日本人が知らない「ハーバード・シリコンバレー式教育」の歪みの正体
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アメリカはエリアによって貧困の差があるため、学校区域という意味では差が出てしまいます。
ただし、教育制度そのものは、日本の受験対策のためのインプット型中心と比較して、アメリカではアウトプット型が重視されており、ディベートやグループホームワーク、クラス内でプレゼンなど、学生のアウトプットをとても求められます。アウトプット型教育により、ソフトスキルを伸ばすことができます。
アメリカ教育の良い面は確実にあるわけで、お互いの良いところどりをすることが大事ですね。アクセスを稼ぐための、内容とは異なるタイトルですね。ハーバードのある街で小学校に通い、のちにハーバードで客員研究員をし、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員をしているときにサンフランシスコ郊外で娘を小中学校に通わせました。いずれも短期間ですが。
ハーバードやシリコンバレーのあるところの教育が特にすぐれているとは思えません。教育委員会にお金がないため、娘の中学は美術や音楽の授業はありませんでしたし、小学校の卒業時には寄付を募って先生に現金で渡すという習慣もありました。アジア系を除くと当然九九なんてできません。「この国がどうしてスペースシャトルを飛ばせるのだろう」といつも思いました。
また記事の通り、地域によってばらつきが大きいので、(日本の感覚で水準が高いというより)一定程度の水準の教育を受けようと思うと地価の高い地域に住むか、私立に通わせるかしかなく、私が住んだ地域はいずれも広さの割にずいぶん家賃の高いところでした。中産階級はそういうところに住もうとします。
格差が大きいということは逆にいうと自由度が高いということも意味しており、教育内容も大きく異なります。当然ですが、進化論はウソで中絶は絶対にダメだと教える地域もあるでしょうし、娘は「あそこのお家、お母さんふたりなんだって」と平然と言っていました。教育を論じるときは、視点の整理が必要だと思います。
優れた実践例をとりあげてそれを参考にしたり、それに参加するメリットを論じるのか。あるいは、その国の教育制度の在り方全体を論じるのか。後者であれば、教育制度の成り立ちや社会的・政治的な背景や社会への影響についての深い考察を伴うべきです。
この記事はタイトルと中身でこの視点のずれを感じました。