2023/10/18
SaaS=オワコンに「NO!」日本市場には伸びしろしかない
日本のスタートアップ・エコシステムは、この10年で確かに成長してきた。しかし、諸外国との差は広がるばかり。なぜか。
そんな問いを巡りながら、日本ならではの希望と勝ち筋を探る、NewsPicks主催のカンファレンス『
START UP EVERYTIME』が開催された。
カンファレンスと連動し、すべてのステークホルダーのリテラシーを上げる大型連載、題して「〝スタエコ〟の論点──日本のスタートアップ・エコシステムの論点」をお届けする。
野球で言うと「2回裏」。日本のSaaSは伸びしろだらけ
2021年から2022年にかけ、市況の冷え込みの影響によりグロース市場(旧マザーズ)のSaaS銘柄が大きく時価総額を下げた。「SaaSバブルが弾けた?」との声も一部では聞こえたが、そんな言葉もどこ吹く風。前田ヒロ氏が率いるSaaS特化型ファンド「ALL STAR SAAS FUND」 は、今年8月末、3号ファンドを約157億円でクローズ。SmartHR、ANDPAD、カミナシといった日本SaaS企業に初期から投資を続けてきた、前田氏はSaaSの今をどう語るのか。
──SaaS業界の現状をどう見られていますか?
前田 SaaSビジネスについては、評価の仕方が変化してきたと思います。これまでは単純な成長を重視していましたが、現在は効率的な成長が求められるようになりました。
SaaSというビジネスモデルは高い成長率と利益率、そしてストック型の高い売上定着率を持っています。評価軸は変わりましたがその魅力は変わっていないと思います。
日本でもアメリカでも、SaaS企業は高い成長率を維持していますし、金利の上昇にもかかわらず、成長を加速させ、営業利益率も上昇しているSaaS企業もたくさんありますから。
さらに日本はアメリカよりも営業利益率の平均値が高いんです。これはグッドニュースですよね。
シードからグロースまでSaaSベンチャーに特化して投資と支援をする「ALL STAR SAAS FUND」マネージングパートナー。2010年、世界進出を目的としたスタートアップの育成プログラム「Open Network Lab」をデジタルガレージ、カカクコムと共同設立。2015年には日本をはじめ、アメリカやインド、東南アジアを拠点とするスタートアップへの投資活動を行なうグローバルファンド「BEENEXT」を設立。投資実績はSmartHR、ANDPAD、hacomono、KAMINASHI、Loglass、RevComm、HRBrain、SUPER STUDIO、Fast Accounting、Slack、Rippling、Instacart等。
── 一部では「SaaSバブルは弾けた」という指摘もあります。
「弾けた」の定義によると思いますが、実際は過剰に評価されていたものが「修正」されたに近いのではないでしょうか。弾けると言われると消えていくイメージがありますが、実際は調整が行われています。
売上の市場規模は、2021年も2023年も変わりなく成長し続けて、やっと1兆円を突破しました。
たしかにPSR(株価売上高倍率)の平均値は下がっていますが、今年は底打ちして、上昇している兆しもあります。この動きはSaaSだけでなく、すべてのテック企業が同様の状況にあると思います。
結局は、本当にしっかりいいビジネスモデルなのかどうか、ちゃんと利益を出せるビジネスモデルなのかという点を証明できれば、必ず評価されるだろうと思っています。
──グローバルで見たときの日本のSaaS市場の特徴とは何でしょうか?
日本のSaaS市場は非常に魅力的です。その理由の一つとして、日本のSaaS企業はアメリカのSaaS企業に比べて平均的に営業利益率が高いことが挙げられます。
これはアメリカよりも競争環境が激しくないため。その結果、スタートアップの成功確率はアメリカよりも高く、成長に求められる資金もアメリカより低くなっています。
よって、日本のSaaS企業は効率よく利益を上げることが可能ですし、成功の確率も高い環境にあると思います。
もう一つは、伸びしろがまだまだあるということです。日本のSaaSの普及率が約10%であるのに対し、アメリカのSaaSの普及率は約40%と言われています。つまり、普及率が4分の1。ということは、日本のSaaS市場は、最低でも今後4倍の成長は見込める。
ただ、日本はソフトウェア市場がまだ伸びているので4倍どころではないでしょう。私は、より大きな成長を期待しています。
──日本のスタートアップ・エコシステムの課題を教えてください。
いろいろな要因はあると思うんですけど、大前提として「起業家の数」が大きな直接的要因だと思います。やっぱりアメリカは、圧倒的に起業家の数が多い。それがイコール、スタートアップの数。スタートアップの数、イコール、活発な競争環境になります。
それに加えて、「言語の壁」もあると思います。
私たちALL STAR SAAS FUNDは、日本のSaaS市場に期待する投資家のみなさんから出資を受けているわけですが、実はそのうち8割が海外の投資家です。このファンドの特徴を活かして、これからも海外の資本と日本のSaaS企業をつなげていける存在でありたいと思っています。
ただ、その大きなボトルネックとして、SaaS企業の経営層の多くが英語を話せないという点が挙げられます。支援先が海外の投資家との話し合いを行うとき、私たちが通訳として入ることも多くあるんです。
SaaS企業の経営層に英語を話すことができる人が増えてくれば、連携の加速度はさらに高まっていくと思います。
中国の資本から調達するなら、中国語でもいいんです。ただ、やっぱり日本語以外の言語使用人口※が大きな市場に対して、強い思いで何か大きなミッションやアイデアを実現したいということをしっかり話せる経営者の割合が少ない。
※言語使用人口:日本語1.2億人に対し、英語15.3億人、中国語14.7億人の使用人口がいるとされる。
──英語学習でなんとかなりますか。
そうですね。起業した後に、本格的に勉強してめちゃくちゃうまくなった人は、私自身も結構出会ってはいます。本気でやればできないことはない。
一方、やっぱり起業すると死ぬほど忙しいので、起業する前、社会人の最初の頃に英語を学べていればベストですよね。
さらに言えば、言語だけでなく「異文化を理解する力」が非常に重要です。
たとえば、これからインドネシアに行きますとか、これからアメリカに参入しますってなったときに、言語以外の要素って結構多いんです。
ちゃんと異文化を受け入れて、理解して、共感して、その人たちのバックグラウンドも含めて、深く理解して、巻き込み方、売り方、プロダクトのつくり方、サービスの設計の仕方を学べるかということが重要な要素になってきます。
その点、やっぱりアメリカはいろんな国々から、人が集まっている国で、強いですよね。私がアメリカに留学していたときも、自分のようにアジアから来た人もいれば、イタリアやフランス、ロシアからの移民の方たちもたくさんいました。そのとき自分が身につけたスキルの一つが、やっぱり異文化との交流や理解をする力でした。
人によって向き不向きはあるにせよ、機会を設けてやれば身につくことなので、明確に解決できる課題だと思います。
──逆に日本ならではの勝ち筋はありますか。
いろいろありますよ。私たちはこの2年間で、業界・業種に特化したSaaSにめちゃくちゃ投資しているんです。
まだまだDXから遠い、現場にいる方たちの職場は開拓の余地がたくさんあって、たとえばノンデスクワーカーに特化したSaaSを提供している「カミナシ」などは、そんな現場の働き方に大きな変化をもたらしていると思います。
ほかにも製造業や医療、産業廃棄物業界に特化したSaaS企業に投資をしているのですが、実は私たちの生活の基盤になっているような産業で、まだまだSaaS化できる部分は、かなり多いと思っています。
5、6年前だと、たとえば製造業向けのSaaSをつくろうっていう人たちって、なかなか出会えなかったんですが、今だと結構な頻度で出会うんです。やっぱりスマホやクラウドの普及とともに、いかに自分たちのいる業界や業種が非効率なのかってことに気づく人たちが増えている。
冒頭にも、SaaSの伸びしろはまだまだあると言いましたが、野球で言うと「2回の裏」くらいで、まだまだこれからって実感がありますね。
──日本発のSaaSは国内に閉じているイメージがあります。この点はどうでしょうか?
それは、是々非々です。もちろん海外に出て行くこともすばらしいですが、日本の市場の中で強い会社をつくることも、すばらしいと思います。今いる市場の中で、いいポジション、十分に大きい会社がつくれるかどうかが、基本的な基準だと思うので。
海外の投資家も、とくに海外進出を狙っているSaaSだけを評価しているかというとそんなことはまったくなくて、日本の市場でしっかりと利益が出せる企業のことも評価しています。
一方で、より大きな市場に挑戦するには、海外進出が必須になってくる。先日うちのメディアでもインタビューさせてもらいましたが、ジョーシスを立ち上げた松本(恭攝)さんのチャレンジはすばらしいですよね。
シリアルアントレプレナーの経験を持って、最初からグローバルを狙って、各国で非常に優秀な方々を巻き込んでいる。投資家としても、個人としても非常に楽しみですね。
まだまだ、日本からグローバルのチームをつくって、グローバルのプロダクトをつくっていく事例が少ない。そのナレッジを循環させながら、松本さんのようなチャレンジをする起業家が増えていくと、希望がありますよね。
「SaaSオワコン説・撲滅運動」に僕が力を入れる理由
「最近は積極的に『SaaSオワコン説』を撲滅するための発信をしているんです」──そう笑顔で語るのは、国内唯一のSaaS企業分析有料メディア「Primary」を運営する早船明夫氏。SaaSプロダクト「SPEEDA」を提供するユーザベースの卒業生であり、現在もUB Venturesの外部パートナー・チーフアナリストを兼務する彼は、SaaSのどこにポテンシャルを感じ、この分野のプロフェッショナルとして独立するにいたったのか。
──SaaSはもう“オワコン”という風潮に「NO!」を突きつける発信に力を入れているそうですね。
早船 ええ、まさに前田ヒロさんたちの「ALL STAR SAAS FUND」が8月に約157億を集め第3号ファンドを立ち上げられたように、まだまだ日本のSaaS市場には高いポテンシャルがあります。
私は国内唯一のSaaS特化型メディアとして、企業や市場の最新情報を正確に届けることに尽力しています。
国内金融情報ベンダーに新卒入社後、ユーザベースで6年間SPEEDA事業に従事、2020年より独立・起業し、株式会社クラフトデータを創業。国内唯一のSaaS企業分析メディア「Primary」を運営。独自データなどをもとに、メディアにも多数展開。UB Ventures 外部パートナー チーフアナリスト兼務。
──日本のSaaSには、まだ「希望」がありますか?
もちろんです。日本全体を見ると、SaaSの普及率はまだまだ低い。
Slack、Notion、Zoom、Salesforce……東京のIT企業で、毎日パソコンに向かってデスクワークをしていると、ゆうに数十を超えるSaaSが業務に組み込まれていることも少なくありません。
でも、そんな状況ってまったく日本のマジョリティじゃない。
SaaS市場は完全にレッドオーシャンで、各領域に多数のプレイヤーがひしめき合い埋め尽くされたような錯覚を抱いている方もいるかもしれませんが、私たちが認識しているよりもさらに多くの産業や業務が世の中には存在しています。
たとえば、介護業界。この領域では、介護・医療業界向けの人材紹介を行うエス・エム・エスが「カイポケ」という介護事業者向けの経営支援サービスを提供しています。
業界外の方は存在すら知らないと思いますが、実は概算ARR(年間経常収益)が70億円超とも言われていて、国内のバーティカルSaaSにおいては最大規模のサービスなんですよね。
そう聞くと、「もう介護領域にSaaSのプレイヤーはいるじゃん」って思うかもしれないんですが、介護だけでも広大に余白があって。
施設型か、訪問型か、事業者向けなのか、介護を受ける方向けか……これだけでも、まったく違うプロダクトができますよね。
事実、昨年9月にグロース市場に上場した「eWeLL」という会社は、営業利益率40%超と高い数字を出していて、ARRが大体20億円弱。ここは訪問看護ステーションに特化したSaaS企業なんですよ。
「介護」という領域だけをとっても、他にもジャンルがあるし、介護のフローをケアするだけじゃなく、備品購入を効率化するサービスも考えられる。
そんな風に見ていくと、各業界を一気通貫で便利にするシステムの導入はまだまだ進んでいない。細分化された業務ごとに、この先もバーティカルなSaaSが多数生まれ市場が拡大するポテンシャルは十分にあると信じています。
加えて、AIの進化がインターフェースに大きな変革をもたらしています。
とくに自然言語処理の向上により、ユーザーインターフェースの学習コストが低減した。
アメリカの労働環境では担当業務が非常に細かく細分化されているようですが、日本では職階に関係なく「業務全般を理解する人材が多い」という話を聞いたことがあります。
そういった業務プロセスを深く理解した方たちが、現場の効率化や改善のためにほしいシステムを「自ら開発する」時代が来るのではないでしょうか。
この動向は、日本におけるITの普及をさらに加速させる可能性があると思います。
──具体的にAIで何が変わりますか。
たとえば、私の幼い次女はスマートフォンの操作はできないのですが、AIスピーカーを使用して音楽を楽しむことができます。スマートフォンを操作するための知識がなくても、その先にある「音楽を聴く」という目標をAIスピーカーが実現してくれる。
このようにAIがインターフェースのハードルを下げる役割を果たしつつある流れの中で、業務の現場でも革新的な出来事がこれからたくさん起こりうるのではないでしょうか。
海外に目を向ければ、東南アジアや中国ではSaaSの利用がこれまで一般的ではなかったのですが、それはシステムを導入するよりもマンパワーを用いる方が主流だったから。
しかし、経済の発展とともに考えが変わり、分岐点が来るはずです。
その分岐点を越えたときに、日本はどう手を打つかも考えておく必要があると思います。
──少し引いて日本のスタートアップ・エコシステムの課題を挙げるなら何でしょう?
日本の環境からは、グローバルなスタートアップが生まれにくいのは課題でしょうね。
Slack、Notion、Zoom、SalesforceといったグローバルSaaSが生まれた背景には、シリコンバレー特有の環境があったと思います。
大前提の考え方として「サービスを世界展開すること」があり、起業家や人材、資本が集中しています。さらにベンチャーキャピタルの強力なネットワークもあり、スタートアップのプロダクトを一気に推進する構造があります。
しかし、日本には本気でグローバルプロダクトをつくろうと志を持って起業・投資する人が少なく、投資サイドの期待も「グロース市場に上場すれば」「時価総額1000億円いけば」という規模感にとどまっているように感じます。
本気でグローバルSaaSをつくりたい人は、すでにアメリカへ渡っているんですけどね。
──課題を解決するために必要なアクションや仕組みを教えてください。
二つ挙げたいと思います。
一つ目は会社単位の戦略ですが、既存のエコシステムがしばらくは継続すると仮定した場合に「非シリコンバレー的なITプロダクトの展開」を考えることです。
たとえば、SlackやNotionは流行に敏感で最新のサービスをできる限り早く使いたいという人たちからは好評を得ていますが、世界のすみずみにまで普及しているわけではありません。
日本の地方の中小企業が、それらのサービスを活用しながら仕事をする姿は想像しにくいですよね。
日本に限らず世界でも同じ状況が起こりうると考えていて、「コストがかかるからやりたくない」とか「時間がかかって投資スパンに合わないから避ける」などといった、シリコンバレー的なIT企業のアプローチが通用しない非効率な市場が残るので、そこへ進出することができるのではないか、と。
仮に日本発でグローバル展開するとしたら、アナログっぽかったり、時間がかかったり、コミュニティ組成だったり、泥臭いやり方が必要になるのですが、現地のパートナーとうまく組みながら各地域で横展開していく手法には、リアリティがあると思います。
セールスフォースやAWSなどは世界の各地域でユーザーコミュニティを形成し、それを通じて拡大していきましたが、日本企業でもまだ競争が激しくない領域で粘着性の高いマーケティングを通じ、展開する挑戦がようやく始まってきた印象です。
二つ目は個人単位での視点ですが、グローバルな考えや視野を持った起業家や経営者の絶対数を増やすことが重要です。
資金面でもマインドセットの面でも、国内で起業するハードルはかなり下がってきたと思います。
グローバルなマインドを持った起業家が数人ではなく何十人、何百人という単位で存在すれば、海外のVCからの日本企業に対する見方も変わってくるのではないでしょうか。
そもそも日本のIT市場は世界で2位、3位と言われるほど広大な市場で、セールスフォースも世界で最も注力してきた市場の一つ。英語と日本語という言語の障害はあるとはいえ、諦めなければ将来性はまだまだ高い状態を保てるはずです。
この2つの方向へ進むことで、グローバルなスタートアップを輩出する素地が日本にも生まれてくると信じています。
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取材:樫本倫子
デザイン:月森恭助
編集:中島洋一、千代明弘