2023/3/3

【逆転】日本でダメだった僕が、名門大学でラボを持つまで

NewsPicks NY支局長
「これで論文を出せなければ、俺はもう終わりだ」
2014年の春、石原純さんはスイスに向かう飛行機の中で、一人つぶやいていた。
それまでの5年間、石原さんは東大の博士課程にいた。だが、大きな成果は上げられず、周りと比べても「並以下」の研究者でしかなかった。
「僕が悪いのか。環境が悪いのか。だったら『環境が悪い』に賭けてみようと海外に出ることを決めたんです」
定員を大きく上回る50人の申し込みが来る石原さんのラボ
自暴自棄な賭けにも聞こえるが、実のところ、石原さんは今、世界のトップ大学で自らの研究室を構えている。世界の大学ランキングで6位、生命科学分野では欧州トップのインペリアル・カレッジ・ロンドンから終身雇用のオファーを受けたのだ。
しかも日本時代はからっきしだった論文は、日本を出るや否や、科学誌の権威『サイエンス』や『ネイチャー』に19本掲載されるなど、まさに覚醒を遂げた。今や海外で2社、日本で2社の起業も手掛けている。
「もともと海外志向があったわけでもないし、今でも英語は苦手です」
こう話す、石原さんの海外での「逆転劇」のきっかけは何だったのか。そのキャリアについて聞いていくと、日本のアカデミアの問題点が浮かび上がった。
INDEX
  • ①そのとき、面接官は寝ていた
  • ②共通言語は「サイエンス」
  • ③日本でワクチンができない理由
  • ④役に立つが「金儲け」と言われる
  • ⑤「英語」より大事なこと
  • ⑥それでも日本の役にたちたい

①そのとき、面接官は寝ていた

2020年の東京からシカゴへ戻る機内。今回は石原さんは怒りに震えていた。
当時、スイス工科大学ローザンヌ校での免疫・創薬での成果が認められ、研究室ごと移動したシカゴ大学でのポスドクが終わりを迎えるタイミングのことだった。
次のキャリアへ踏み出すための就活を進めていたのだが、「日本のために頑張りたい」という気持ちもあり、日本の3大学に応募したところ、耐え難い仕打ちを受けたのだ。
「圧迫面接は当たり前で、面接官は寝ていることもあった。さらに自分の意向を伝えると『金儲けしたいなら企業へ行け』と言われるし、イライラしすぎて、気づいたら帰りの12時間のフライトが終わって到着していました」
先述の通り、サイエンスやネイチャー系の論文に15本以上が掲載と、同世代の研究者と比べても成果は圧倒的だったはずだ。
にもかかわらず、結果日本からは一つもオファーが来なかった。
一方で、海外では5つの面接/オファーがあり、中でも「最高の待遇」を提示してくれた欧州トップのインペリアル・カレッジに次のキャリアを決めることになった。欧米のトップラボでは、日本の3、4倍の年収をもらうことが当然だ。
僕のやりたい薬を作る研究は日本ではできない」。そう結論づけるしかなかった。
そして、今石原さんの研究室には、定員15人弱のところに、50人以上の申し込みが殺到するほどの人気となっている。さらに研究費も2億円を超える額を獲得した。