2023/11/29

経営層の意識改革も実現。「保有技術の見える化」が必要なワケ

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 2030年に「売上収益1兆円」の青写真を描く、産業機械メーカ荏原製作所。同社が2022年に公表した「技術人材マップ・技術元素表」は、組織の成長のエンジンとなる取り組みだ。
 会社の保有技術を元素表に見立てて一覧化し、ホームページで公開。各技術の元素アイコンをクリックすると、技術概要や応用できる製品を紹介するページにジャンプする。
事業横断で共通する基盤技術や各事業部・組織が独自に発展させた技術の情報を元素表に見立てて一覧化したマップ。経営・事業・人材戦略などに活用する。詳細はこちら
 他社との差別化要因となるコア技術をあえて公開する珍しい取り組みだ。本プロジェクトを主導した同社マーケティング統括部長の須田和憲氏は、国内外から共同開発などを求める企業からの問い合わせが大きく増えたと話す。
 組織の資産の可視化を通じて、部門横断の連携増加やイノベーション創出など社内の活性化も狙っている。
 企業変革やイノベーション推進を研究する埼玉大学経済経営系大学院の宇田川元一准教授には、この取り組みはどう映るのか。
 須田氏と宇田川氏の対談からは、技術元素表が秘める高いポテンシャルが見えてきた。

背中を押した社長の一言

宇田川 「技術人材マップ・技術元素表」を拝見しました。グループ全体で相当たくさんのコア技術があったかと思いますが、よくまとめられましたね。
須田 実はさらにアップデートしようと思っていまして。最新の表には64の技術を載せていますが、最終的には150前後まで増やす予定です。
宇田川 そもそもなぜこの表を作ろうと思われたのでしょう。
1977年東京生まれ。2006年早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、2007年長崎大学経済学部講師・准教授、2010年西南学院大学商学部准教授を経て、2016年より埼玉大学大学院人文社会科学研究科(通称:経済経営系大学院)准教授。対話的なアプローチを基盤に、企業変革について研究している。また、大手企業やスタートアップ企業で、イノベーション推進や企業変革のためのアドバイザーをつとめている。 専門は、経営戦略論、組織論。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。2020年 HRアワード2020書籍部門最優秀賞受賞(『他者と働く—わかりあえなさから始める組織論』NewsPicksパブリッシング)。
須田 日本のものづくりが世界で勝っていくためには、保有する強みを再定義することから、具体的には、荏原グループの財産である、人材と技術を「見える化」することがその第一歩と考えました。
 荏原は創業111年目で、グループ従業員はグローバルで1万9000人を超えます。
 しかし、全社規模で「社内にどのような人材がいて、どんな技術があるのか」を詳細に調査・評価する、いわば棚卸しをした「見える化」がされていませんでした。
宇田川 それは意外ですね。
須田 もちろん事業部やカンパニーレベルでは、持っている人材、技術、特許は把握できています。これを一歩進めて、全社レベルで人・技術の棚卸しを実施することで、弱みと強みを把握できます。
 実は、この表は社外向けと社内向けの2種類があって、社内向けは技術の元素アイコンに技術、開発、ものづくりの人材リソースおよび特許情報等も紐づけています。
東芝で鉄道事業の責任者を務めたのち、日本電産(現ニデック)で永守社長直下の新規事業開発統括部で統括部長として新規事業領域を軸にビジネス組成を牽引。荏原製作所の現在の浅見社長就任に荏原の新しい革新の流れを確信し、2020年に荏原製作所入社。2022年1月より現職。
宇田川 須田さんはどういう経緯で表作成に携わったのですか。
須田 私はもともと技術屋で、東芝で鉄道事業、日本電産で新規事業創出を担当しました。
 荏原ではイノベーションの加速と、更なる荏原グループの成長拡大への実践が私のミッションの一つです。
 技術人材マップについては、人事戦略、技術戦略などの重要な経営判断のためのデータが常に最新情報として格納されており、いつでもデータに基づく様々な判断ができる仕組みと運用があればいいな、と考えておりました。
 そうした中、社長の浅見が「あなたが正しいと思うことをやってみなさい」と言ってくれたことが、本活動の大きな後押しとなりました。
宇田川 荏原製作所といえば、「ポンプが収益源で、高収益の会社」というイメージがあります。
 全社で技術の見える化をしてこなかったのは、これまでは事業部ごとに成長戦略を考えることで乗り切れたからかもしれませんが、現代は多様な技術を総合して新しい製品とサービスを作らなければ組織を前進させられません。
 当然、事業部に判断を任せるだけではなく、全社的な視点での戦略立案が必要になる。
 表作成の背景にはそういった問題意識がおありだったのでは。
須田 おっしゃる通りです。我々はステークホルダーに対して、常に次の成長軸を示していかなければなりません。
 それにあたって、まずは主要事業領域の足元の実力をしっかり把握した上で、全社を俯瞰しながら成長戦略を具体化していく必要があります。
宇田川 そのやり方は正しいと思います。日本企業は市場の大きな変化に対峙した時、しばしば間違った方策を取ってしまいます。
 既存事業部の強みを活かして新たな製品・サービスを開発しようとすると、事業部の壁を越えることや、事業部自体の変革を迫られる。
 ところが、本社で取りまとめ役を担うコーポレート部門が弱いため、事業部の変革を避けて、新規事業部を別建てで作ったりする。
 しかし、そうした方法を採用しても、結局、事業部門の変革課題は手つかずのままで、新規事業部とも部門間コンフリクトが発生してうまく機能しない、という問題はよく見られます。
 大事なのは、自社のコアコンピタンス(企業の中核能力)を社会課題や顧客課題の解決に結びつけ、その実現に向けて事業部、製品開発、研究のあり方を成長戦略と整合性を持って検討すること。
 そのための第一歩が、人材と技術の棚卸しをすることです。
須田 技術に対する特許数が多い、この領域は人材が足りていない。棚卸しをすると、自社の強みと弱みが明確に分かります。
 それを把握することが新たな成長軸を考える上での出発点と考えます。
 そこで得られた情報を経営層と共有し、意思決定の判断材料にしてもらう。これが組織資本を「見える化」することの意義ではないでしょうか。
宇田川 同感です。一般的に新規性が高いと思われているビジネスも、過去の蓄積や伝統にベースがあります。
 Googleのビジネス一つとっても、検索エンジンも広告ビジネスもGoogle以前から存在しています。
 何を受け継ぎ、何を捨て、どこを新しくするか、その峻別が成功の鍵を握っている。
 棚卸しを通じて自社の強みと課題を見定めた上で戦略を練ることもそれに近い作業です。
 逆に危険なのは、新機軸を打ち立てようとして、過去の積み重ねを否定するような「破壊的イノベーション」探しに過度に傾くことです。
 課題把握を飛び越えて全部壊すのは、強みも含めて全て無くすこと。これは企業にとって大きな損失です。
 大企業はスタートアップのように大胆な決断ができないなどと言われますが、伝統と蓄積を活かした大企業なりの新機軸の打ち立て方があります。
 須田さんの取り組みも自社に合ったとても地に足のついたものであると感じます。

他社とのコラボが加速 表の運用効果

宇田川 「技術人材マップ・技術元素表」を公開したのは2022年からと聞きました。想定通りの効果は出ていますか?
須田 国内外の企業から「当社と共同で技術開発しませんか」「このビジネスを一緒にやれませんか」というオファーが来ています。これは当初の期待の一つでした。
 荏原は、社会課題に応える製品を高い品質と信頼性で提供できるため、なんでも自前主義でやってしまいがち。
 とはいえ、顧客の要求はどんどん高度化するので、これまで以上にサービスの幅や性能、提供スピードを高める必要があり、自前主義を貫くだけでは立ち行きません。
宇田川 全てを内製にすると、既存の価値基準で判断したり、従来のやり方に固執したりして、既存事業の枠組みや延長線にとどまってしまう。だから保有技術をあえて外に開示したわけですね。
須田 はい。外部企業に一部の仕事をアウトソースすればスピード感が出ますし、外部企業とのハイブリッドな技術・サービスも生み出せます。
 そうすることで100点以上の120点のものを世の中に提供できるようになります。
宇田川 社内への効果はいかがですか。
須田 実は、社内向けには違う狙いがありました。「うちの会社にはこんな尖った技術があって、相談する場合は、あの人に聞けばいいよね」ということを全ての従業員に知ってもらうことです。
 ポンプ畑の人は入社してから退職するまでポンプ一筋という人もいます。
 会社人生を特定の領域で過ごすことになるため、悪く言えば「煙突文化」と呼ばれる弊害もあります。
 しかし、煙突の中にいる個々の人材はプロ。1万9000人のグループ従業員の中にはそういう専門性の高い人材がたくさんいます。
 それなのにグループ全体でそれを十分に共有できていない現状を打破しなければ、という思いがありました。
宇田川 従来はカンパニーを越えたコミュニケーションは難しかったのでしょうか。
須田 煙突文化が強すぎてやりづらかった面もありました。技術元素表はその空気を打開する一つのきっかけになりました。
 社内向けの元素表は、「人材」「技術」「特許」「ものづくり」の4つの要素で整理しています。
 この粒度でグループ全体の情報を揃えたことで、部門を超えたコミュニケーションが進むようになりました。
 先ほど他社と手を組むことも大事だとお話ししましたが、その一方で、荏原が保有する尖った技術同士を掛け合わせて他社と差別化を図る強度の高い技術を生み出し、ブラックボックス化することも重要です。
 技術のハイブリッド化、融合インテグレーションへの動きを今後加速させていきたいと考えています。
宇田川 技術元素表の運用効果が拡大していった場合、それに合わせた組織体制の整備や意思決定のルールが必要になりませんか。
 例えば、技術元素表を見た企業から研究や事業の共同実施のオファーが増えているとのお話がありましたが、その際には事業部側の誰かがプロジェクトオーナーを担わなければなりません。
 そういった局面で体制づくりがうまくいかず、つまずく企業は少なからずあります。
須田 当社の場合、小規模な製品開発などであれば、他社と特命チームを組んで短期間で一緒に作り上げています。
 それで今のところ問題はありませんが、今後は規模の大きな取り組みが増えることも考えられます。
 そうなるとジョイントベンチャーの設立やM&Aも必要になってきます。私はそれが荏原にとって当たり前の選択肢にしていきたいと考えています。
宇田川 そうなると、さらに大きな経営上の意思決定が必要になりますよね。M&Aであれば、最低数億円は動きます。それがスムーズに行える体制を築けているのでしょうか。
須田 荏原は今年、2025年度までの中期経営計画を発表しました。その中で、経営の意思決定に関して、2つのポイントを打ち出しました。1つは、セグメントの変更です。
 これまでは、製品群ごとに3事業(風水力機械、環境事業、精密・電子事業)のカンパニーに分けていましたが、対面するお客さま別に5つ(建築・産業、インフラ、環境、エネルギー、精密・電子)に再編しました。
 ただ、現場の従業員は対面する市場だけを見てしまうリスクがあります。この5つのセグメントに横串を刺すという意識は、荏原グループとして持っていなければなりません。
 そこで、もう1つのポイントとしてCxO制の導入です。
 5つのセグメントとクロスファンクショナルな形で、CxOが社内全体の最適解を考え、経営判断のカバーに当たります。
宇田川 5つのセグメントを見るCxOを置くことで、部門間のコンフリクトを起こさないようにしているのですね。
須田 これが意思決定の迅速化につながります。実は以前から事業部単位では、やりたいビジネスやM&Aのリストは常にありました。
 今後の運用では、CxOへ事業部から事前に相談をして、可否の一次判断をしてもらいます。
 この運用で、社長の浅見が最終判断をするまで2段階で済みます。普通の大企業だと、トップの経営判断まで4段階ぐらい。2段階無くすだけでも、かなりスピード感が出ます。
宇田川 そういった意思決定の場で、自社の強みや課題が一覧化された技術元素表が判断材料の一つになるわけですね。
 その表の作成をマーケティング統括部の須田さんが主導した。一般的な言葉のイメージからすると不思議な動きに思われそうです。
須田 部署名だけ見ると、マーケティングの人がそこまでやるの?と思われるかもしれません。
宇田川 荏原製作所の場合、事業を横串で見る役割を担うマーケティング統括部が、各事業部のイシューと市場動向を俯瞰し、さらに組織の資産も棚卸しし、それら全ての情報を意思決定の場に送り込み、経営層が議論できる体制を築いている。
 そういう動きをしているからこそ、須田さんはマーケティング担当ながら技術の資料を作っているのだと理解しました。
須田 そうですね。私が基本的にウオッチしているのはマーケットであり、お客さまです。
 しかし、技術まで理解して市場の動向を把握しないと、時代のスピード感に合った意思決定の判断材料を経営層に提供できません。
 そのための体系と仕組みを整備した、ということです。
宇田川 経営陣も技術元素表の効果に期待していますか?
須田 社長をはじめ経営層はみな応援してくれています。
 表を通じて経営判断が定量的にできることの価値が伝わり、経営層の認識とデータ経営への意識にも大きくプラスに働いたと感じています。
 この先、技術元素表を採用計画や人材開発、新規事業開発などあらゆることに活かしていく予定です。
宇田川 その先にある組織の成長した姿をどのように思い描いていますか。
須田 個人的な思いとしては、利益率をさらに大きく高めたい。
 荏原グループの利益率が高まることで、荏原で働く方々の年収も上がって、自分が働く会社の成長に幸せを感じ誇りに思い、製品開発や営業にもさらに力が入り、マーケット・お客さまに喜んでいただける良いものを出し続ける。
 そのような好循環サイクルを生み出せていければと考えています。
宇田川 大きな前進ですね。今日お話を聞いて、それを可能にする環境が荏原製作所にはあるように感じました。
 企業が自らの成長を求めて企業変革を進めるにあたり、その壁となっているのが、組織内部の断片化です。
 それぞれの部門の取り組みが個別最適になり、全体の成果に結びつかない状況に陥っています。
 コーポレート部門はそれらを融合し、全体の価値へと昇華させる役割を担いますが、往々にして断片化した各部門に最適化してしまい、部門同士をつなぐための施策を打ち出せず、また地道な実践も足りていない。
 多くの企業がそんな状況であえぐ中、荏原製作所は須田さんのような外部から来た人材を起用し、一つひとつ課題を洗い出しながらコーポレート機能を強化している。
 課題の見える化を一歩ずつ着実に進める須田さんも素晴らしいですが、「正しいと思ったことは何でもやってほしい」と社長が自ら背中を押していることにも、荏原製作所の経営層の意識の高さを感じました。
 外から人を招いても結局「郷に入っては郷に従え」になる企業が少なくないですから。
須田 そう言っていただけるのは非常にありがたいです。でも、組織的な意識改革はもっと進めなければと感じています。今日はそのためのヒントをたくさんいただきました。
 良ければ、1年後にまたお話しさせてください。その時、「荏原さん、すごいスピードで変わりましたね」と先生を驚かせられるよう邁進します。