SPORTS-INNOVATION

デジタルイノベーションで新たなファンを獲得するNBA

ログは金になる? NBAの取り組み

2015/2/13
データを無料公開することで、想像もしなかった「オープンイノベーション」が起こる――。そんな次世代の戦略で大きな成功を収めているのがNBA(全米プロバスケットボール協会)だ。その結果、NBAの放映権料は約3倍に跳ね上がった。SAP社のChief Innovation Officerの馬場渉が、データ検索がもたらす最先端のビジネスを解き明かす。
NBAは60数年分の全てのスタッツ(試合統計データ)を、一般ユーザに公開。ユーザが自由に映像と組み合わせて人気コンテンツとなり、世界中に拡散した(写真:AP/アフロ)

NBAは60数年分の全てのスタッツ(試合統計データ)を、一般ユーザに公開。ユーザが自由に映像と組み合わせて人気コンテンツとなり、世界中に拡散した(写真:AP/アフロ)

NBAのライフログ、蓄積したスタッツのビジネス価値

今週末アメリカでは、NBAのオールスターゲームが行われます。今週はバスケットボールについて書こうと思います。

以前の連載でNFLの49ersはスタジアムで感動とデジタルを融合させた新しいユーザエクスペリエンスの開発のために、シリコンバレーの多くのプロフェッショナルを集めたと触れました(
「フェイスブックを辞めて49ersへ移籍する人たち」
)。

私がその話を初めて聞いたフロリダで、それを指揮した49ersのCEOジェッド・ヨーク氏の隣にもうひとりのスポーツ経営者が座っていました。アダム・シルバー、NBAの副コミッショナー(当時。昨年コミッショナーに昇格)です。

一クラブである49erの取り組みを受け、アダム・シルバー氏は「リーグを運営する私たちの立場としては、逆にスタジアムに来られない圧倒的多数のファンにどんなサービスを提供できるかが最も大切だ」と言いました。

彼もまた「したがって私たちの行う全ての経営改革にテクノロジーが必須である」と宣言するテクノロジー信奉者です。

フロリダでこの会見が行われた2013年、NBAは画期的なサービスを始めます。

NBAが創設された1946年以降蓄積されてきた60数年分の全てのスタッツ(試合統計データ)を、一般ユーザに全公開するサービスをローンチしたのです(www.nba.com/stats)。

全米のプロスポーツでは、こうしたスタッツ提供サービスは非常に人気コンテンツとなっています。巨大なゲームエンターテイメント市場となっている「ファンタジースポーツ」の影響も大きいし、やはりその背景にある数値好き文化、数値という共通言語でのコミュニケーションが必要となる多国籍な環境が非常に大きいのでしょう。

ちなみにこの傾向はアメリカに限らず欧州でも同様です。ドイツのバイエルンミュンヘンのマーケティング責任者が「欧州ではファンは皆プレイについて議論する。しかし日本と中国ではそれが違う。プレイそのものではなくプレイヤーについて話すことが好きのようだ。」と言っていましたが、たしかにドイツのサッカー番組はプレイについて徹底したレビューが行われます。

2013年、フロリダ州オーランドで会見する右からアンダーアーマー創業者ケビン・プランクCEO、49ersのジェッド・ヨークCEO、SAPのビル・マクダーモットCEO、NBAのアダム・シルバー副コミッショナー(当時)(写真提供:馬場)

2013年、フロリダ州オーランドで会見する右からアンダーアーマー創業者ケビン・プランクCEO、49ersのジェッド・ヨークCEO、SAPのビル・マクダーモットCEO、NBAのアダム・シルバー副コミッショナー(当時)(写真提供:馬場)

前述の通りこうしたスタッツは人気コンテンツなわけですが、今回NBAが行ったのは一部のマニアや報道機関向けではなく、一般ファンにセルフサービスでスタッツを通じてNBAコンテンツを楽しんでもらうという取り組みです。

NBAはこれらの膨大な統計データを映像アーカイブと共に検索・視聴できるサービスも立ち上げ、これは全米プロスポーツで初めての試みとなりました。マイケル・ジョーダンの得点シーンを検索して編集してYoutubeに上げたら、数百万人が再生する人気コンテンツになる時代です。今後はこうしたサービスは当たり前になってくるでしょう。

公開後多くのファンが新しい独自の切り口で数値を表現し、それをソーシャル・ネットワークなどを通じて共有しました。メディアもそれを取り上げ、次々と拡散していき、また新たなファンが斬新な切り口をかけあわせて付加価値を付け、さらに多くの一般ファンや潜在ファン層に伝えていったのです。

新しいデータベーステクノロジーが非常識を可能に

こうした切り口はなんと4,500兆(4.5 quadrillion)パターンにも及ぶそうです。従来のデータベースでは膨大なデータを検索することはなんとかやれても、それらの条件を組み合わせてリアルタイムに分析・集計するとなると途端にパフォーマンスが落ちました。

すると何をするかと言えば、事前に切り口を想定して集計済みのデータ・セットを用意しておきます。1日に1回、あるいは1週間に1回サービスを止めて集計データを作って洗い替えるのです。

4,500兆のパターンを事前に集計? そんなのは無理なので、大抵の処方箋は「切り口を限定して解放する」もしくは「少々遅くても我慢してもらう」となります。そうです、自由を奪わない限りサービスのローンチができないのです。おそらくほとんどの皆さんの社内の情報システムはそうなっています。

グーグルの検索技術を思い出してみてください。昔はウェブ検索のパイオニア、ヤフーがディレクトリ検索と言って、人間の目利きで膨大なウェブサイトのカテゴリのタグ付けを行っていました。利用者はヤフーの専門家が目利きしてくれた信頼のコンテンツ分類から検索しました。しかし、ウェブ上のコンテンツが増えれば増えるほどヤフー上の目利き済みコンテンツと、日々生成されるウェブ上の膨大なコンテンツ量との間に乖離が生まれました。

グーグルのアプローチは全く異なるものでした。グーグルはロボット巡回し、自社開発したデータベースやファイルシステムに高速な検索エンジンで、全てのコンテンツを見事に整理してみせました。試しに今「NBA」と検索すれば4.56億件が0.21秒と、今でも当時から変わらず自慢気にそのスピードとシンプルさをサラッと主張します。

事前に用意するのではなく、リクエストの都度検索しても瞬時で返ってくることが実現されると、次に何が可能になったでしょうか? ユーザがキーワード検索した瞬間に、そのキーワードに合った広告を出せるようになりました。また気になるニュースキーワードを設定すると、その都度再検索してニュースサイトを自動生成する編集員ゼロのメディアも作ることができました。

もしこれを事前集計が必要で、都度の検索が耐えられない遅いデータベースでやれと言ったら可能でしょうか? もし全てのコンテンツではなく中央で誰かが絞り込んで整理したサイトで、提供者の発想を超える使い方をする利用者主導のイノベーションが生まれたでしょうか?

今ではこうした技術や価値観は、少なくともコンシューマテクノロジーの世界では当たり前になりました。

NBAが2013年2月にリリースした新しいスタッツサイト www.nba.com/stats の例(写真提供:SAP)

NBAが2013年2月にリリースした新しいスタッツサイト www.nba.com/stats の例(写真提供:SAP)

テクノロジーとビジネスの成長

記者が「ファンにとって素晴らしいのはわかるけど、どうやってマネタイズするの?」とアダム・シルバー氏に質問しました。

彼は「サービスのデータベースを切り替えたこの半年で、このサイトへの新規アクセスは2倍に増え、NBAのウェブサイトの平均滞留時間も2倍に増えた」と答えました。

同氏は昨年、30年に渡りNBAのコミッショナーを務めたデビッド・スターン氏を引き継ぐ形でNBAの第5代コミッショナーに就任しました。するとさっそく新たな放映権更新の契約交渉で手腕を発揮し、ESPNとTNTとの9年240億ドルの破格のビッグディールを成立させたのです。

この額はメディア・コンテンツとして世界最強であるNFL並になります。それまでは8年で75億ドルだったのですから、次の10年のNBAコンテンツの潜在成長力が大きく評価されたのがわかります。

また先月には中国版のLINE、登録ユーザ数11億人の「WeChat」を持つ中国のテンセント社と5年で5億ドル以上となる放映権契約をNBAが結んだとニューヨーク・タイムズ誌が報じました。WeChatへのデジタルコンテンツの配信権です。

この業界のビジネスの常識を念のため解説しますと、これはNBAがWeChatの利用にお金を払うのではありません。逆です。WeChatがNBAに対し払うのです。

先月YoutubeにNFLが専門チャンネルを開局したという報道がされた際「今頃? 企業でさえ最近は公式チャンネル持ってるのに」というような声がありました。これもYoutube(グーグル)がNFLに金を払うのです。

NFLは各テレビ局と年間4桁億円のテレビ放映権契約を結んでいます。その権利の価値を下げないようグーグル相手に極めて強気な姿勢を崩さなかったのがNFLです。最終的にグーグルがそれに合意しました。

中国でのNBAは非常に人気です。あえて5年の期間で区切ったであろうこの放映権価値が、5年後加速度的に上がるのが楽しみです。

アダム・シルバーコミッショナーは、デジタル体験を好む若者へのリーチを特に強化しています。多くのプロスポーツでファンの高年齢化が進んでいます。放映権というのはたしかにテレビ局やネットサービス事業者がリーグに払うものですが、その価格決定はスポンサーの関心に大きく依存します。権利を仕入れて番組というエンターテイメントに加工し、広告として顧客に販売するのだから当然です。

アメリカの調査会社ニールセンによると、主要スポーツでNBAが最も若者の取り込みに成功しているそうです。近年平均年齢をさらに下げていくことに成功し、現在は約半数が35歳以下のファン層で全体平均も40歳です。

パートナーとして選んだWeChatは、2万人の社員の平均年齢も28歳、11億人の利用者の半数が20代です。

他のスポーツはどうでしょう? ゴルフのマスターズの視聴者の平均年齢は56歳、モータースポーツのインディは55歳だそうです。ほぼ全国民をカバーするスーパーボウルは43歳という具合ですが、野球はどうだと思いますか? 53歳です。

長らくオールドスクールなMLBですが侮ってはいけません。この20年でNFLを凌ぐ高成長を実現し、事業規模は1兆円になりました。成長を牽引したMLBのデジタル部門BAMのCEOが今年から非デジタルも含めた全体の責任者となり周囲を驚かせました。

MLBは今年就任したロブ・マンフレッド新コミッショナーがさっそく、「150億ドルにまで数年で成長させる」と成長ビジョンを提示しました。日本のスポーツ界ではトップが成長目標をコミットすることって聞きませんよね。

アダム・シルバー氏が昨年就任して最初にやったのは、3倍成長で着地した放映権交渉を優位に進めるための7人の専門アドバイザー組織の設置でした。約3兆円の契約締結交渉ですよ。

スポーツの話は特別か?

NBAが今回行った取り組みは、スポーツ業界特有のことでしょうか?

「若者はクルマを買わない」、「若者はテレビを見ない」、「顧客の高年齢化」。そういった声はビジネスでも聞かれます。また行政でも同様です。

60年分のデータをオープンデータ化することで、データの保有者では想定していなかったようなオープンイノベーションを次々と起こし、若者の好む手法でリーチし、次々と拡散させコンテンツ価値を高めたのです。

NBAが参考にしたかどうかはわかりませんが、当社(SAP社)の事例だけでも同様の取り組みは他の産業に数多く存在します。

例えばカナダの政府統計局。国勢調査で膨大に集めた情報を一般に使いやすい形で解放する仕組みを40年分のアーカイブとともに提供し、今は100年分へも着手しています。

ちなみにカナダは国勢調査の調査自体の電子化比率も世界一です。日本では未だに70万人を調査員として雇用し10万人の指導員が彼らを教育し、全ての世帯を手分けして収集します。そのコストは650億円。

オープンデータの効用は、提供者の発想を大きく超えます。アメリカでは国立気象サービスがリアルタイムに提供するようになったデータを、農務省が公開した過去60年分の収穫量データと、1500億カ所の土壌観察データを組み合わせ、賢いデータサイエンティストたちが独自のアルゴリズムで農家向け保険商品を開発したりしています。

10兆ものパターンシミュレーションで農家個別の収穫予測からリスクを計算し、収入保障金を割り出すのです。こうしたビジネスモデルが始まってきています。

企業にも同じような考え方があります。欧米人はよくコーポレートメモリーとかオーガニゼーショナルメモリーという言葉を使います。全ての企業の活動をデジタル記憶させて継承するといったものですが、これがうまく使われるとそれによって問題点発見や未来予測のみならず、発想を超えた全く新しいイノベーションが生まれることが期待されています。

正しく記録することには長けていますが、それが圧倒的多数に利用されるために何をすべきか? 情報システムの発想もこうした新しいパラダイムに追いつく必要がありそうです。

馬場 渉
Chief Innovation Officer, SAP

*本連載は毎週金曜日に掲載する予定です。