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ノーベル文学賞、大江健三郎さん死去…88歳

読売新聞
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    ジャーナリスト

    大江さんの「飼育」は、当時勢いがあった実存主義を見事に小説として実現した。
    僕は感嘆すると同時に、自分の文才のなさを思い知らされて作家になる事を諦めた。


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    毎日新聞 客員編集委員

    「想像力」の大切さを教えもらいました。それは他人を思いやる力だと私は考えています。大江さんの小説は、人間の善意と不屈の魂を信じ、もし人と人との間に溝があれば、想像力で飛び越えられると教えています。「万延元年のフットボール」を読み終えた時の感動は忘れません。若くして天才と言われながら、凡才非才を優しく受け止め、というより、上から目線などはどこにもなく、人間そのものに心よりの敬意を払う人でした。ひとつの時代が終わった、との総括ではなく、今の時代にこそ大江さんの精神を生かさねば、と思います。


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    戦後民主主義と共に生き、戦後民主主義と共に去っていった人でした。
     ノーベル文学賞を受賞するほどの人は、ある時代を体現するほどの作品をつくる人ですが、大江健三郎が体現したのは、1960年前後、戦後民主主義が日本社会のよりどころであった時代です。
     作品でいえば、『飼育』から『万延元年のフットボール』あたりまでの1960年代の作品、戦時中の日本が間違っていた分だけ戦後民主主義は正しく、大江健三郎の小説が最も生き生きとしていました。

    かといって、大江健三郎は戦後民主主義の礼賛者ではなく(もしそんな程度の人間であればノーベル文学賞など受賞できませんが)、彼の作中の戦後民主主義の社会は、常に閉塞感と無力感が漂い、作品の主人公たちは「監禁された状態」にあるという意識にとらわれています。
     登場人物たちは政治とは距離を取り、革命をうったえる左翼運動に対してはニヒリズムに満ちたまなざしを向け、作品の多くは無力感と共に終わります。
     その戦後民主主義理解が、同時代者の共感を得ました。
     
    1970年代以降、『治療塔惑星』とかの時期は、反機械文明思想などにすがって地に足がついておらず、もはや迷走していた観があります。

    大江健三郎は、戦後民主主義の環境下に置かれた日本社会を描いた人ですが、同時に、郷里の愛媛県にもひとかたならぬこだわりを持ち、ガルシア=マルケスの魔術的リアリズムのように、愛媛の山村の年代記を著しました。
     そこが、大江健三郎の最も地に足の着いたところで、創作の根源があったところでしょう。


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