2023/12/4

閉じこもるな。人事は企業の“コミュニケーター”だ

NewsPicks Brand Design / Editor
「安く質の良いモノを大量につくる」かつての経営手法が成り立たなくなり、企業にイノベーションが求められている。

そして、新しい事業や商品の創出のために、重要視されているのが社員の多様性や個性だ。社員一人ひとりの創造性を最大限に活かせば、イノベーションは生まれやすくなる。

では、働く“個人”が創造性やスキルを自発的に磨きながら仕事に取り組む環境、組織はどうすればつくれるのか。

NewsPicks Brand Designは株式会社カオナビとともに「人的資本時代の『新秩序』」をテーマにしたイベントを実施。

人事領域の有識者たちによる白熱した議論をダイジェストでお届けする。

ウェルビーイングは企業価値を向上するのか

石川 社員のウェルビーイングと財務業績は密接に連動しています。
 商工中金のデータ(※1)によると、社員のウェルビーイングが高い企業のほうが売上高の成長率が高い傾向にあることがわかっています。
※1 出典:商工中金未来デザイン室/しあわせデザインサーベイ(2020年8月~2021年12月にデータを取得した347社を対象に調査)
 また、アメリカでも興味深いデータ(※2)が数多く示されています。
 例えば、2021年1月1日時点で、1000ドルをどの会社に投資するか、という問いがありました。その結果、社員のウェルビーイング度が高い上位50社へ投資をした時のリターンが、アメリカを代表する株式指数であるS&Pやナスダック、ダウジョーンズを上回っていました。
※2 出典:De Neve (2023) 日経ウェルビーイングイニシアチブでの講演資料より著者作成
 社員のウェルビーイングは、どのようなメカニズムで、企業の財務業績に影響を与えているのか。主なメカニズムとして、1)生産性、2)離職率、3)採用力などに関連することがわかってきました。
 ウェルビーイングは企業価値を測る上で、既に無視できないデータになっています。

着目すべきは所属感

 ではどのようにして社員のウェルビーイング実感を高めていけばよいのか。
 Indeed社が実施した世界最大規模のウェルビーイング調査によると、社員のウェルビーイングに影響していた最大の要因は、意外にも「会社への所属感」(※3)でした。
 そして2番目は「働き方の選択肢/自己決定」となっており、上位にくると考えられていた「フェアな給与」は6番目にとどまっています。
※3 出展:De Neve (2023) 日経ウェルビーイングイニシアチブでの講演資料より(著者作成/データはIndeed社)
 今後、企業は「会社への所属感」や「働き方の選択肢/自己決定権」を醸成し、社員がウェルビーイングを感じながら働ける環境を整備する必要があります。
 ただ、人事制度を策定すれば解消されるわけでもなく、濃密なコミュニケーションの末に「会社への所属感」や「働き方の選択肢/自己決定権」が生まれます。
 社員一人ひとりの個性やモチベーションを地道に把握し、“個”がのびのびと働ける人間関係や環境を構築していくことで、成し遂げられると考えています。

“個人”の成長と自律はなぜ重要か

佐藤 昨今、人的資本経営が話題になり「人材に投資する」ことが重視されています。働く“個人”の成長・自律の必要性について守島先生はどう考えていますか。
守島 日本企業は高度経済成長期以降「安く質の良いモノを大量につくる」という価値観の下、工場や設備などのハードに投資することを成長のエンジンとしてきました。
 しかし、昨今は新しい製品の創出や、異なる分野を開拓するなどイノベーションが重視される時代になっています。
 イノベーションや新規事業・新商品というのは「人の頭の中」から出てきます。
 実際、GAFAMをはじめとしたグローバル企業が“個”の成長を重視し、イノベーションを起こしながら事業を成長させていっています。
 日本企業がグローバルに追いつくには“個”の成長への投資を惜しまず、人を企業価値創造の根幹に置くべきです。
佐藤 なるほど。抜本的に考え方を変えなくてはいけないのですね。人材育成をどう改善していけばよいのでしょうか。
守島 まず「これまで本当に人に投資してきたのか」という点を省みないといけません。
 人材への投資は本来、新しいスキルを身に付けてもらうこと。今の言葉でいえばリスキリングの推進に当たります。
 しかし、日本企業の多くが行う人材育成は、元々社内にあるノウハウ・スキルを与えるだけにとどまっています。
「安く質の良いモノを大量につくる」ことで成功していた時代であればそれでも問題ありませんでした。
 人材の流動性も低かったため、自社での活躍だけを考えて人材育成をするほうが効率的で、事業成長にも直結した。しかし、今は違います。
 また研修なども、役職や年齢で対象者を区切り、講師が一方的に話すティーチングのスタイルが多い。こうした網目の粗い方法では“個”の成長にはつながりづらい。
佐藤 具体的にはどういった取り組みが必要になるのでしょうか。
守島 一人ひとりの経験や能力、資質に合わせて、個別に成長を支援するべきです。個人の多様性に寄り添い、成長の道筋やキャリアを自発的に模索してもらう後押しですね。
 専門性を磨きたいのか、経営に携わりたいのか、これまでのキャリアなども鑑み目標を把握した上で、常にコミュニケーションを取り、その気にさせる。
 働くメンバーがモチベーション高く自走してもらうための工夫を怠ってはいけません。
佐藤 そのためには、社員一人ひとりの経験や目標なども、データとして収集し、そもそも何をやりたいのか、そして、その成長ぶりを追えるようにもしていく状況をつくることが重要だと感じます。
守島 そうですね。データは企業にとって大切な資産になります。また、データ収集の際には、その人の性格や志向性をはじめとしたディープな個性にも目を向け解像度を上げられれば理想的です。
 そして、収集したデータを共有しながら、社員一人ひとりをどう育成し、どのようなキャリアを歩んでもらえばいいか、経営層など意思決定を担う人たちの間でディスカッションをしてもらう。
 できることなら、社員が普段から接している上司の意見や見解など、データ化しづらい感覚的な部分も、吸い上げた上で議論を進めてほしいですね。

マネージャーの仕事をリデザインする

佐藤 上司の意見や見解が必要となると、現場のマネージャーの役まわりも重要になってきそうですね。
守島  まさに、マネージャーの役割を大きく変えなければなりません。多くの企業で、現場のマネージャーに様々なことを任せきりにし、マネージャーのリソースが常に逼迫しています。
 この状況を打開するためには、マネージャーの業務を整理し、プライオリティを明確にしていかなければなりません。これを私は”ミドルマネージャーの仕事リデザイン“と呼んでいます。
 そのカギを握るのが人事部門です。メンバーと深くコミュニケーションを取るための時間を確保し、成長を支援することこそがマネージャーの役割。人こそが経営戦略を実現し、人事戦略を活かし、企業の将来価値向上の源泉になると、人事は現場に意識付けをしていくべきです。
 そして、人事が経営層とマネージャー、マネージャーと現場のスタッフ間でコミュニケーター的な役割を果たす。
 なぜならば、現場と経営層の懸け橋がなければ、いくら制度だけ整えても形骸化してしまうためです。
 例えば、個人のWillを活かすために、職種を横断し、自身の希望するプロジェクトに参加できる制度を経営層と人事がつくったとします。
 ただ、社員にどんなWillがあるのか、現場がそもそも把握していなかったら、何のプロジェクトに参加させれば活躍するのかわからなくなってしまい制度が機能不全に陥ります。
 人事が現場とコミュニケーションを取り、Willを把握し、どんなプロジェクトなら合うかを見極め、活用を後押ししてこそ制度は浸透します。
佐藤 つまり、企業が競争優位性を確立するための根幹は人事にあるともいえますね。
守島 まさにそうですね。また、個の成長を促すための制度は、一部署だけで運用がうまくいってもあまり意味をなしません。
 個人間の成長支援に極端に差が出ると、他の人が輝かなくなるためです。隣の部署はWillが活かされうまくいっている。ただ自分の部署はWillが活かされづらいと感じれば、エンゲージメントの低下や離職を招きます。
 このギャップを埋めていくためにも、働く全員の個性が発揮されるようにする必要がある。
 マネージャーが特定のメンバーと日々向き合う。そしてマネジメントがうまくいっている部署とそうではない部署を人事が俯瞰し、全員の個性を発揮できるよう後押しをする。
 こう話すと、難題を突きつけられていると感じ、嫌な顔をする人事担当者もいると思いますが、今、人事は新しいことに取り組む大きなチャンスだということを認識してほしい。
 人的資本の重要性が叫ばれ、変革をしようとやる気になっている経営層が多い。またテクノロジーの進化によって業務生産性も向上しています。通常業務以外の新しいことへ取り組む余白もつくりやすくなっています。
佐藤 当社も、多様なユーザーとコミュニケーションを図る中で、経営層から組織変革の熱量を感じることが多々あります。
 人材マネジメントの改革に取り組みやすく“個”の成長“を促せるよう、タレントマネジメントツールを通じてノウハウを蓄積し、人事の皆さまに共有していこうと考えています。

志の共有が3万4000人の社員を動かす

佐藤 味の素グループは、今どういった人事戦略に注力しているのでしょうか?
栢原 特に意識しているのは“個人の成長”支援です。あらゆる経営戦略や施策を推進していくのは“人財”です。
 アミノ酸の研究や社会実装を通じて、社会課題の解決や顧客のウェルビーイング向上を模索する「アミノサイエンス(R)」を掲げていますが、これは新たな挑戦です。
 イノベーションを起こす必要がある中で、人財の成長は必須です。個々人がモチベーション高く働き、価値観をぶつけ合えるような環境づくりに取り組んでいます。
 そのため、2030年までに累計1000億円を人財に投じる予定です。
佐藤 グローバルを含めると、3万4000人以上の社員がいますが、どう“個の成長”を促そうとしていますか。
栢原 創業の志を全社員に自分事化してもらうところから始めました。当社は経営の基本方針として「ASV経営」を掲げています。
 ASVは「Ajinomoto Group Creating Shared Value」の頭文字を取ったもので、事業を通じて生活・社会・地域が抱える課題や問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、経済価値を生み出すという創業以来の志に基づいています。
 創業者である池田菊苗博士の「単なる科学の発見ではなく、“世の中の役に立つようにしたい”」、また初代社長の鈴木三郎助の「国民の栄養不良を矯救し、“日本人の体位向上に貢献したい”」という志の基、弊社は創業されています。
 この志への共感者を増やし、社員の自発性を促すことを人事戦略の要としています。
佐藤 具体的にはどのように取り組んでいるんですか。
栢原 従業員エンゲージメントサーベイを積極的に活用しています。「ASV経営」に対する理解や納得感をもって、モチベーション高くチャレンジができているかを測ることで、仕事に意欲的に取り組めるような労働環境の向上を目指しています。
 エンゲージメントサーベイの回答率は、2023年度の調査で98%に達しています。(※4)
※4 味の素(株)単体の速報値。
佐藤 エンゲージメント調査を実施しているケースはよく耳にしますが、これだけ高い回答率を実現している例はきわめて珍しいと思います。
栢原 各組織長や担当者にデータを共有し、その達成度を確認したり、各組織内で議論したりし、改善に取り組んでいることが功を奏していると思います。さらには、業績との連動性を調べることも始めています。
佐藤 しっかり活用できているからこそ、回収率も高まるのですね。またエンゲージメントの向上という点では、2020年から実施している「ASVエンゲージメント強化サイクル」も個人と組織の共成長を促すのに役立っているようですね。
 サイクルの中には社員とCEOや本部長との対話、個人目標発表会などの面白い施策もあります。
栢原 CEOや本部長との対話は希望すれば誰でも参加できるようになっています。既にCEOとは63回(1回当たり複数人と対話)、本部長クラスは70回ほど実施しました。
 こうやって経営層が率先して志への共感の輪を広げることは、非常に有意義だと感じています。社員自身が普段業務を担当する中で、どう志を業務に落とし込むか意識するきっかけになります。
 もう一つの個人目標発表会は、各職場のメンバーの前で1年間の目標を発表してもらうというものです。
 これにより、後は実行あるのみといういい緊張感が生まれます。また個々人の目標が可視化されるため、自然と仲間の挑戦を応援したり、連携したりする雰囲気が醸成されています。
 社員一人ひとりの性格や志向性などの多様性を理解するよい機会にもなっています。
佐藤 一連の施策について、社内の反応はどうでしょうか。
栢原 おおむね順調ですが、「ASV経営」に包括されている、社会・地域に貢献することと経済的価値の両立については、さらに理解を深める必要があると考えています。
 そのため、中期経営計画の策定を取りやめ、2030年に焦点を合わせバックキャストをする経営に取り組み始めました。
 2年、3年先の数字を精緻に積み上げるのではなく、もっと先の未来を想定し、そこからの逆算で大まかな方針を設けています。
 もちろん、ROEやEBITDAなどの経済的価値も追いますが、従業員エンゲージメントスコア、コーポレートブランド価値などの無形資産の価値、環境負荷削減などの社会的価値も明確に数値に落とし込み指標化しています。
 環境変化が激しく不透明な時代だからこそ、目指す姿をぶらさないことが重要ですね。
佐藤 人事制度を策定し、人を成長させたいと考えても、効果が出るには時間がかかります。新卒であれば3年から5年かけて人を育てている。
 “個人”が自律的に働くための制度を設け、浸透させるためには、しっかり時間をかけることも重要です。この過程を経て、社員全員の成長を促すことができれば、企業にとって大きなプラスに働きそうですね。
 当社も人事部門に様々なテクノロジーを提供しています。個人の性格や経歴、志向性を基にマネジメントする仕組みを後押ししていますが、業種・企業規模によって状況も異なり、明確な正解のない領域です。
 皆さんと一緒に“個”の成長を後押しするために、必要なテクノロジーとは何か。こうしたディスカッションの場を通じて、我々もアップデートしていくつもりです。