2023/4/29

【独白】3事業撤退、上場断念…「人生最悪の1年」の教訓は

ライター
東京・二子玉川などでセレブが訪れるようなDIY体験ショップを運営し、一時は上場をめざしていたのがDIY用品のオンライン販売を手がける「大都」(大阪市)です。

2002年にDIY用品のECサイト「DIY FACTORY」をスタートして大きな成功を収め、NewsPicksもDIY業界の“風雲児”として2018年に取り上げたことがあります。

その後、大都はDIY体験ショップを相次いで閉店。新たに立ち上げた3つの事業すべてから撤退、上場も断念します。

苦しい再スタートの後、ECサイトに注力したことで過去最高の売上高を記録。再び2024年の上場に向けて動き出しています。そんな大都の「挫折と成功のストーリー」を4回にわたって追いかけます。(全4回)
INDEX
  • 新規事業・多角化はAmazonに対抗のため
  • DIY実店舗はあの料理教室がモデル
  • 転職者に任せた東京オフィスが制御不能に
  • アプリ事業の莫大な開発費で“出血多量”
  • 最後まで閉店できなかった二子玉川店
  • 上場断念、そして完全に自信喪失

新規事業・多角化はAmazonに対抗のため

2002年にDIY業界でいち早くECサイトを立ち上げた大都は、大阪市生野区の昔ながらの古い長屋が並ぶ一角にある工具問屋でした。娘婿として3代目を引き継いだ代表取締役の山田岳人さんは古い体質が残る会社を変革し、2010年代にIPO(新規株式公開)をめざして資金調達、IT企業の買収、DIY体験ショップの展開など、拡大路線で次々と新しいビジネスモデルにチャレンジしてきました。メディアにも数多く取り上げられ、気鋭のビジネスリーダーとして時代の寵児となっていました。
事業の成長だけでなく、ユニークな組織づくりも当時、注目を集めました。社内ではフラットな組織をつくるためにお互いを英語名で呼び合うようにしています。山田さんも社員からは「JACK」と呼ばれています。
しかし、そんな華やかなイメージの陰で、2018年から2019年にかけての大都は大きな苦難に直面していました。
当時の大都は、本業であるDIY用品のECサイト「DIY FACTORY」の運営のほかに、プライベートブランド(PB)事業、スマートフォンアプリ開発事業、体験型実店舗経営事業の4つを展開。上場のために多角化しながら売り上げを拡大する経営戦略でした。
事業多角化の先陣をきったのが、2014年、南海電鉄からの誘致で大阪市内の南海線のガード下にオープンしたDIY体験ショップ「DIY FACTORY 大阪」です。翌年には東京・二子玉川にも出店し、一気に大都は全国区の会社となりました。
DIY FACTORY二子玉川店(提供・大都)
その頃のことを山田さんは次のように振り返ります。
山田 「ECサイトで急成長してきましたが、競合が増えてきたことに加えてAmazonが書籍以外の分野にも進出してきました。取り扱うDIY用品自体は同じですから、差別化は難しい。Amazonの脅威に対抗するには、Amazonがやっていないことに挑戦するしかないという思いから、積極的に新規事業を立ち上げていきました」

DIY実店舗はあの料理教室がモデル

考えたのは、単なる実店舗ではなく、体験に主軸を置いた店舗経営。料理教室の「ABCクッキングスタジオ」をモデルに、さまざまなレッスンやカリキュラムを用意。利用者がDIYのハウツーを習いに来るというものでした。
教室を行うということは、複数の従業員を待機させることになります。でも、日によっては申込者がゼロという日もあり得るなど、どうしても人件費は高くつく構造でした。もちろん、ショップで商品も販売しますが、ECサイトより価格が高い設定で、売り上げはそれほど期待できません。家賃だけは商品をショールームとして展示することで工具メーカーから利用料をもらってまかなう仕組みでした。
DIY FACTORY二子玉川店はDIYを学べる体験型実店舗という新しいアイデアが人気となったが、採算は厳しいものだった(提供・大都)
山田 「体験型実店舗の採算が取れないことは、最初からわかっていました。オンライン広告を打つ代わりに、店が広告塔になればいいと考えていたんです。フラッグシップショップとして、大都が提案する『暮らし』を発信していく場にしていくつもりでした」
実際、DIY体験型ショップという新しいスタイルは大きな注目を集め、特に二子玉川店にはメディアの取材も殺到。大都のブランド力が大きくアップします。
勢いに乗って、2017年にはIT企業「GreenSnap」を買収しアプリ開発事業をスタート。2018年にはSNSコミュニケーションアプリ「stayhome」をリリースします。そして、さらなる新規事業として「DIY FACTORY」のブランド力を背景にPB事業にも参入しました。
「衣食住の中でも、住は最も不自由さが残っている分野です。例えば壁紙を自分好みにしたくても、日本の住宅事情ではなかなか簡単に変えられない。もし、DIYがもっと身近なら、壁紙だって好きに変えられるし、暮らしをどんどん自分好みにカスタマイズできますよね」
DIYにとどまらず「暮らし」そのものをDIY FACTORYとしてデザインして提案する。日本社会の「住」のあり方を変えていくことこそが、大都のめざす世界でした。

転職者に任せた東京オフィスが制御不能に

上場をめざして進めてきた事業の多角化ですが、最初にほころびを見せたのはPB事業でした。
山田 「DIY FACTORYの知名度を武器に、PBで暮らしを提案しようとしましたが、その分野では自分たちは素人です。そこで、大手通販会社での経験を持つ人材を責任者としてヘッドハンティングし、東京にオフィスを構えて事業を任せました」
薄利多売のEC事業に比べて、PB事業は収益率が高いのが魅力です。それを武器に上場を実現するというのが、山田さんの計画でした。しかし、気がつくとPB事業部は、責任者が以前いた会社から引き抜いたメンバーばかりとなり、まるで大手通販会社の出先部門のような雰囲気に。大阪と東京という物理的距離もあり、カルチャーやビジネスへの考え方にズレが生じていきます。
「家具やアパレル、果てはアロマまで、暮らしを提案するものだったら何でもありになっていったんです。アメリカから洋服を大量に買い付けて、不良在庫を抱えたこともあります。
本当にこういうことがやりたかったのか? そんな迷いが自分の中にもありましたが、PBをやらないと収益を上げられないし、そうしないと上場時のバリエーションがつかない。そう思うと、方向性が違うと思っていても口をつぐむしかありませんでした」
大都のPB事業で提案していたライフスタイルのイメージ(提供・大都)
PB事業の主導権は完全に東京オフィスに移っていて、本社のコントロールが利かない状態でした。そんな状況では、当然数字を上げられるわけもありません。結局、事業を軌道に乗せられないまま、2018年12月に東京オフィスの責任者が退社。PB事業は2019年1月に閉鎖し、事業部のメンバーも全員、大都を去っていきました。

アプリ事業の莫大な開発費で“出血多量”

アプリ事業は、ユーザーが集まるバーティカルプラットフォームとして、自分たちの暮らしぶりをSNSのように投稿してもらうビジネスモデルとしてスタートしました。アプリのマネタイズ自体は広告収入ですが、最大の目的はアプリからECサイトへユーザーが流れてくるというシナジー効果です。ベンチマークとしていたのは当時勢いに乗っていた「クックパッド」やZOZOの「WEAR」でした。
山田 「これもPB事業と同じく、薄利多売で競合が増加するEC事業だけでは将来が不安だという思いから着手したビジネスです。それを実現するために2017年にGreenSnapを買収。2018年に『stayhome』というアプリをリリースしました」
コロナ禍ですっかり定着した「ステイホーム」ですが、「それよりも先に僕らはこの言葉を使っていたんですよ」と苦笑いする山田さん。そのコンセプトは今でも間違っていなかったと語ります。
アプリ「stayhome」のイメージ(提供・大都)
しかし、アプリ開発には莫大なコストがかかります。当時の大都は2015年にベンチャーキャピタル(VC)などから10億円の資金調達をしたにもかかわらず、そこから新規事業を軌道に乗せられず、4年連続で2億円の赤字を垂れ流していました。
2019年の時点ですでに8億円がショートし、「このままだと余命1年」というところまで追いつめられてしまいます。開発コストのかかるアプリ事業を支える体力はもはや残っていませんでした。
PB事業撤退から半年後の2019年6月、アプリ事業も撤退することになります。
山田 「アプリ事業の人間には、『アプリ開発には時間もお金もかかることは最初から納得していたはずなのに、今さら赤字で撤退するというのは話が違う』と言われました。
本当にそれはもっともな話ですし、アプリで作ろうとした世界も間違っていない。ただ、このままだと本体が出血多量で死んでしまう。本体を守るには、とにかく流れている血を止めるしかありませんでした」

最後まで閉店できなかった二子玉川店

4事業のうち2つの事業から撤退した大都でしたが、赤字の実店舗をどうするかはボード(経営)メンバーにとって大きな課題でした。山田さん以外のメンバーは全員、店舗を今すぐ閉鎖すべきという意見。しかし、山田さんは、DIY FACTORYを象徴する二子玉川店の閉店だけはどうしても決断できずにいました。
山田 「経営会議では『店舗を閉めてくれ!』『絶対閉める気はない!』と言い合いになることすらありました。それほど自分の中では、絶対に店を続けたいという思い入れが強かったんです」
アプリ事業のサービスを停止した2019年6月。二子玉川店の撤退問題で頭がいっぱいの山田さんに、経営者仲間が「本当に店がないと、夢が実現できないのか?」という一言を投げかけます。
山田 「その言葉に、これだけ店にこだわっているけれど、それがマストではないかもしれないと、ふと思えたんです。翌朝一番の経営会議でほかのボードメンバー3人に二子玉川店の閉店を告げました。メンバーからは、『よく決心してくれた。ありがとう』と言われましたね」
9月30日、二子玉川店の最終営業日には山田さんも駆けつけ、その最後を見守りました。店には多くの客が訪れ、以前店で働いていたスタッフもやってくるなど、さながら同窓会のようだったと言います。
「二子玉川店の最終日は本当にすごくいい雰囲気で、これが最後だと思うと込み上げてくるものがありましたね。最後に店を閉めたとき、またいつか必ず店を復活させてリベンジするんだと心に固く誓いました」
二子玉川店の最終営業日、営業終了後すぐにDIY FACTORYの看板が外された(提供・大都)

上場断念、そして完全に自信喪失

こうして、立て続けに3事業から撤退し、上場準備もストップします。
山田 「3事業をクローズし始める直前の2018年にNewsPicksのインタビューを受け、ずいぶんと威勢のいい話をさせていただきました。でも会社の実態は真っ赤っかだったわけです。あれからの1年間は『人生最悪の1年』でしたね」
そうした事態を招いた背景について、「自分たちの実力が足りないまま同時にいくつもの事業を走らせた、完全な経営ミスだった」と山田さんは振り返ります。
「『また資金調達すればいい』というアドバイスもあったし、実際に2018年、19年はVCや事業会社を回って追加の資金調達の模索もしていました。しかし、その頃の僕は完全に自信を失っていて、大都が事業を多角化して成長する未来が描けなかった。そんなプレゼンに説得力なんてありません。自分でもこれ以上の資金調達に向けて動くのは無理だと上場は断念しました」
こうして怒涛の2019年は終わりを迎えます。大都に残されたのは、本業のEC事業のみ。ここからどうビジネスを立て直していくのか。次回は、山田さんの次なる挑戦を探ります。
Vol.2に続く