2023/2/22

【地方創生】「人起点」で徹底的に地域に寄り添い伴走

ライター
奥多摩エリアで進行中のプロジェクト「沿線まるごとホテル」。本格開業に向け奔走する代表の嶋田俊平さんは、数々の地域創生ビジネスを成功に導き、全国の地方自治体から引っ張りだこの存在です。嶋田さんは、なぜ地方創生ビジネスに情熱を注ぎ、それがなぜ結果を出しているのか──。その秘密を探ってみました。
INDEX
  • 憧れの日本。「ふるさと・里山」の風景を守りたい
  • 計画を提案するだけでは、絵に描いた餅
  • 最後まで伴走するコンサル「さとゆめ」
  • 過疎高齢化の地方では、人の確保が課題
  • 「人起点」で開業準備を進める「沿線まるごとホテル」

憧れの日本。「ふるさと・里山」の風景を守りたい

首都圏から日帰りで楽しめる多摩川源流の美しい水と森の自然
父の仕事の関係で、タイやインドで子ども時代を過ごした嶋田俊平さん。海外育ちだからこそ、日本の田園風景への憧憬があったといいます。
嶋田 「私が海外で過ごしたのは、ちょうど80〜90年代。日本はバブル絶頂期で、当時のアジアの国から見ると憧れの国でした。高1で帰国するときは、そんなすばらしい日本に戻るんだと意気揚々としていたのに、待っていたのは自信を失ってしまった日本人の姿。大きなショックだったのを覚えています。
それと同時に、日本の田園や里山の風景がどんどん失われている様子にも、強い憤りを覚えました。“こんな美しい景色が失われていくなんて…”という気持ちでいっぱいでしたね」
(写真提供:沿線まるごと株式会社)
タイ時代、熱帯雨林が次々と破壊されていく様子を目の当たりにしたことは、嶋田さんにとって、自然への強い関心を植え付けるきっかけになります。
沿線まるごと株式会社 代表 嶋田俊平さん。
京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修了。環境系コンサルティング会社・プレック研究所を経て、2013年に「さとゆめ」を創業。JR東日本との共同出資会社・沿線まるごと株式会社の代表取締役を兼務。ほかにも多数の地方創生ビジネスを手がける。
嶋田 「タイでは、かつては熱帯雨林が国土の90%以上を占めていましたが、先進国の木材会社や製紙会社が伐採しつくして、今では木材輸入国になっています。日本企業などが森林再生の名目で植林活動をしていますが、それらも根付いていないのが現状です。そんな熱帯雨林をどうにか再生したいという気持ちから、京大で森林科学を学ぶことにしました」
そんな京大生の嶋田さんを待っていたのは、里山の風景を色濃く残す京都・鴨川源流にある雲ヶ畑集落との出合いでした。
雲ヶ畑で毎週のように山仕事を手伝っていた大学生時代。後列中央が嶋田さん(写真提供:沿線まるごと株式会社)
嶋田 「当時の雲ヶ畑は、築100年を超える古民家が点在する、四季の移ろいが美しい自然豊かな里山。雲ヶ畑に通うようになって、これこそ自分が思い描いていたふるさとの原風景だ、と強く引かれました。毎週のように雲ヶ畑に通って、地元の方々にもかわいがっていただきました。ここに永住して日本の林業の課題を解決したいと本気で考えるほどでした」
しかし、そんな理想はもろくも崩れ去ります。予想以上に速いスピードでさびれゆく林業。気がつくと、鴨川上流の美しいせせらぎの脇に産業廃棄物置き場ができて、次々と産業廃棄物が運び込まれるように。
嶋田 「ふるさとだと思っていた場所を守れなかった。自分は非力だと、頭を殴られたような感じがしました」
しかし、その挫折が嶋田さんを次のステージに運んでくれました。それが「ふるさとの風景や暮らしを守るプロになる」という目標です。

計画を提案するだけでは、絵に描いた餅

大学卒業後、環境系のコンサルタント会社に就職。官公庁や地方自治体などをクライアントに、地域振興ビジョンを策定。計画や戦略づくりにいそしみます。
嶋田 「地域創生ビジネスの戦略づくり自体は、とても楽しかったです。ただ、コンサルとして関わるのは計画の提案まで。そのうち、提案したプロジェクトが実際に稼働していないとか、頓挫しているというような話が耳に入ってくるようになりました。
結局、ビジョンをつくるだけでは、ただの絵に描いた餅。計画が実現するところまでサポートしてこそ、本当の地域創生じゃないか、と思ったのです」
そんな悩みを抱えるようになった頃、数年前に自らが関わった長野県信濃町の「癒やしの森事業」の順調な成功を知ります。癒しの森事業は、企業の福利厚生や企業研修に特化したビジネスとして、地元の人をガイドとして森林セラピーなどを行うというものでした。
コンサル時代に手がけた長野県信濃町の「癒しの森」事業 (写真提供:株式会社さとゆめ)
嶋田 「計画をつくるまでは信濃町に何度も通って、地元の方とも議論を重ねていたのに、報告書を提出したらすっかり足が遠のいていたんです。しかし、その2年の間に、自分が提案した事業を役場の担当者や地域の方々が実践してくれて、それを軌道に乗せていることを知って、本当にうれしかったですね。一方で、かやの外に置かれたような寂しさもありました」
信濃町役場の担当者との交流が復活したのを機に、嶋田さんは業務を離れた立場で再び癒しの森事業に深くコミット。企業回りやモニターツアーなどにも積極的に同行します。
嶋田 「リアルな場でプログラムをつくったり、お客様の生の声を聞いているうちに、“ああ、自分はこういうことがやりたいんだ”と実感するようになりました」
その満足感が、嶋田さんを「さとゆめ」創業へと後押しします。

最後まで伴走するコンサル「さとゆめ」

癒しの森事業に、のちにさとゆめの創業メンバーとなる4人が関わっていました。環境系コンサルタント会社にいた嶋田さん、役場の担当者だった浅原さん、信濃町でホテルを運営する武井さん、信州大学の教員をしていた中嶋さん。
立場や年齢は違えど、癒しの森事業を成功させるというひとつの目標を共有し、日々やり取りを重ねているうちに「このメンバーで起業しよう」という声が自然発生的に上がりました。それぞれが本業の組織ではできないことをやれる場として、2012年にさとゆめを法人化。すぐに「日本百貨店 しょくひんかん」という民営のアンテナショップの商品セレクトの仕事を請け負います。
嶋田 「副業的に始めたさとゆめですが、その仕事が楽しくて仕方なくなってしまった。本業よりもさとゆめの仕事がやりたいと、1年後には、環境コンサルの会社を辞めて、本格的にさとゆめを創業。常勤は私1人という状態でスタートしました」
さとゆめ2周年パーティで創業メンバーの4名が一緒に。右端が嶋田さん (写真提供:株式会社さとゆめ)
目指したのは「計画実行の最後までサポートする伴走型コンサル」。そもそも地方創生ビジネスでは、実行フェーズにこそさまざまな課題が山積みでした。それらを解決し、進める段階で挫折してしまうケースがほとんどです。そんな困難な場面でこそ、プロにサポートしてほしい。伴走型コンサルのさとゆめは、そんな自治体のニーズに応える存在を目標としました。
そのため創業当初から多くの仕事が舞い込み、会社は順調に成長。現在は、30人の社員が北海道から沖縄まで、常時50〜60のプロジェクトを抱えるほどです。

過疎高齢化の地方では、人の確保が課題

さとゆめでは、「計画起点ではなく人起点」で事業を推進しています。これまでアイデアを事業化しても担い手が集まらないという課題に何度も直面。その経験から、これからの地方創生ビジネスの成功は人材をいかに確保できるかにかかっていると考えているからです。
嶋田 「田舎に仕事がないから人が出ていくというのは過去の話で、今や仕事はあっても人がいない。それが、地方の現実です」
本格的な人口減少社会に突入した日本。人口減少の最先端が農山村などの地方都市です。特に地方創生に欠かせない若者は、貴重な存在に。
嶋田 「これまでのように行政と計画をつくって、補助金などの公的資金で予算を確保して、事業を立ち上げる直前の最後の最後に人を見つけるのではダメ。人材こそが最も貴重な資源であり、最初に確保しなくてはいけない。
そのうえで、担い手となる人たちと計画も資金調達も、事業の立ち上げも一緒にやっていく。それが私たちのいう“人起点”です。そうやってビジネスの立ち上げから主体的に参加してもらうことで、当然やる気もわいて困難にもチャレンジしていけるはずです」
その思いは、2021年にさとゆめが第ニ創業を宣言して策定した、新たなコーポレート・アイデンティティーとして「Local Business Incubator 人を起点として、地域に事業を生み出す会社」と、はっきりと明記されています。

「人起点」で開業準備を進める「沿線まるごとホテル」

人起点の事業推進では、まずは「誰とやるのか」からスタート。それは、「沿線まるごとホテル」においても同様です。古民家ホテル開業は2023年度末ですが、マネージャー候補者は2年以上前の2021年9月に採用しています。
「人起点」で地域に根ざしたビジネスをつくり出す
嶋田 「マネージャー候補としての採用が決まってから、本人は奥多摩町に住まいを構え、時間をかけて地域の方々と信頼関係をつくっています。並行して、客室となる空き家やスタッフとなってくれる人を探したりしながら、開業に向けて事業を動かしています」
さとゆめがこだわる伴走型に加えて、新たに人起点のコンセプトを加えた事業づくり。このふたつを実装するのが沿線まるごとホテルです。次回、最終回では、さとゆめを代表する小菅村の成功事例とともに、嶋田さんが沿線まるごとホテルを手がけることになった理由をお送りします。
次回に続く