ルッキズムは「個性を潰す」行為だ
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コメント欄にもいろんな意見ありますが、わたしはただ人の見た目にネガティブな意見を言う人が減ればいいと思います。インターナショナルな語学学校に行ってた時に、東アジア人だけ異様に自分だけでなく他人の見た目を気にしていて、心狭っ!と感じたことがあり、世界には意外と見た目を気にしてない人ってたくさんいるんだなーとも感じて楽になりました。
自分がハッピーでいられる格好をして、その格好でハッピーになっている自分にネガティブをぶつけてくる人は気にしなくていいと思います。
意見がすごくはっきりしている記事でとても良かったです!
注目のコメント
SNSによって、会ったこともない人に憧れを抱くようになった時代。そこから生まれた、外見で人を判断し批判する「ルッキズム」。
人が誰かに深く憧れるときには外見も内面にも惹かれて恋い焦がれ尊敬するのではいでしょうか。外見主義のようにかかれてはいましたが、外見から興味をもってもらい中身を後から知る、という時代になったという時代変化のように感じています。
むしろ加工していない顔のほうが、珍しくて目立つし、あえてそれで魅せている人もいれば、完全にアバター化してイメージングをつくる人もいる。見せ方、魅せ方が多様化した、と理解しています。結局、このような意見を述べている人自身が、他人の考えを否定しているという側面もあるんですよね。
オジサンのつぶやき:
ファッションや髪形を気にするオジサンがいます。女性にモテたいからかもしれませんし、身だしなみや自己満足なのかもしれません。オジサンの自由です。そのようなオジサンを「いい歳してまだモテたいのか」と批判的に言う人もいますし、「小ぎれいなオジサン」と思う人がいるかもしれません。どう思うかは他人の自由です。同じように、他人に良く見られたいと思うことも自由ですし、他人からどう思われても構わないという生き方も自由です。誰も強制していないのでは? そんな感じです。アプリで加工した顔も自分、髪を染めたりパーマを掛けたりするのも自分、メンズ・レディースの服関係なく着るのも自分。その自分をちゃんと自分で認めてあげられるかが大切であることに気がつきました。
その容姿や風貌を他人がどうこう口出しするものではないものであるというのも同時に感じます。
人によっては、それが自分のクリエイティブの現れで、一種の表現・趣味であることもあります。
「社会がこうだから、自分もそうしなければならない」といった風潮は、右へ倣えの教育がなされてきた日本人らしく、海外に比べるとどこか少しだけ、奇妙なものだなと感じました。