マスクへの感じ方、ファミマ社長「都市部と地方では違う」「全国一律にはいかない」
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こんなこと議論していること事態が本当にアホです。日本人は自分のすることも自分で決められない人間ばかりということでしょうか。何十年も国として全く成長していのも、うなずけます。
マスクなんて付けたいなら付ければいいし、付けたくないなら付けなければいい。
注目のコメント
個人の判断とビジネスでは考え方が違う様に思います。
マスクの着用は今後は個人の判断になりますが、実際には企業がどうする判断するのか、そこの地域に住む人がどう思うのかという同調圧力もある程度あるのだと思います。
都市部に行くほどビジネス色が強くなりますし、地方に行くほど生活色が強くなると思います。コロナが流行した際には、特に地方でコロナ感染者への差別も色濃くありました。地方には高齢者が多く、そういう傾向になりやすいと思います。
いずれにせよ、コロナの流行期にはマスクをつける必要があり、それ以外では各個人の判断が原則になります。海外に移住して、全くの日常に戻ったものとして思うこととしては、マスクは人のためにつけるのではなく、自分のためにつけるという意識が大事なのではないかということです。
私が住むニュージーランドでもマスクをつける人はいますが、つけている人は誰かの目を気にしてつけているとか、ハイリスクの人に配慮してつけている、というわけでなく、自身が高齢だから心配でつけているとか、もしくはご自身の性格とか考え方でつけているという感じです。
日本の地方の方が人の目が気になるというのは、地方在住をしたことがあるものとしても容易にイメージがつきますが、地方に限らず日本全体が、人がどうだから自分はこう、と他人に自分の決定権を与えない方がもっとのびのびとした毎日になるのではないか、とマスク云々以前に悶々と外から感じています。松本プロピッカーがコメントされている、『マスクは自分の為に付ける』という発想が日本に浸透しなかったのは、日本の同調圧力のせいとか、自分で判断しない、出来ないからとか言われていますが、私は違うと思います。
都知事を筆頭に、多くの医師、多数の知事が、高齢者を守る為にマスクをしてください!と、コロナ初期に連呼したからです。
この日本人の儒教的意識と情に訴える歪んだアプローチが、世代間の分断を生み、人のためにマスクをするという発想を定着させたのだと思います。