SPORTS-INNOVATION

知性と肉体の総合エンターテイメント

アメフト好きの経営者は、意思決定が得意

2015/2/6
日本人はなぜ経営が苦手なのか? なぜ日本ではアメフトが流行らないのか? 一見、この2つの問いは無関係に思えるが、SAP社のChief Innovation Officerの馬場渉には共通の問題点が見えている。「専門家ごとの分業制」、「計画と実行と進捗管理」、「数字による科学的なマネジメントと説明責任」という日本人の3つの苦手科目から、謎を解き明かす。
今年のスーパーボウルはペイトリオッツが10年ぶりに優勝。全米の視聴率は49.7%を記録した(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

今年のスーパーボウルはペイトリオッツが10年ぶりに優勝。全米の視聴率は49.7%を記録した(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

世界最強のスポーツエンターテイメントビジネス『NFL』

週末に全米最大のスポーツイベント、スーパーボウルが行われました。日本時間では例年通り月曜の朝でしたがご覧になった方も多かったのではないでしょうか?最近は日本では地上波で生放送されることもなくなり少しさみしい思いも感じます。

NFLのビジネスとしての凄さはよく聞くところだと思いますが、改めて少し書いておこうと思います。

まずスーパーボウル。経済誌『フォーブス』が発表したスポーツイベントのブランド価値ランキングによれば、スーパーボウルのブランド価値は2位のオリンピックの約1.4倍、3位のFIFAワールドカップの3.2倍で堂々の1位です。

となるとテレビの視聴率も当然高い。日本ではかつて国民の大半がテレビ前にかじりついたようなキラーコンテンツが今やすっかり下火になっているようなケースも散見されますが、スーパーボウルはなんとこの四半世紀ずっと40%を超えて維持しています。

さらにはなんと今年は視聴率で過去最高の49.7%を記録し、視聴者数でも過去最高を更新しました。この時間テレビをつけている人は大抵スーパーボウルを見ていることになります。

昨年ブラジルで開催されたFIFAワールドカップの決勝が、時差がほとんどないにもかかわらず9%台だったアメリカ国内において(NBAファイナルも9%台なのでそれでも随分上がった)49.7%ですから、スーパーボウルがいかに驚愕のスポーツイベントであるかがわかると思います。

スーパーボウルはスポーツイベント云々の世界を突き抜けて国民を惹きつけている特別な存在となっていることが感じ取れます。

なお、今回スーパーボウルのテクノロジーパートナーとなった当社(編集部注:SAP社)がソーシャルネットワーク上の声を分析したところ、76%がゲームそのものを話題にしている傍ら、7%はハーフタイムショー、毎年話題となる1本4億円を超える高額なテレビCM放映について話題にするファンが17%と、様々な動機でこの全米一大イベントを楽しんでいることがわかります。

今回、SAP社はスーパーボウルのテクノロジーパートナーとして大会を後方支援した(写真:SAP提供)

今回、SAP社はスーパーボウルのテクノロジーパートナーとして大会を支援した(写真:SAP提供)

こんな巨大イベントを毎年全米各地で招致合戦で盛り上がり、そして1月末からお祭り騒ぎ、2月に入ると本戦で絶頂まで全米中が盛り上がれるなんて羨ましい限りです。

日本では人気がないアメフトというスポーツ

このアメフト、日本ではいまいち人気がありません。なぜでしょう?

同じアジアでも中国や韓国と比べても、やはり日本では人気がありません。

もちろんいろいろ理由はあります。日本人が好むスポーツと比べてやはりアメフトはあまりにも違うんですよね。野球、サッカー、フィギュアスケート、バレーボール、相撲、水泳、駅伝、マラソン、高校野球……それとアメフト。

アメフトファンがアメフトにハマる要素・魅力を、なぜ多くの日本人は魅力と感じないのか、皆さんはどのようにお感じになりますか?

私はこのトピックを「専門家ごとの分業制」、「計画と実行と進捗管理」、「数字による科学的なマネジメントと説明責任」の3つに対する日本人の好き嫌い、得意不得意と切り離して考えることはできません。

少し説明します。

まず「専門家ごとの分業制」ですが、アメフトでは選手の役割が明確に定義され、それが分担されています。交代も自由で試合中どんどん入れ替わります。その個々の専門家の組み合わせパターンを事前に定義して、徹底して反復練習します。相手ディフェンスがいなくても練習ができるという点で、それほど相対的なスポーツではありません。まずは自分たちのスタイル、戦術、作戦が先にあります。

次に「計画と実行と進捗管理」ですが、個々の動き方を緻密に定義した攻撃の型の選択を状況によって指揮官が決定し、ゲームを組み立てます。局面とプレーごとに計画を先に決めて、いかに計画通りそれが実行されるかが重要なスポーツと言えます。ワンプレーごとに計画と実績との評価が行われ、次の計画をまた立てます。

データ分析においても、QBがボールを放すのが0.x秒遅かったとか、0.x何ヤード外側から膨らんで走るべきだったなど、そういう予実評価が数多く登場します。

最後に「数字による科学的なマネジメントと説明責任」ですが、これは本当にアメフトで日常的に染み付いているやり方と、日本のスポーツ、日本のビジネス、日本の日常生活のそれとは随分異なります。

NFLではコミッショナーの会見も監督の会見も、全てにおいて数字や意思決定の根拠が語られます。コミッショナーであれば今シーズン注力したテクノロジー改革でどれだけの成果が上がったのか、試合後の監督インタビューであれば、なぜあの状況でランプレーではなくパスプレーを選択したのか、全て数字で根拠を示します。

よく言われることですが、アメリカでは「消費者教育」と言われるフォード大統領の時代に国民の権利として定義された初等教育によって、意思決定のやり方が小さな時から養われます。そこで何を学ぶのかというと、意思決定やその根拠の提示です。意思決定のやり方、その際の事実の集め方、関係者の説得の仕方、これらが全くネイティブの日本人とは異なるのです。

1つ関連するエピソードをご紹介します。この連載を書いている今日、全日本女子バレーの眞鍋監督とお話しました。彼がデータを重視するようになった大きな理由の1つが「女性のマネジメントは男性とは全く異なる。フェアにものごとを進めるために主観を排除し共通のモノサシとなる客観的な数字が必要だった」と言うのです。

単一民族だから……あうんの呼吸で……現場が強い……などの議論を日本では耳にします。

様々な国籍が一緒に仕事し、かつ通常の日本企業に比べて労働の流動性が高いグローバル企業は、「共通で標準化された客観的な情報」を好む傾向にあります。ガバナンスを利かせ、それを世界中に浸透させます。これに関して日本の常識と彼らの常識は本当に全く別物です。

外資系は数字で管理するとか、IT業界は数字で管理するのを好むとか、それは都市伝説です。ただし一定の多様性を持つ組織では客観的な事実で表現し、共通のものさしで判断するというような標準のプロトコルは意思疎通や意思決定のインフラとして言語以上に重要で必要不可欠な要素となっています。

そこに参加する全員が、そのやり方を好んでいるわけではありません。しかし、皆「数字による科学的なマネジメントと説明責任」以上に共通して利用可能な『コミュニケーションツール』があると考えていないのも事実です。それをそう考える人口は明らかに日本よりも、アメフト人気国家・アメリカに圧倒的に多く存在するのです。

私の個人的な感覚ですが、上場企業の社長や経営者でアメフト好きという方を何人か存じ上げていますが、その方々はこれまた極度のアメフト型経営を嗜好します。アメフト好きな経営者で、数字が嫌い、根拠の提示に興味ない、意思決定ゲームが得意でない、そういう方はきっとほとんどいないのではないでしょうか。

昔好きだった授業に「意思決定論」というものがありました。意思決定の経済性計算などを学ぶのですが、単純な利益計算による比較でA案とB案のどちらを選択するかや、より複雑なもので言えば企画から量産時のライフサイクルの原価計算で内製するかパートナーシップを選択するか判断するもの、さらには何もやらないことのリスク、何もしないことのコストなどを加味して市場参入の意思決定の判断を下すものまで様々でした。

「日本でアメフトがいまいち人気がでない理由」――それは日本で常識とされる組織の作り方や意思決定のあり方が、アメフトで常識とされるそれとあまりにも乖離があるからでしょう。

私は日本でアメフトの人気が爆発する時がいつか来るとしたら、その時はもう日本企業は意思決定が遅いとか、プロセスが不透明だとか、プランBの危機管理ができていないとか、そんなことは言われなくなっている時だと思います。ある種のバロメーターとしてこれからも注目していきたいと思っています。

失敗の2つの定義

意思決定のやり方に加え、もう1つ、多くの日本人の常識と異なる常識が存在する例を紹介したいと思います。

それは『失敗』に対する捉え方です。

『失敗』には意味の全く異なる2つの定義があります。これをそれぞれタイプ1とタイプ2と呼びましょう。

タイプ1の『失敗』は、ミスを犯してしまうことです。多くの日本人あるいは世界中の大企業組織ではミスを犯すことが失敗とされ、それは恥とされ、その恐れとリスクを回避するように人は動きます。その時脳はイノベーションが生まれにくい働きをしています。

一方、タイプ2の『失敗』は、可能性を逃してしまうことです。タイプ2の典型的な人種はシリコンバレーの人間です。このタイプ2人種というのは、大きな可能性を逃してしまい別の誰がやってしまうことにこの上なく苦痛を感じます。それを『失敗』と呼びます。

日本では何もしなかったことで『失敗』と言われることはまずありません。例えばシリコンバレーでは機会の大きさを知っていながら何もせず観察や勉強だけしていたとなれば、大失敗と言われます。

日本ではむしろ十分な準備や根拠なく意思決定してしまい『失敗(タイプ1)』を犯してしまえば、勇み足と言われます。シリコンバレーでは見切り発車で転んでしまうと、本当に「I found!! (the way to fail)」とか「Discovered!」とかと真顔で言います。むしろ嬉しそうです。心底そう思っているのでしょう。

「いまここで決断することを決断できない」、「他にもっといい方法があるような気がする」、「過去に実践してみたがうまくいかなかった」、「投資対効果がわからない」……日本の意思決定は遅いと言われます。では意思決定が速いと言われる人たちとは何が違うのでしょうか?

彼らが事実に基づき、十分な情報で、客観的に、リスクも投資対効果も明らかにされ、周囲のコンセンサスを得ているのかと言えば、そんなことはないようです。少し古い情報ですが、フォーチュン誌の大企業の経営者のアンケートでは7割の人は「十分な情報で意思決定できていない」と答えています。

それでも決断しています。なぜでしょう? タイプ1とタイプ2です。何もしない、またはその実行の遅れで機会を逃す失敗と、何かをやってミスを犯した時の失敗とを正当に比較しているからです。日本ではチャンスを逃すコストの評価方法も教わりませんし、何もせずとも発生する埋没コストの評価方法も教わりません。

日本には熟慮という言葉もあります。日本人にとっては薄っぺらなアイディアと思うことが、さも世界を変えるアイディアかのように誇張されることに違和感を感じたことがある人もいると思います。でもフェイスブックのマーク・ザッカーバーグが言うような「done is better than perfect」、こうしたパラダイムで価値観が動きつつある事実もまた私たちの新たな意思決定ゲームのルールとして知っておかなければならない流れなのでしょう。

馬場 渉
Chief Innovation Officer, SAP