2023/2/18

【新潟】コロナ禍の国難を救った燕三条地域の「底力」

フリーランスライター・編集
2020年夏、ツインバード(本社・新潟県燕市)は厚生労働省から、新型コロナウイルス用ワクチン運搬庫「ディープフリーザー」の大量生産を緊急要請されました。従来の生産能力ではとても達成できない“難題”を実現できたのは、地元企業の協力体制――“ものづくりのまち”として知られる燕三条地域の「底力」があったからでした。第3回では、国難を救ったツインバードと地域のつながりや「共創」を探ります。
INDEX
  • 本社に集まった地元企業30社
  • 始まりは和釘作り
  • 「共創」を実践したものづくり
  • 地域に息づく職人気質
野水重明(のみずしげあき) 1965年新潟県生まれ。ツインバード2代目社長・野水重勝氏の長男。出生地の燕三条地域で高校卒業まで過ごす。工学院大学(東京)卒業後、ツインバード入社。大手都市銀行に3年間出向し、長岡技術科学大学大学院で工学研究科情報制御学を専攻、博士号取得。海外勤務、営業、経営企画などを経て2011年に3代目社長に就任。現在、同社のリブランディングを推し進めている。

本社に集まった地元企業30社

2021年1月14日、新潟県燕市のツインバード本社に地元・燕三条地域の約30社が集まりました。
内容は、新型コロナウイルス用ワクチン運搬庫「ディープフリーザー」の生産説明会。参加したのはエンジン部の金属加工、基盤、ボックス部のプラスチック加工、梱包材などの部品仕入れ先と、組み立てなどに関わる地元企業で、ほとんどが先代の時代から数十年来の付き合いのある関係です。
ツインバードに厚生労働省から「ディープフリーザー」の大量生産の依頼がきたのが2020年夏。翌年2月までに1万台納品してほしいという突然の要請は、当時、国内のワクチン接種が大きく遅れるなか、差し迫った状況だったことを表していました。ワクチンを国内に行き渡らせるために、ツインバードの技術がどうしても必要だったのです。
地域の技術の結晶「ディープフリーザー」
しかし、「1万台」ということは、これまでの生産能力の「10倍」を意味します。これに対応するため、ツインバードは既存の倉庫を改修して生産設備を整えると、地元企業を中心に協力をお願いしてまわり、2020年11月までに増産体制を構築、一気に走り始めました。
生産の陣頭指揮にあたったSC開発製造部の小川利明部長が言います。
「地域の技術力がなければ、増産に対応できませんでした。地元企業には『1日でも早く』ということで部品の増産をお願いしていましたが、厚生労働省との契約締結までは何の用途に使うのかを伝えてはいけないということで極秘で進めていたんです。取引先のみなさんからは『なんでそんなに使うの?』と。この日は、ようやく説明会を開くことができ、用途や生産状況、今後の見通しなどを説明して、納得していただきました」
説明会では、ようやく自分たちのやっている仕事の内容がわかった参加者たちから「継続して協力していきたい」という声が上がりました。そして地域の力を結集し、2021年2月にディープフリーザー5000台を厚生労働省に、4月に製薬会社へ5000台を無事に納品することができたのです。

始まりは和釘作り

技術が集積する燕三条地域は、いつごろから金属加工や金属洋食器づくりが盛んな「ものづくりのまち」になったのでしょうか。
この地域の金属加工は、江戸時代、農閑期の和釘作りから始まったと言われます。この時代の江戸は火災が多く、建て直しのために和釘が大量に必要でした。また当時は水害もたびたび起こり、農地も被害を受けることが多かったため、農家にとっては重要な副業という側面もありました。
やがて大工道具や農作業に使うクワやカマ、さらに包丁なども作り始めたことから技術が発展していきます。燕三条地域に近い間瀬銅山で元禄年間(1688~1704年)に銅が採掘されると、燕で銅製の鍋ややかん、キセルなども製造されるようになり、燕三条地域は金属加工業の産業集積地となりました。
(提供:ツインバード)
明治時代には安価な洋釘が輸入され、燕三条の和釘づくりは衰退しますが、加工機械の普及や鉄道流通による販路拡大などによって、金属加工とそれに派生した製造技術は継承されます。昭和に入ると欧米文化が流入してナイフやフォークなど金属洋食器の製造も始まり、第2次世界大戦後は海外輸出が盛んに。
しかし、1990年代以降は国内のほかの地域と同様に、円高や中国などの低価格製品に圧倒され、地域の製造業は大幅に縮小。厳しい状況が続くなか、高い技術力を用いて製品の高級化やブランド化、デザイン重視のものづくり、技術開発、新分野への業態転換などで乗り切ってきました。
ツインバードの前身であるメッキ加工「野水電化被膜工業所」が創業したのは1951年。金属製品の輸出量が急激に拡大し、需要が増していたころです。その後、時流に合わせてギフト用品の自社生産から家電事業参入へと変革してきた姿はそのまま、この地域の歴史と重なります。
「匠プレミアム」ブランドラインの「全自動コーヒーメーカー」の開発(提供:ツインバード)

「共創」を実践したものづくり

そんな、ものづくりの地域でツインバードは「共創」を実践してきました。野水重明社長が、こう語ります。
「ツインバードは300人の家電メーカーなので、人的リソースは限られています。社内で行き詰まると、外部の方に解を求める。自分たちの実力を真摯に見て、足りないところは外部からのパートナーシップでカバーしてもらってきました」
ツインバードの製品企画・開発に携わるのは、全社員の約20%にあたる70人あまり。この比率は日本の家電メーカーでは突出していますが、それだけではなく、「世界有数の高度な技術が集積した燕三条地域とネットワークを構築している『ものづくりのエコシステム(相互協力関係)』が開発の成功要因のひとつになっている」と野水社長は言います。
世界の大企業が実現できなかった、ワクチン運搬庫のエンジンである「フリー・ピストン・スターリング・クーラー(FPSC)」の開発でも、地域の技術が欠かせませんでした。
「最大の特徴が、1枚の金属板を金型で挟んでプレスして成型する『深絞り加工』の技術です。1枚の板からかなりの深さまでプレスして、複雑な形をしたひとつの部品をつくっています。コスト面も含めて、この地域でしかできないことでしょう」(先のSC開発製造部・小川部長)
この「深絞り加工」をはじめとする金属加工技術や、世界的にも認められた表面処理加工などを持つ企業が地元にあることは、ツインバードが家電メーカーとして他社と差別化され、飛躍する有利な背景となりました。
(提供:ツインバード)

地域に息づく職人気質

地域には、いまも昔ながらの職人気質が色濃く残っています。じつは、これもツインバードのものづくりを支える基盤になっています。
「これはこの地域の気質だと思うのですが、ツインバードも含めて、困っている人から『これをちょっと作ってもらえませんか。助けてください』と頼まれると、最初は断っても、結局、やってしまうんですよね」と野水社長は笑います。
2012年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)から宇宙用冷凍・冷蔵庫の開発依頼がきたときも、今回の「ディープフリーザー」で短期間の大量生産を求められたときも、結局は「できる限りは役に立とう」と引き受ける。
「儲かるか儲からないかを総合的に判断する前に“困った人を助ける”という価値基準があって、一度取り掛かると粘り強く、品質を上げる努力を惜しまない――そういうところが、この地域にはあると思います」
ちなみに、地元の取引先を訪れても、いきなり仕事の話をするのではなく、まずは世間話をするのが“作法”。長年、地域に密着して築かれてきた信頼関係が、そこにはあります。
ツインバードの社名は「一対の鳥」を意味します。創業70周年の2021年、それまでのロゴの基調カラーをスカイブルーから「ツバメブラック」と命名した黒に変えたのは、「時代に左右されないものづくりを続ける」姿勢と、顧客やパートナーたちとともに歩む決意の表明だといいます。
これまで事業を継続してこられたのは燕三条地域に拠点があったから――そう言いながら、野水社長は力を込めました。
「宇宙空間や医療でお使いいただける精密な機器も、特徴ある家電製品も、金属加工の町の技術がなければできませんでした。地域に恩返しをするために、お客さまの声をものづくりに反映させるのはもちろん、地元の職人やエンジニア、大学や関連研究所など各分野のプロフェッショナルとの共創は不可欠です。この地域のものづくり資源をさらに生かしながら、ツインバードが地方創生の一翼を担い、まさにサステナブルな地方の町になれるようにやっていきたいと思います」
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