2023/3/10

ヘルスケアの完全パーソナライズは幸福につながるのか

NewsPicks Brand Design シニアエディター
 ヘルスケア領域におけるウェアラブルデバイスの実用化が進み、デジタル技術を活用した医療・健康ソリューションは拡大の一途を辿っている。
 バイタルデータ(脈拍、血圧、体温など)をはじめとする各種の健康データを活用することで、完全にパーソナライズされたヘルスケアサービスを享受できる未来はそう遠くないかもしれない。
 ただ、それが本当に幸福につながるのだろうか?
 普遍的な健康美を追求する資生堂の中西裕子氏と、NTTデータで健康データの利活用を推進する湊章枝氏に、ヘルスケア領域におけるより良い顧客体験のあり方について語ってもらった。
テクノロジーの発展により、あらゆる業界で新たな潮流が生まれる一方、急速な変化に伴う課題も生じています。その両極にはどんな景色が広がっているのでしょうか。

各界の有識者とNTTデータのエバンジェリストが、各種の産業の将来を見通す対談シリーズ「未来予測2sides」。

視点の異なる二人が意見を交わし、ポジティブとネガティブ、両方の未来シナリオを描きます。
──ヘルスケアは幅広い概念ですが、お二人はどのように定義していますか?
 私がNTTデータに入社した頃は、病院が行う検査や治療、企業や地方自治体が行う健康診断や健康増進サービスなどが、ヘルスケアと呼ばれていました。
 いわば公の世界の言葉で、「病気にならないためのケア」というニュアンスを多分に含んでいました。
 他方、民間におけるヘルスケアは、生活者の健康状態に応じて、最適な商品やサービスを提供したり、その効果を確認したりすることが主流で、基本的に病気の有無に限定されません。
 例えば美容の世界であれば、顧客に肌の状態を伝えるために、顔の血流量を計測するなどヘルスケアの知見やデータを活用しています。
 そこで、私たちのチームでは、ヘルス(病気か病気でないか)にとどまらない民間のヘルスケアを「ウェルビーイング」という言葉で表現しています。
入社以来、医療・ヘルスケア領域を中心とした新規ビジネス企画や、グローバルデジタルオファリングへの投資・成長支援などを担当。現在は「健康データとさまざまな業界・企業のデータを融合させた生活者起点でのビジネス創出」に従事。
中西 公と民の違い、すごくしっくり来ます。当社は2030年ビジョンとして「パーソナルビューティーウェルネスカンパニー」になることを掲げ、お客様が生涯を通じて自分らしい健康美を実現することを支えていこうとしています。
 ここでウェルネスという言葉を使っているのは、未病や治療ではなく、より良く生きることにフォーカスしているためです。
 わかります。私たちも、多様なデータが混在するヘルスケアデータの中から、病院などで医療従事者が扱うデータを「医療データ」、健診結果や個人が測定するバイタルデータなど民間で活用されるものを「健康データ」と呼び分けています。
 ヘルスケアデータは、測定目的、測定した人、測定方法などに応じて機密性や管理方法が異なるため、もともとは、それらの違いを示すために設定したのですが、今は公民の用途の違いを示すための区分けにもなっています。
──ヘルスケアはいつ頃から民間に広がり、ウェルネス的な意味を持ち始めたのでしょうか?
中西 当社が意識し始めたのは4、5年前です。
 ウェルネスやウェルビーイングといった言葉が叫ばれ始め、外見をどれだけ華やかに見せるか、という刹那的な美ではなく、内面の美や、中長期的な目線で人生の質を追求することの重要性が語られ出したのが、この頃だったと記憶しています。
スキンケア商品の処方開発研究、化粧品基剤の基礎研究、デザイン思考的アプローチを用いた研究テーマ設定を経て、現在はR&D戦略、新規研究企画の立案、資生堂R&Dオープンイノベーションプログラムfibonaのプロジェクトリーダー。
 ウェアラブルデバイスの台頭も大きいですよね。
 私たちのチームが手がけている「Health Data Bank®(ヘルスデータバンク)」というクラウドサービスがあります。
 個人の健康データを収集・管理するもので、2002年から「企業の従業員健康管理サービス」として提供していますが、民間でも活かしてもらうべく、十数年以上前から保険会社や旅行会社などにアプローチしていました。
  ところが当時の健康データの主流は、制度に基づいて収集される「健診結果」で、民間からするとデータ入手のハードルが高かったことや、そもそも「年1回の健診結果」だけでは使い道が見出せなかったことから、ヘルスケア領域に踏み出す企業が少なかった。
 それが今やスマホやスマートウォッチで歩数や心拍数が測れます。
 生活者が測定するリアルタイムなバイタルデータやライフログから新たな顧客体験価値を生み出すことが可能になり、健康データの利活用の気運が一気に高まっています。
──ヘルスケア領域で民間企業の動きが活発化しているようですが、課題はありますか。
 現状で言えば、企業ごとに健康データ活用への姿勢に濃淡があります。
総務省の「情報通信白書」によれば、パーソナルデータ(※)を活用している国内企業は約50%。この割合はグローバルで見たら、低水準です。
※個人の属性情報、移動・行動・購買履歴、ウェアラブル機器から収集された個人情報など、個人にまつわる広範囲な情報
 健診結果など要配慮個人情報を含む健康データは、パーソナルデータの中でも管理や活用のハードルが高いので、活用している企業の割合はさらに低くなると思います。
 資生堂さんをはじめ一部の先進企業がそこを突破して、新たな価値創造に突き進んでいますし、当社のヘルスデータバンクへのお問い合わせも増えていて、私たちのチームも、ここ2年間で、100社近くの企業の方々と意見交換をさせていただきました。
 ただ、国内全体で見れば、データを集めたものの使い方がわからない、あるいはインシデントリスクに加え、データ収集・管理にかかる手間やコストの高さから、データ活用に慎重という企業が少なくありません。
中西 よくわかります。例えば健康診断を受けても結果の用紙をもらうだけで、自身の健康データがQOLの向上に活かされないという状況は、豊かな未来とは言えませんよね。
 私もそう思います。実際問題、現時点では、多くの生活者がデータ活用に消極的です。
「情報通信白書」によれば、「外部への流出」や「プライバシー保護」の観点から6割超の生活者が健康データの提供に不安を感じていると回答しており、当社が実施した意識調査でも似たような結果が出ています。
 他方、当社調査では「メリットやお得感を感じる場合は健康データを提供する」と回答した人が7割近くに上り、受けたいサービスの上位に「医師や薬剤師などにデータを共有できるサービス」が挙がりました。
 医師や薬剤師へのデータ提供に抵抗感が少ないのは、より良い治療を受けられるというメリットが明白だからでしょう。民間サービスは、まだそういう認識を持たれていないのが現状です。
中西 確かにベネフィットがわかりづらいと、企業に個人データを渡したくないと考える生活者はたくさんいそうです。
 だからこそ、健康データを積極的に提供する人とデータ提供に慎重な人に分かれるわけですが、それが自分に適したサービスを享受できるかどうかの分かれ目とも言えます。
 ウェアラブルデバイスを通じて健康データが容易に取得できる時代になったにもかかわらず、データ活用に消極的なゆえに体質に合ったヘルスケアサービスを知る機会を失い、自分に合わないものを使い続ける人が出てきてしまう。
 これがネガティブな未来の姿と考えます。
──多くの生活者は、あらゆる分野でそれなりに質の高いサービスを今も享受できているという認識を持っていそうですが、現実はそうではない、ということでしょうか?
 おっしゃる通りです。例えば血液型は、20世紀初頭までは存在が認識されていなかったんです。
 それまでの輸血は運を天に任せているようなもので、血液型が合わない輸血を受けて亡くなる人もいました。
 研究を重ねてABO型やRh血液型が発見されて、今では自分の血液型に合った輸血が受けられるのが当たり前。
 病気の治療も同じで、自分のデータに基づいて、自分に合った治療法や薬を探していく。医療の分野ではこうした個別最適化がどんどん進んでいますが、日常生活になるとそうなっていません。
 化粧品も本当は個々人に最適な商品があるのに、安いからとか、インフルエンサーが紹介していたからとか、そういう理由で自分の体質に合わないものを選択し、結果的にウェルビーイングを下げている場合もあるのではないでしょうか。
中西 そうですね、やはり肌に合う・合わないはあるので、ご自身の体質を理解し、最適な選択をしている人とそうでない人で、差は生まれると思います。
 ただ、化粧品の難しさは、嗜好品の要素も備えているところです。
 データが導き出す答えが何より優先され、本人が選べなくなってしまったら、それはお客様から楽しみを奪ってしまっているとも言えます。
 たとえ肌質に合っているものがあっても、香りやテクスチャーが好みじゃなければ、ウェルビーイングにつながらないこともあると思います。
 作り手としては、化粧品を選ぶ楽しさもお客様に感じてほしい。
 その意味で、多くのお客様がデータ一辺倒になり、自身の感覚や自主性を手放してしまうことも、ネガティブな未来だと感じます。
──嗜好品の場合、消費者は「自ら選ぶ」という体験を通じて初めて本質的な満足感が得られる、と。
中西 そうです。本日お越しいただいている「S/PARK」内にある「Beauty bar」という店舗では、パーソナライズスキンケアサービスを行っています。
 肌を分析し、肌を触らせていただいて、個々人に合った化粧水や乳液を作るのですが、そこでもテクスチャーや香りの好みも伺います。
 データも、選ぶ楽しさも、両方兼ね備えると良い世界になるのではと思います。
 なるほど。それはまさに、“自分に合っているかどうか”を判断するヘルスケアと、それに加えて“自分が幸せを感じられるかどうか”を見出すウェルビーイングの違いですね。
──ネガティブな要因を払拭し、ポジティブな未来を引き寄せるカギはどこにあるのでしょうか。
 資生堂さんをはじめ、表に立つ企業の皆様が、健康データを活用することのメリットを発信していくことが不可欠だと思います。
 そこで大切になってくるのは、世界観やストーリー。消費者が企業の姿勢や理念に共感しないと始まりません。
中西 まずはサービス提供者が届けたいストーリーや価値があって、それを実現するためのツールとしてデータを活かす。
 データが前面に出るのではなく、ユーザー体験の中に自然な形ですっと入っていくのが理想ですよね。
 まさにそうです。健康データの利活用にあたって、私たちが一番大事にしているのは「生活の中に溶け込ませる」こと。
 一例を挙げると、オフィスで働いている人の状態をモニタリングして、ストレスの高そうな人にはそよ風が出てくる――そんなシステムを開発しようとしている会社があります。
 バイタルデータを見ながら、その人の状態を予測し、最適なBGMを流す、ということを研究している企業もあります。
中西 どちらも面白いサービスですね!
 データに基づく最適解を押し付けるのではなく、「操作していないのに、いつの間にかちょうどいい温度になっている」というさりげなさを追求しているところが素晴らしいですよね。
──そういった斬新なヘルスケアサービスを実現しようにも、健康データの利活用にはさまざまな壁があり、企業はなかなか踏み出せないというお話もありましたが、そこはクリアできる見込みがあるのでしょうか。
 確かに今は、健康データの収集や管理のコストが高く、投資体力のある企業が先行している状況です。
 ただ、近い将来、そこは非競争領域になると思います。国が推進している医療DXやウェアラブルデバイスの普及がさらに進み、データ取得がますます容易になっていくからです。
 さらに言うと、企業が集めようとしている健康データは、ほとんど同じものです。であれば、データを収集・管理する基盤を共同化して、複数企業で利用すればいい。
 そこで、当社がデータ収集・管理の基盤を用意するので、企業の皆様はサービス開発に専念してください、というのが「ヘルスデータバンク」の思想です。
 百貨店同士が配送システムを共同利用して、コスト削減を図っているのと似たようなものです。
 保険、美容、製薬、食品、小売──。自社サービスと健康の接点が見えるさまざまな企業がヘルスデータバンクを利用しています。
 この先、異業種同士の連携を促し、それぞれの強みや保有データを融合させることで、新たな化学反応を生み出していくお手伝いをしていきたいと考えています。
中西 すごく魅力的なお話ですね。当社でもさまざまなスタートアップと共創しながら、ビューティーウェルネスを実現するサービスの開発に取り組んでいますが、そこにNTTデータさんの健康データが加わると、全く別の価値が生まれそうな気がしました。
 ぜひ、一緒に取り組みたいですね。
──中西さんは共創を通じてどんな未来にしていくことを思い描いていますか。
中西 これは個人的な思いになりますが、私がお客様に届けたいのはポジティブなメッセージです。
 アンチエイジングという言葉に象徴されますが、若い、若くないといった社会の中で形作られた価値観を押し出すと、“恐怖訴求”になりかねません。
 当社が掲げるビューティーウェルネスは、多様な健康美を包含するもの。当社の研究チームも新たな美の評価軸を見つけることを意識していますし、共創もその一環です。
 多様な美を肯定する前向きなメッセージを発信しながら、お客様の理想の実現を支えていく──そんな未来を思い描いています。
 すごく共感します。
 今、さまざまな企業が、「病気か病気でないか」「若いか若くないか」といった白黒の価値判断ではなく、個人によって異なる「幸せ」や「喜び」につながる評価軸を模索しながら、新たなサービスの創出に挑戦しています。
 企業の皆様が、生活者がメリットを感じるサービスの開発に注力できるよう、私たちNTTデータも、健康データを安心安全に収集・管理できる、そして同じ志を持つ企業同士が健康データを介してつながれるデータ基盤を整えて、ヘルスケアの発展や生活者の心地よい暮らしに貢献したいと思っています。