Vol.72 ちゃんと途方に暮れよう/『哲学探究』
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今回はウィトゲンシュタインの『哲学探究』から、「途方に暮れる」というキーワードについて考えてみました。
考えている暇があったら動け!と言われてしまう慌ただしい業務環境において、「途方に暮れる」という行為は最も忌み嫌われることかもしれません。
しかし、ウィトゲンシュタインの言う通り、哲学的な問題に立ち会う時、僕たちは途方に暮れざるを得ないのです。
怒ったり、問題解決に動いたり、気の利いたことを言う前に、しっかり途方に暮れる。
途方に暮れるからこそ、矛盾を孕んだ大きな問題に立ち向かうことができる。
そんなことの大切さを感じたセッションの振り返りです。近内さん、ありがとう。
注目のコメント
最近途方に暮れたのはいつか?ですって?
ライトナウエブイデイですよ!教育という事業をしているからなのか、どうすればいいか問い続けることのオンパレードです。能力主義?格差も能力も虚構?学ぶ意味とは?遺伝で決まる?自由意思は幻想?No.1になる影響力を日々感じながらも、勝つことは手段であり目的ではない?競争って何?人間らしいってどういうこと?社会をどうやって営むべき?未来への期待とは?企業の倫理とは?教育の本質価値とは?…
そこで思うのはこの「向き合う」ということ。
この胆力、思考体力って、めちゃ大事だと思うんです。
もちろん日々の仕事、人や環境からの要請、ありますよね。
適切に応えていくことは、日常を生きる上で大切な振る舞いだと感じます。
ただそればかりだと結局、日常の薄皮の下がどうなってるのかわからなくて、不安の尽きぬ日々になってしまいませんか?
養老孟司さんは、ふとした疑問を「トゲ」に見立てて、「トゲがささっていることを忘れないでいると、しんどいけれど、ふっと取れる時がくる」と表現されていました。多くの人は、忘れるもんだと。だから、自分で考えられなくなってしまって、大事なことが何なのか、わからなくなるんだと。
ほんまそやな、と信じて今日もトゲの解析をしております笑ちゃんと「途方に暮れる」力をつけないことには、それを乗り越えてハラをくくる力はつかないと思います。
> 「途方に暮れる」というのは、この忙しい、そして慌ただしい時代にそぐわない言葉かもしれません。途方に暮れてる暇なんてあるんだったら動け、と言いたくもなるでしょう。