2023/3/2

【壮絶サバイバル】私、レイオフされました

NewsPicks NY支局長
いくら賃金差があっても、海外で働くのは難しい。
特集でも伝えた通り、欧米でトップ校の海外MBAを取得したとしても、①英語力②ビザの壁を前に大半が帰国しているのが現状だ。その上に、③労働環境の違いもハードルをさらに高くしている。
だが、3つのハードルを乗り越え、奮闘するジャパニーズもいる。
その一人、日本の大手メーカー勤務から一念発起し、ニューヨーク大学でMBAを取得した山口佳織さんは、2年前マーケターとして現地の就職先を見つけたが、その後、雇用環境の悪化でレイオフの憂き目にあった。
ビザの関係で「強制退国まで45日」というカウントダウンが始まる中、山口さんは無事に新たな就職先を見つけた。
しかも、逆に25%もの給料アップを勝ち取ったのが、実にアメリカらしい。
「アメリカはもちろん厳しいですが、気合いと執念、根性があれば乗り越えられる。何よりも多様性ある環境で成長を実感できるのは常にワクワクします」
NewsPicksは、そう話す山口さんに、日本での安定職を捨てて海を超えた理由、MBA取得から就活、レイオフ克服までの「超絶サバイバル物語」についてすべてを聞いた。
INDEX
  • 壮絶①300万、夜行バスでMBA準備
  • 壮絶②入学半年でロックダウン
  • 壮絶③駐在叶わず、困難の現地就職へ
  • 壮絶④レイオフ、強制退国まで45日
  • 壮絶⑤怒涛のサバイバル就活

壮絶①300万、夜行バスでMBA準備

「私は、20代前半まではずっと周りに流されるままに、安定した進路を歩んできました。高校から漠然と海外にも興味はあったんですが、強い意志があるほどではなく…」
福井県の「ど田舎」の出身だという山口さんは、大学から院、新卒までは手堅いキャリアを歩んできた。
手に職があれば安泰」という理由で理系を選び、地元の大学から京都大学の院、そして関西の大手電機メーカーで研究職を手にしたのだという。
新卒入社時の山口さん
「親も喜んでるし、特に不満もないな」とその生活を楽しんできたが、20代も後半に入るころ、ふと自分のキャリアに疑問が湧いてきた。
「大手企業だとこのままいったら何歳で課長になる、とか将来が大体見えてしまう。さらに海外勤務も、研究職は年次で決まっていたり、社内力学もあると知り、『これが生涯やりたいことだったっけ』とワクワクしなくなっていたのです」
そこで、一つの道として見つけたのが、MBAという選択肢だった。
「最初はMBAという言葉も知らなかった」という山口さん。