2023/2/18

【新潟】下請けメッキ工場がワクチン運搬庫で国を救うまで

フリーランスライター・編集
新型コロナウイルス感染症のワクチンを運搬・保管するコンパクト冷凍庫「ディープフリーザー」で注目されるツインバード(本社・新潟県燕市)は、もともと、徹底したユーザー目線でアイデアあふれる「あったら便利」な家電製品をヒットさせてきた地方の家電メーカーです。

時代に合わせた製品を世の中に提供し続け、2021年に創業70周年を迎えました。第2回では、下請けメッキ工場から始まったこれまでの“変革”の歴史と、いままさに進めている、未来に向けたブランド再構築(リブランディング)の取り組みを野水重明社長に聞きました。
INDEX
  • 困難でも諦めないDNA
  • 下請けメッキ工場から家電メーカーへ
  • オリジナリティあふれる小型家電がヒット
  • 苦労して開発した製品は「我が子」
野水重明(のみずしげあき) 1965年新潟県生まれ。ツインバード2代目社長・野水重勝氏の長男。出生地の燕三条地域で高校卒業まで過ごす。工学院大学(東京)卒業後、ツインバード入社。大手都市銀行に3年間出向し、長岡技術科学大学大学院で工学研究科情報制御学を専攻、博士号取得。海外勤務、営業、経営企画などを経て2011年に3代目社長に就任。現在、同社のリブランディングを推し進めている。

困難でも諦めないDNA

「僕が言うと自慢しているようなんですが、この構造は秀逸ですよ。これは回転すると自重で豆が落ちてくるんです。ほら、ここに入って回転するので豆が挽かれるのですが、この刃の間が2、3ミリあけてあって……」
ツインバードの野水重明社長は、自社製品の全自動コーヒーメーカーを手に取ると、喜々として説明を始めました。自身も工学博士の技術者だけに、技術の話となると止まりません。
「この構造は、本当にゼロから社員たちが考えたんです。本当に、たいしたもんだなと思いますね。よくできてます」
野水社長が手にしているのは、創業70周年を迎えた2021年11月にリブランディングの一環として発表された、新しいブランドライン「匠プレミアム」のひとつ、「全自動コーヒーメーカー」です。3杯用と6杯用があり、実売価格は4万円以上とコーヒーメーカーとしては高額な価格ながら、2018年10月の発売から、じつに7万台を超えるヒット商品になりました。
いま野水社長は、ツインバードの未来に向けて打って出ています。リブランディングでは「心にささるものだけを。」をブランドプロミスに掲げ、ロゴマークを一新。そして、これまでの製品ラインアップを整理して、プロフェッショナル=匠の技を自宅で味わうことができる「匠プレミアム」と、本当に必要なものだけが持つ感動と快適を提供する「感動シンプル」という2つのブランドラインを立ち上げました。野水社長が、その狙いを語ります。
「ワクチン運搬庫で全国的にも知名度が上がったことで、これまでのようなエントリークラスの商品だけでなく、より高付加価値のブランド家電づくりにも挑戦するタイミングだと考えました。納品に大変な苦労をしたワクチン運搬庫によって改善された収益を、ブランドアセットに投資します」
「全自動コーヒーメーカー」の人気の秘密は、コーヒー界のレジェンドと言われる自家焙煎の名匠、「カフェ・バッハ」(東京都台東区)店主の田口護さんが監修していること。「世界一おいしいコーヒーが作れるコーヒーメーカー」を目標に掲げた開発スタッフは、田口さんに弟子入りして、豆を挽くための特殊なミルまで開発しました。
人気の「全自動コーヒーメーカー」(提供:ツインバード)
「挽いた豆の粒をそろえることによって、すっきりしたコーヒーの味が出ます。それから、抽出時のお湯の温度は、豆本来の味が引き出せるように83℃に。あとは、ハンドドリップを再現した構造など、エンジニアがたいへん苦労して開発しました」(野水社長)
こだわり抜いた作り込みは、田口さんから学んだコーヒーの“正しい作法”を忠実に再現し、豆を挽く精巧なミルの刃には、燕三条地域の金属加工の高い技術が使われました。
「何よりうれしかったのは、田口さんから『これまでも何人か来たけれど、ツインバードさんはみんな諦めずに最後までやり遂げて、完成してからもミルにこだわっている。そういう社員がいることは、すごく恵まれている』と言っていただいたことです」
もうひとつ、「匠プレミアム」ブランドラインの「防水ヘッドケア機」は、ヘッドスパ美容の第一人者である美容施術家、山本幸恵さんとともに開発。山本さんの手の動きを詳細にデータ化して再現するなど、開発にかけた時間は3年間です。山本さんもまた、どこまでも理想に近い製品にしようと奮闘するツインバードの開発スタッフに感心したそうです。どちらの製品も、燕市のふるさと納税返礼品としても人気を博しています。
手前にあるのが「防水ヘッドケア機」
一方、「感動シンプル」ブランドラインの「スチームオーブンレンジ」は、せいろで蒸すように内部で均一に蒸気がまわる業界初の構造。必要最小限にそぎ落とされた使いやすい機能と、手入れのしやすさも特徴です。ここでも、「個人的には、焼かない焼きそば……焼かないのに焼きそばという、これがイチ押しです」と野水社長の解説は止まりません。

下請けメッキ工場から家電メーカーへ

現在に続くツインバードの歴史は、1951年、新潟県三条市で野水社長の祖父、重太郎氏がメッキ加工業「野水電化被膜工業所」を創業したことから始まります。
新潟県のほぼ中央に位置し、隣り合わせの燕市と三条市を合わせた燕三条地域は、当時から金属加工と洋食器生産の集積地として全国に知られており、「野水電化被膜工業所」はこの地域に数多く存在した、いわゆる“下請け”のメッキ加工工場のひとつでした。
収益が安定しない下請けからの脱却を図るべく、1963年に初めて自社オリジナルのメッキ製品を製造し、冠婚葬祭マーケットで販売を開始。豪華で見栄えのいいトレーを1000万枚以上売り上げるなど、主にギフトアイテムで好調に業績を伸ばし、海外への輸出も増えていきました。
1977年には社内に企画開発部を設置し、下請けからメーカーへと大きく舵を切ります。金属素材だけで製品を作るというそれまでの常識を覆し、明るい色のプラスチックを金属製アイスペールとウオーターピッチャーに組み合わせた「ホームバーシリーズ」は年間50万台を超えるヒット商品に。自由な発想で異なる「もの」を組み合わせ、新しいアイテムを世に出す、現在まで続くオリジナリティの原点となりました。
1979年には前身の「ツインバード工業」に社名を変更し、1981年に現在の場所、燕市に本社を移転。ギフト市場で順調に成長を続けます。
ここでツインバードはもう一度、転換期を迎えます。1984年に自社プラスチック成形工場を新設し、家電製品の開発に本格着手したのです。
「1983年には乾電池を使う小型家電をギフト市場向けに作っていたのですが、そこから派生した形です。ギフトに家電は当時、画期的でした。そして1996年の新潟証券取引所上場(2000年に東証2部上場)を果たしたというのが大きな流れです」(野水社長)
1980年代は、日本の家電産業の黄金期ともいえる時代です。商機をとらえ、家電事業参入によって事業をさらに大きく展開させていきました。
(提供:ツインバード)

オリジナリティあふれる小型家電がヒット

野水社長の父、重勝氏が2代目社長に就任した1980年代半ばから、ツインバードは次々とヒット商品を生み出し、家電市場でのシェア拡大を推進していきます。
1988年に発売した「タッチセンサーインバータ蛍光灯」は、操作部に触れるだけでライトのオン・オフができる仕組みを3年かけて開発。電子回路を自社設計して価格を抑え、2005年までに200万台以上を売り上げました。
1995年には「液晶テレビ付き蛍光灯ランタン」を発売。同年1月に起きた阪神淡路大震災を受け、防災グッズとしての用途も考えた開発でした。以降も、さまざまな要素を掛け合わせたオリジナリティあふれる複合家電で消費者の心をつかみます。
ちなみに、日本の国難を救った新型コロナワクチン用運搬庫「ディープフリーザー」を実現した冷凍機「フリー・ピストン・スターリング・クーラー(FPSC)」の技術開発と量産化をスタートさせたのも、この時期です。
ツインバードの家電製品はシンプルなデザインが人気
創業50周年を迎えた2001年に発売したサイクロン式クリーナーは約58万台の大ヒット。さらに、防水仕様の頭皮洗浄ブラシ、デザイン性の高いオーブントースターや扇風機、テレビ音声が聞けるラジオなど、次々と工夫に満ちた製品を提供。2011年の野水社長就任後は、機能だけでなくデザインにもこだわった製品展開に注力しています。2014年にはLEDデスクライトがグッドデザイン賞を受賞。これまで毎年のように、多くの製品が同賞に選ばれています。

苦労して開発した製品は「我が子」

時代の流れとともに“変革”しながら成長を続けてきたツインバードは、いま再び大きな変革期にあります。2021年のリブランディングの発表に続き、2022年10月には「ツインバード工業株式会社」から「工業」をとって「株式会社ツインバード」に社名変更しました。さらに、翌11月には戦略的新製品である中型冷蔵庫を発売しました。コロナ禍の「ディープフリーザー」需要は一段落しましたが、「次の成長ステージ」に向けた投資に迷いはありません。
「年間200万台弱の製品を世に送り出しています。その製品はお客さまの生活に寄り添っていく。私たちは、それだけの数の人を幸せにする機会をいただいているんです。そういう意味で、私たちの社会的使命は大きいと思います。本当にみんなで苦労して、喜んでいただこうと思って開発した製品は、まさに我が子のようなものですね」(野水社長)
メッキ加工の下請け工場からギフト市場へ参入し、家電メーカーを経て新たなステージで生き残りをかける――ツインバードは、時流を読み、独創的なアイデアを「ものづくり」の地域が持つ高い技術力と、大手メーカーにはないフットワークの軽さ、そしてスピード感で形にしてきました。創業から現在まで、同社の姿勢は一貫しています。
Vol.3に続く