2023/12/14

AGCが「社内外副業制度」を導入。組織と個人のWin-Winの働き方とは

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 少子高齢化による労働人口減少の解決策として、また、社会全体でオープンイノベーションを起こし経済を活性化させるため、日本でも転職市場の活性化や定年後の再雇用など、雇用の流動性を高めようとする動きが出てきた。
 2018年に厚生労働省が副業・兼業の促進に関するガイドラインを発表し、企業が副業を解禁。パラレルワークなどの新しい働き方が注目された。
 ……しかし、その後はどうなった?
 副業は、企業の人事や経営戦略にどう影響したのか。キャリアパスは本当に多様になったのか。副業制度は企業と個人双方にメリットを与え、持続的に根付くものなのだろうか。
 2010年代後半から副業制度を導入したAGCの人事統括担当部長であり、社外副業経験もある湯山空樹氏と、副業研究をしている東洋大学経済学部教授の川上淳之氏の対談から探る。

なんのための「副業」か

川上 私は労働経済学の観点から「副業」を研究テーマに据えています。
 国は「働き方改革」政策の一つとして副業の推進を進めて、2018年に副業促進のためのガイドラインや就業規則のモデルを示したことで大きく流れが変わりました。
 AGCもこの時期に副業緩和に踏み切ったそうですね。
1979年生まれ。2002年、学習院大学経済学部卒業。09年、同大大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。10年、博士(経済学:学習院大学)取得。経済産業研究所リサーチアシスタント、労働政策研究・研修機構臨時研究協力員、学習院大学学長付国際研究交流オフィス准教授、帝京大学経済学部准教授東洋大学経済学部准教授などを経て現職。2017年、第18回労働関係論文優秀賞受賞。主な著書に『30代の働く地図』(玄田有史編、第4章執筆、岩波書店:2018年)、『日本経済論』(共著、分担執筆、中央経済社:2017年)など。最新刊に『「副業」の研究 −多様性がもたらす影響と可能性−』(慶應義塾大学出版会:2021年)がある。同著は2022年に第44回労働関係図書優秀賞受賞。
湯山 ええ。これまでも社員が家業を手伝う場合など限定的には副業を認めていました。
 その後、社会的に副業が話題になり、政府も副業推進の留意点やガイドラインを発表したことから、私たちも、AGCとして社内ガイドラインを整備し、2019年に副業を制度化しました。
 もっとも、世間では「副業での経験が本業に生かせる」と言われていましたが、正直に言うと、そこまで断言できるほど会社に与える効果はよくわかっていませんでした。
 もちろん、本人にとって新しい経験が、巡り巡って本業に生かされることがあると思いますが、その効果を測定するのは難しい。
 そこで、AGCの場合は副業の効果を示すよりも、まずは「副業に関する制限を緩和したので、やりたい人はどうぞ」というスタンスで始めました。
 実際、私自身も社外で副業をすることがあります。
1991年旭硝子株式会社(現AGC株式会社)に入社。特品事業部に配属され健康機器の営業等の業務に携わる。以後、人事部門に異動となり、船橋工場、本社人事部、建築ガラス部門、中国(コーポレート・AUTO部門)で主に人事関係の業務を担当。2014年から本社人事部に勤務し、現在は国内人事を統括。中小企業診断士、社会保険労務士等の資格を活用して副業にも携わる。
川上 企業が副業を推奨する目的として、たとえば「あまり高い給料を出せないので、他でも収入を確保してほしい」というケースがありました。
 とくにコロナ禍では、働く時間が制限されたことへの収入補填という目的で導入された事例も多かった。
 働き手にとって副収入を得るというメリットは大きかったでしょうが、単に収入を増やすためなら、実は本業で経験を積んで成果を上げたり、資格を取ったりするほうがよほど効率がいい。
 副業の価値は何かというと本業では得られない経験にあると考えます。

抱え込んでもパフォーマンスは上がらない

湯山 企業が積極的に副業を推奨するには、それなりのハードルもあると思います。
 特に他社と雇用契約を締結するとなると、法的にもさまざまな問題が持ち上がりますし、社員の残業時間や健康状態を把握することも難しくなります。
川上 そうですね。副業解禁に躊躇する会社の多くは、他所で働くことがきっかけで、大切な人財が流出してしまったり、本業がおろそかになってしまうことを懸念しています。
湯山 ただ、仕事が終わったあとの時間の使い方は人それぞれだと思います。
 例えば、休日の過ごし方としても、ボランティア活動に参加したり、お子さんのスポーツ活動を応援したり、旅行に出かけたりなど。
 肉体的な疲労という点では副業と変わらないケースが多いのに、なぜ副業だけがダメなのか。納得できるような答えはなかなか見当たりません。
 会社を離れている時間の過ごし方に制約を設けるのは、そもそも無理があると思います。
川上 副業はまだその効果が明確に見えるまでの過渡期といえるので、経営層も自信を持って踏み込めないところがあるのかもしれません。
 ただ、これまでの研究で、副業はワークエンゲージメント(仕事に対するポジティブな心理状態)を向上させる効果があると言われています。
 それは働き手に選択肢を持たせるからこそ生まれるもの。その選択肢を使えるかどうかは、一人ひとりの意識の変化や職場での心理的安全性にかかっています。
 たとえ制度があっても「自分はこういう副業に挑戦したい」と言い出せる雰囲気があるか。
 そういった空気を作る上で、湯山さんのような人事部の方が率先して副業している姿を見せることも効果があると思います。
湯山 なるほど、それはそうかもしれません。
川上  2000年代にワークライフバランスが問い直されましたよね。
 ワークシェアリングや時短勤務の正社員というコンセプトが打ち出されたときも、「人が足りなくなる」「代替要員はどう確保するのか」とネガティブな意見がありました。
 でも、リモートワーク環境が普及し、企業がさまざまな工夫や改善を積み重ねていくなかで、「ワークライフバランスを取りやすい企業のほうが、パフォーマンスは高い」というコンセンサスが確立しました。
 同じく副業もエビデンスとトライアンドエラーの積み重ねの中でポジティブな効果が定着していくものと考えても良いでしょう。
 湯山さんが先ほど「副業を禁止する納得できる理由がない」とおっしゃいましたが、誰もがそう思っているにもかかわらず禁止していると、社員にフラストレーションが溜まるだけです。
 特に、他社で副業認可が進むなかで自社では禁止されるという状況は、働くモチベーションを下げるようです。
湯山 私も副業を、ワークライフバランスを保ちながら生き生きと働くための選択肢のひとつと位置付けています。
 副業をきっかけに起業したり転職したりする社員も出てくるかもしれませんが、そういう社員がたくさん出てくるのなら、AGCは優秀な人財をどんどん輩出しているとも言えます。
 新しい人財を採用し、彼らが流出しないくらい良い会社や組織をつくることが人事や経営の仕事の一つだと考えています。

社内でも副業はできる

川上 ある調査を見ると、副業の動機として「自身の知見やスキルを外に出て活用したい」という声や、「部門や企業の外に出て新しい経験やスキルを身につけたい」というスキルのやりとりが3分の1を占めていました。
 ここには成長欲求に加えて、個人の経験や能力を社会に還元したいという動機があると感じます。
湯山 わかる気がします。私は人事部での経験が長いこともあり、社会保険労務士の資格を持っていることから、副業で地元の市民向けの労政相談員を務めた経験があります。
 市民に対して自分のスキルを提供する一方で、相談者がパワハラを受けていたりや経済的に困難な状況に陥っているケースに触れ、世の中には困っている人たちがいるという状況を改めて実感することができました。
 このような経験は、部下との接し方やAGCでどのような制度を作ると社員や家族のためになるだろうかなど、人財についてより深く考えるきっかけになりました。
 また、AGCでは社外での副業だけでなく、2021年から社内副業制度(ジョブチャレンジ制度)のトライアルを始め、2023年4月に制度化しています。
 元々、ある部署が「こんなスキルを求めています」と全社に向けて募集する“人財公募”という制度に応募して部署を異動することは可能でしたが、異動によって所管部署も変更になってしまうため、社員にとっては応募のハードルが高い面がありました。
 そこで、元々の部署に所属したまま、最大1年半の期間、新しい仕事にチャレンジできる社内副業的な制度を導入したのです。四半期ごとに20職種ほどの募集案件が出てきています。
川上 それはいい仕組みですね。副業のいいところは、一人ひとりの社員が自身の経験を活用することを自律的に考えて、異動や転職よりも気軽に行動を起こせるところだと思います。
 キャリアの幅を広げたい、新しい経験を積みたいと思っていても、これまでのキャリアをがらりと変えてまで挑戦に踏み切る人はごくわずかです。
「自分のスキルとあの部門の仕事をつなげれば、もっといろいろなことができる」と思いを抱えたまま、行動に移さずにいる人はとても多い。
 そういった構想を形にするためにも、部門を跨いで人財が行き来する仕組みが求められているのかもしれませんね。

「社内副業制度」のプラスの効果とは

川上 社内副業には、どの年齢層の応募が多いのでしょうか。
湯山 当初はキャリア形成を意識し始める20代後半や30代が多いだろうと想定していました。
 しかし、蓋を開けてみると40代も50代もいるし、60代からも手が挙がりました。すべての年齢層でバランスよく応募者が出てきています。
 先ほど川上さんがおっしゃったように自分の知見を他部門で生かしたいという社員もいますし、今の仕事と関係ない領域に飛び込みたいという社員もいます。
 社会的使命感から人事部の障がい者の認知や雇用促進の業務に応募してくれた社員もいます。
川上 本業と副業の時間配分はどうなっているのでしょうか。
湯山 あくまで本業あっての副業ですから、本人の業務量の20%以内。副業での業務は、成果によって個人評価に反映されます。
 勤怠データを見るとそれほど時間外勤務が増えておらず、本業のほうも効率的に進めているように見えます。
川上 なるほど。上長の指示ではなく自分自身の意思で兼務するわけですから、セルフマネジメントの意識も高まるでしょうね。
 副業を効率よく実践している方に話を聞くと、本業の上司や同僚とのコミュニケーションを丁寧に取っていると感じます。
 どの時期にどれくらい忙しいかを本業の職場に伝えて意識をすり合わせているから、上司もその方の状況を理解しているし、フォローもできる。
湯山 まさに。信頼関係が前提にあって成り立つ制度ですので、当社でも副業への応募の際は、事前に上長に応募する旨を伝えてもらってから進めるようにしています。
 とはいえ、最初は不安も大きかったです。いろいろな面で本業に迷惑がかかってしまうのではないか、と。
 しかしながら、トライアル開始から1年後にアンケートを取ったところ、メンバーを副業に送り出す側からもポジティブなコメントが多かったのです。
「仕事に対するモチベーションが高まった」「思考や発想の幅が広がった」と、本業にもいい影響が見られたようで、そういった反響が得られたため社内副業制度を正式導入できました。
 社員からすれば、転職や異動をせずとも社内にいながら新たなスキルやネットワークを獲得できる。会社からすれば、人財の育成につながる。そんな制度になったと感じています。
川上 副業期間が終わっても、社内副業先との交流は残りますしね。
 そういう領域横断のネットワークが広がっていくことは組織的にも大きな成果と言えそうです。
湯山 まさにそう思います。
これまで四半期に一度、20人程度の応募者があり、延べ100人が他部門での副業を経験しました。
 元々、やりたい仕事に携わることでモチベーションが高まり、社員の成長にもつながるだろうという前提で制度を導入しましたが、定性的ではあるものの組織風土にもよい影響を与えていると実感しています。
 この様な制度があることで、若いうちから自分自身のキャリアを考える手がかりが増え、より豊かなビジネスライフを描けるようになると思っています。
川上 いまのお話を聞いていて思いましたが、社内外を問わず、社員の副業に関するデータを蓄積していくことは非常に重要ですね。
 誰がどのようなバックグラウンドを持ち、副業で何を身につけ、本業にどう活かし、その後どんなキャリアを歩んでいるか。
 そういったデータが集まれば、組織側は人財配置や人財育成に活かせますし、社員側も組織内で新たな道が開ける可能性が広がります。
 副業はそういうポジティブな効果を生み出すポテンシャルを秘めていますが、それを引き出すには、誰もが安心して副業活動を実践できる場づくりが必要だと思います。
湯山 当社はサークルのようなインフォーマルな活動が盛んなのですが、そういった場で副業した社員の体験談をたくさん集めて盛り上げていくような施策も考えています。
 やりたい人がやりたいことに積極的に挑戦できる環境を作って、多くの社員が当社で働く時間をより充実させられるよう貢献できればと思っています。