【深井×宇野常寛】「どこでも」生きていける人々が見落とした現実
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注目のコメント
構成を担当しました。
大ボリューム、かつ削るところのない対談内容で、予定していた文字数を大幅に超過してしまいました。その分、読み応えのある記事になったのではないかと思います。
トランプ大統領誕生やブレグジットの背景にあるのは「Anywhereな人々」と「Somewhereな人々」の対立、と宇野さんは言います。このことを知るだけでも、世の中の解像度がぐっと上がるはずです。現代の民主主義に対する正面からの課題提起と同時に哲人政治や徳治を全否定されており、私自身は宇野さんのスタンスに大いに共感します。チャーチルの「民主主義は最悪だ。ただし、これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という言葉が頭に浮かびました。
具体例を用いたAnywhereな人々の傲慢さ、の話は巷間よく言われている分断論の核心を突くものだと感じます。宇野さんが提唱する処方箋、立憲主義の強化(憲法による政治部門への監督強化)、選挙以外の政治参加の回路構築についても基本的に同意ですが、その上で私が感じたのは、これらはあくまで枠組み論、手続論としての処方箋であることを念頭に置いておくべきということです。
つまり、有権者は選挙による政治参加にコミットすべきだし、政治家自身は選挙による審判を経て政策を推進することに心血を注ぐべきだと思います。ただし、その回路の副作用を緩和する仕組みの設定は必要だよね、と。あと「いま、この瞬間の民意」の過大評価の問題は、当代を相対化する倫理観(建国の物語や民族神話もこれに当たるかもしれない)を省みる契機なのかもしれないと感じました。してない。
たまに目立った裁判があるだけ。
訴訟社会なので訴訟で対立しても敵ってわけじゃない。企業や政府が一方では協力しながら、同時並行で別件で訴訟とかザラ。