメゴ氏は2003年にリサーチ・サイエンティストとしてマシモに入社。2006年頃にサーカコアのCTOに就任した。サーカコアはマシモからスピンオフした会社で、両社ともジョー・キアニ氏がCEOを務める。キアニ氏は、両社が持つ多くのコア技術の開発に貢献してきた。

マシモ側の弁護団によれば、ラメゴ氏は血中酸素測定機能の開発方法については事前に知識を持っていなかった(同氏のそれまでの研究分野は健康センサーではなく神経インターフェースに関するものだった)。同弁護団は、ラメゴ氏がマシモとサーカコアで血中酸素測定を巡る技術開発の方法を学び、それをアップルに提供したとしている。

ラメゴ氏は、入社から1年もたたない2014年7月にアップルを退社。マシモ側は、同氏の退社までにアップルは必要なものを手に入れたと主張する。長年アップルの幹部を務めてきたスティーブ・ホテリング氏によると、ラメゴ氏が退社したのはアップルになじめなかったというのが真相。ラメゴ氏は上司らと衝突し、数百万ドルの予算を要求し、エンジニアを勝手に雇う権限さえ求めたという。ホテリング氏が特許訴訟での証言で明らかにした。数週間の話し合いの後、ラメゴ氏はアップルを去った。

初代Apple Watchが発表されたのは、その約3カ月後の2014年9月。血中酸素濃度センサーは搭載されておらず、代わりに脈拍測定機能など、より基本的な技術を採用していた。

アップルが最初にラメゴ氏に入社を打診したのは、冒頭に紹介したクック氏宛てのメールの約1年前。2013年にアップルとマシモの幹部が会合を持ったタイミングと前後する。その時にはラメゴ氏はアップル入社を断っていた。ただ、マシモのCTO就任をキアニ氏から却下されると、態度が変わったとマシモ側弁護団は主張している。

アップルがマシモ幹部らと面会した当時、アップルはApple Watchの開発を強化できる技術と人材を求めていた。マシモは2020年に提起した訴訟で、アップルが同面会を利用してマシモが持っている技術について学び、人材獲得のための土台を築いたとしている。ラメゴ氏だけでなく、元最高医療責任者(CMO)やその他スタッフ約20人を引き抜いたと主張する。

ラメゴ氏のメールはマシモ弁護団にとっては重要な証拠となったが、血中酸素濃度測定機能の開発は同氏退社後の2014年後半に開始されたとアップルの上級エンジニアが証言したのを受け、判事にはあまり響かなかった。さらに判事は、アップルによるマシモ従業員引き抜きに関連する訴えの一部を退け、「競合他社を含め、他社から従業員を募集または雇用することは、それだけでは不適切な手段とはならない」とした。アップルが企業秘密を盗んだとの訴えも退けた。

ラメゴ氏はアップル退社後、自身の会社トゥルー・ウエアラブルズを立ち上げた。2016年には「Oxxiom」という名前で血中酸素濃度測定機器をリリース。マシモはトゥルー・ウエアラブルズも訴え、製品の販売を差し止める裁判所命令を勝ち取った。ラメゴ氏はコメントの要請に応じなかった。

マシモが最初の訴訟を提起した時には、アップルはまだ血中酸素濃度センサーを市場に投入していなかった。しかし提訴から8カ月後、同センサーを新たな目玉機能として搭載したApple Watch「シリーズ6」がリリースされた。マシモは2021年、この機能が自社特許を侵害しているとして米国際貿易委員会(ITC)に新たな訴えを起こした。

ITCは10月、アップルがApple Watch「シリーズ9」と「ウルトラ2」でマシモの技術特許を侵害したと判断。ホワイトハウスもITCの判断を支持したため、両製品の販売停止措置は今週発効した。アップルは同判断を不服として連邦特別行政高裁に上訴。「Apple Watch『シリーズ9』と『ウルトラ2』の米販売を可能な限り早急に再開するため、あらゆる手段を講じる」と述べた。マシモの担当者はコメントを差し控えた。

訴訟合戦

マシモが訴訟を起こしたのは自社が進出するウエアラブル市場でライバルを減らすためだと、アップルは主張する。マシモは最近、四角いフェースのスマートウオッチ「W1」をリリース。近々ヘルス関連機能を強化し、丸いフェースにデザインを一新した「フリーダム」を発売する計画だ。

W1のデザインはApple Watchの盗用だとして、アップルは2022年にマシモを提訴。「アップルが苦労して得た成果にただ乗りしている」と主張した。

キアニ氏は12月、ブルームバーグとのインタビューでアップルのやり方を批判。「何もわが社から人材を盗む必要はなかった。協力できたかもしれないのに」と振り返った。「悪事を働いているところを見つかって行いを正すどころか、それを恥ともせず、責任を周囲に転嫁しけんかを売っている」と述べた。

医療界のスティーブ・ジョブズ

キアニ氏はアップルの幹部らから 「医療界のスティーブ・ジョブズ 」と呼ばれたことがあるという。「今では考え方が変わっただろう」と同氏は続けた。

血中酸素濃度や血液管理などを追跡するマシモの機器は大抵の病院に置いてある。同社によれば、年間2億人以上の患者に使用されている。世界中で数千人の従業員を抱え、時価総額は60億ドル、年間売上高は約20億ドルに達する。しかし過去20年において、医療機器ライバル企業に対する訴訟に基づく和解金やライセンス契約が、同社収入の一部を成す。オランダのロイヤル・フィリップスとの訴訟はその一例だ。

大統領の友人

キアニ氏はバイデン大統領とも親交がある。大統領こそApple Watchの販売禁止を阻止できた人物だ。輸入禁止措置に対するホワイトハウスの拒否権は、これまでにめったに行使されていない。アップルもマシモもカリフォルニア州に本社を置く。

事情をよく知る複数の関係者によれば、マシモの狙いは夏にITCが販売禁止を決定することだった。そうなればアップルは新モデルのリリースを通常の9月から延期し、ホリデー商戦が台無しになるはずだった。しかし、実際には禁止措置が影響するのはわずか1週間で、しかもアップル直営店舗での販売に限定された。ベスト・バイのような家電量販店は、少なくとも在庫がある限り販売することが可能だ。

Apple Watch買える場所、案内控えて-アップルが従業員に指示

アップルはApple Watchソフトウエアの修正作業が順調に進んでいると考えている。これらの微調整が販売再開を許可するのに十分かどうかは、米税関・国境当局が判断する。その判断は1月12日に下される予定だ。

必要なのは「謝罪」

過去にアップルを技術盗用や人材引き抜きで訴えた企業は多いが、今回のマシモのように一時的にでも販売禁止に持ち込んだケースはまれだ。キアニ氏にとってさらなる成功となるのは和解だろう。マシモのウェブサイトには、同社技術をライセンス供与している企業がリストアップされており、そこにアップルが加わればマシモには勝利となる。マシモは自社製品の販売を促進するマーケティング力を得ることにもなる。アップルはマシモと調停協議を行っており、今後も継続する予定だという。

Apple Watch巡る特許紛争、マシモのCEOは和解をいとわず

キアニ氏にはどうしても主張したい一点がある。「謝罪がなくてはならない」と同氏は述べた。それがなければアップルとマシモは10月下旬、再び特許をめぐって法廷で争うことになる。

原題:Apple Watch Saga Set in Motion by Late-Night Email to Cook (2)(抜粋)

(本文5段落目に販売再開の発表を追加して更新します)

More stories like this are available on bloomberg.com

©2023 Bloomberg L.P.