【高校野球】“ペッパーミルパフォ”への注意に高野連が声明「気持ちは理解できますがプレーで楽しんで」
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興味がないので知らないだけかもしれませんが,高校野球でエール交換ってやっているのでしょうか.
相手のミス(敵失)に対して,選手と応援はどう振舞うかでしょうか.逆の立場が思えるかでしょうか.
SNS炎上投稿と同じです.やった自分たちは快感なのでしょうが,別の立場である,例えばされた相手がどう思うかの想像の欠如.そのような方向に社会が向かっているようで嫌ですね.
ちょっとした時,一瞬で自分の本音が出てしまうこともあり,その場その場で考えてできるものでもないので,日ごろの意識が重要だと考えます.
エンターテイメントのプロスポーツと違い,学校での部活動はそうした訓練の場だと思っていましたが,子供だけでなく,指導者や見守る大人も変わったようです.また主催者側もそれを適切に伝えられなくなったようです.
【追記】この記事の中では,その場にいた監督がそういったことに触れていないので,私が間違っている可能性が高いです.高野連の声明は、読むと理解できます。東北高校の監督さんが問題提起したように、なぜ止めたのか理由が知りたかった。それに対して、理由の説明があったということです。
ゲームをやるからには勝負を楽しみたい、楽しみながら試合をしたい。この考え方は、監督さんも高野連も方向としては同じです。ただ、楽しみ方の方法論が違っていた。
ペッパーミルパフォーマンスは、侍ジャパンでヌートバー選手が始め、大谷選手などのチームメイトがチーム内に自然な形で広めていった。パフォーマンスを楽しむというよりも、チーム全体を鼓舞してプレーに好循環をもたらそうとするものです。侍ジャパンでも、いつもやっているわけではなく、鼓舞すべきタイミングを考えてやっていることがうかがえます。
今回の東北高校の選手は、侍ジャパンに比べてペッパーミルパフォーマンスをやるタイミングが不自然でした。つまり、プレーの経過を踏まえて好循環を引き起こそうという本来のパフォーマンスではなく、ガッツポーズのような嬉しさの発露でもなく、プレーの経過なんて何でもいいからペッパーミルパフォーマンス自体をやってみたかったという、やや意識的な動きになっていたキライがあったということ。勝負に勝つために自らを鼓舞するのは、スポーツの試合では普通です。でもあのタイミングでやると、その後のプレーよりもパフォーマンスの連鎖のほうが主目的になってしまい、プレーや試合を楽しむ姿勢からズレてきてしまうことになり兼ねなかった。高野連は、そのことが言いたかったのでしょう。
ちなみに野球の応援にも言えることですが、大勢で同じパフォーマンスを繰り返す応援も一体感があっていいものの、それもまた自然発生的なものです。選手のプレーそっちのけでやると応援の目的から外れてしまい、単にうるさいだけです。応援をしている中で、好プレーにつながったら自然に大いに盛り上がる。動作なんて全員がきちんと揃える必要なんてないし、やはりパフォーマンスをすること自体が主目的になってしまうと不自然です。
その人それぞれの感覚で自然なパフォーマンスをやる。それが個性というものですよね。「のびのび楽しく」は大歓迎ですが、注意を受けた選手は相手の失策で出塁したとのこと。ヒットなどでの出塁でないのならやめた方が良いし、むしろ監督が対戦相手(エラーした選手)をリスペクトするように指導してあげるべきでは。そもそもあの手のパフォーマンスは「あからさまに喜ぶことは対戦相手へのリスペクトにかけるということからチーム内だけに通じる他のポーズをとろう」という始まりだったはずで、どのような場面でどのように使うべきかは明白なはずです。その背景を踏まえた指導ができない指導者というのはいかがなものでしょうか。
なによりそんな背景を全く報じる事なく世論を誘導して対立構造を煽り、ニュースとしての「BuZZ」を生み出そうとするメディアの卑しさに辟易とします。