2023/1/1
【泉×井上】2023年、NewsPicksは「ウニ型組織」を目指す
皆さま、あけましておめでとうございます。NewsPicks編集長の泉です。
2022年は、良いことも苦しいこともあった山あり谷ありの1年間でしたが、皆さまのサポートにより、こうして新年を迎えることができました。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年7月に編集長に就任してからずっと考えてきたのが、向こう10年のNewsPicksの姿でした。2013年10月にリリースしたNewsPicksは、今年でちょうど10周年を迎えます。
これまでの10年をどう振り返り、次の10年をどうつくっていくのか。
『シン・ニホン』(著:安宅和人)などを世に送り出してきたNewsPicksパブリッシング編集長の井上慎平と自由に話しました。
元旦から青くさい対談となりましたが、NewsPicksは今年も理想を追求していきます。
- 「前向きな意思」の集合体
- 希望の「うつわ」をつくる
- NewsPicksは「ウニ」を目指す
- 希望の「土壌」を耕そう
- 希望って、なんだ?
「前向きな意思」の集合体
泉 これまで毎年、歴代のNewsPicks編集長は元旦に、新年の予測や抱負を記事にしてきました。
さて2023年はどうしようかなと考える中で、今年はNewsPicksパブリッシング編集長で同世代の井上さんと喋りたいなと。
昨年の7月に僕がNewsPicks編集長に就任するタイミングで、
就任の挨拶文を掲載しました。そこで掲げたのが「希望を灯そう」というメッセージです。
でも実はこれ、NewsPicksパブリッシングの創刊時(2019年10月)に井上さんが掲げた「創刊宣言文」から借りてきてるんですよね。
今日は、この「希望」とNewsPicksのコンテンツのこれからについて、自由に語りましょう。井上さんはなんで、創刊宣言文に「希望を灯そう」と掲げたんですか?
泉秀一(いずみ・ひでかず)/1990年生まれ、福岡県出身。2013年関西大学社会学部卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部を経てNewsPicksへ。2022年7月より現職。著書に『世襲と経営 サントリー・佐治信忠の信念』
井上 僕は本づくりを単なるビジネスのためだけにやっている感覚はないんですよね。本が読まれた「その先にある何か」のためにやっている。その何かとは…と考えたら、「希望」という言葉に行き着いたんです。
でも、就任にあたってのコアなメッセージを自分でつくりたいと思わなかったんですか? あえて「希望を灯そう」を使おうと思ったのは、なんで?
泉 だって、ものすごく良い宣言だと思ったから。
2022年は特にそうでしたけど、意識しないとメディアは暗いニュースばかりを伝えがちじゃないですか。そういうニュースにばかり触れると、自然に人々の心や社会も引っ張られてしまいます。
メディアは良くも悪くも社会の空気を左右し得る。だから、1つくらいは前向きな意思のある媒体があっても良いよなあと。
希望という言葉の定義まで深く考えたわけではなくて、とにかくNewsPicksは前向きなエネルギーの集合体でありたいというイメージだけがありました。
それを端的に表現する言葉を探していたら、すでに井上さんが「希望を灯そう」と掲げていて、「これじゃん!」って(笑)。
井上 はは!すでにあるものでも、「これじゃん!」って感じたら迷わず決められるのが、泉さんらしいなー。僕なら、たぶんオリジナリティを出そうと、ちょっと変えたりしそうです(笑)。
でも、「前向きなエネルギー」というのは、単にポジティブなニュースや情報ばかりを届けるわけではないんですよね?
井上慎平(いのうえ・しんぺい)/1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒、2011年ディスカヴァー・トゥエンティワンに入社し、書店営業、広報などを経て編集者に。2017年ダイヤモンド社入社、18年NewsPicksに移籍し19年にNewsPicksパブリッシングを編集長として創刊。代表的な担当書籍に『シン・ニホン』『D2C』など。
泉 現状を正しく認識した上での批判や指摘、提案というのはもちろんあり得ると思います。むしろ、建設的な批判は重要です。
注意したいのは、批判そのものが目的化すること。前向きなエネルギーを前提に、批判や指摘、提案をしていきたいです。
希望の「うつわ」をつくる
井上 「希望を灯そう」というような宣言は、1回言って終わりのスローガンになりかねない難しさもありますよね。
泉 この半年は、そこにずっと悩んできました。1泊2日で合宿もして、編集部のミッションとしても掲げました。
だからこそ、単なるスローガンで終わっては、意味がないなと。掲げること自体は良いとして、どう編集部内で具現化すべきか見えませんでした。
編集長の考える希望をもっと具体的に提示して、それに沿ったコンテンツを作るという考え方もあります。でも、それではつまらない。
例えば、人物を取り上げる連載について。僕が自分の希望に沿って対象を選んでしまうと、顔ぶれが偏りかねません。
その人選を支持する人もいれば、つまらないどころか嫌悪感を示す人もいるかもしれない。
つまり、ある人にとっての希望は、他の誰かにとっては希望どころか絶望かもしれない。その前提に立つと、僕が「自分の考える希望」で押し切るのはしっくりこないなと。
そもそもNewsPicksは、設立時から、言語化はされていなくとも、時代に合わせて希望を灯そうとしてきたメディアなんだと思います。
2013年に立ち上がり、停滞する既存社会に対するカウンターとしてのポジションから、価値観や制度のアップデートを提案してきました。
その文脈に乗ることが次の時代を生き抜くための条件であり、それをある種の「正解」として提示してきました。アップデートこそが、希望であると。
当時の社会に対してインパクトを残すには、それくらいの勢いが必要だった。それがちょうど10年前のNewsPicksだったんだと思います。
2014年7月に佐々木紀彦氏が
編集長に就任。同年9月からオリジナルコンテンツの提供をスタートしている。ロゴも現在とは違うものだった。
井上 当初のNewsPicksは、メインストリームに対するカウンターの立場から語るからこそ、「現状はもう古い」という批判から入ることが多かった。そして、それは当時「建設的な批判」としてとてもよく機能したと思うんですよね。
一方で、批判が「新しい正解はこれだ!」という画一的な代案とセットで示された面もあった。
「そのままでいれば負け組、変化してこちら側にくれば勝ち組」という二項対立で語られがちだった点は、やっぱりきちんと振り返った方がいい気がします。人々の不安を、原動力とはしていなかったかと。
素晴らしい記事もたくさんあったけど、(当時)社外にいた一読者の僕からはその世界観が目立って見えた。
でも、「建設的な批判」力自体はすごかったし、エネルギーを感じました。だからこそ、中に入って一緒にやりたいなって思ったんですよね。
そんな経緯で入社したので、創刊宣言文を作った際は、ひっそり「不安ではなく希望を」という意図も潜ませていました。だからこそ、泉さんが就任の挨拶で引用してくれたときは、それはもう、グッときて。
NewsPicksパブリッシングの
創刊宣言文の冒頭(2019年〜)。
泉 僕は長く中にいて、自分自身もそうした記事を作ってきたし、各記者の思いも知っているので、当時のスタンスそれ自体が正しかったとか、間違っていたとかを言いたいわけではないんです。
ただ、少なくとも2023年には、1つの価値観しか提示しないスタイルはやや息苦しい。
だから、僕が編集長として「自分の考える希望」という1つの価値観を押し付けるのは、結局、同じことの繰り返しになってしまうのではないかと思いました。
散々悩んだ末に行き着いたのが、NewsPicksを「いろんな希望(前向きなエネルギー)があつまる集合体=うつわ」にしたいという考えでした。
NewsPicksは「ウニ」を目指す
泉 これからは、個々のクリエイターが独自のアングルで希望を解釈し、コンテンツをNewsPicksという、うつわに投げ込んでいく。
今までの世界観に引っ張られず、個々のクリエイターの特徴、エッジが共存する。前向きなエネルギーに満ちた、カオスなメディアにしたいと思っています。
その結果、ある読者の方が、Aさんの記事には共感できるけれども、Bさんの見解はしっくりこないということがあっても良い。むしろ、目指すべき形かもしれません。
コア部分でつながりながらも、よりエッジの立った個々のクリエイターのナラティブに読者が共感していく。共感するのは分野かもしれないし、価値観であってもいい。
そんな話を社内の
あるデザイナーにしたら、「ウニみたいなものですね」って。真ん中に希望があって、各方向にトゲ(=エッジ)が伸びているから。
NewsPicksはこれから、
ウニを目指しましょう(笑)。
井上 ビジュアルにすると、めちゃくちゃわかりやすいですね。真ん中を境にして、反対側のトゲは全く見えもしない(笑)。
だけど、希望でつながっている。根っこが同じだからこそ、相反する価値観が共存できるってことですよね。
泉 自分がエッジを立てたいんだったら、周囲に対しても寛容じゃないと成立しませんよね。自分のトゲを伸ばすためには、他のトゲの存在も認めないといけない。
「尖り続けるために、寛容であれ!」という姿勢が求められます。
これを伝えるために多様性という言葉を使うと、どうしてもトゲのないツルッとした感触で伝わることが多いんですが、本当はもっとザラザラしたものなはず。
コンテンツも同じで、個々のエッジが立っていて、ものすごくザラザラしてるんだけども同じプラットフォーム上に共存している。そんな状態を目指したいなと。
なんだか、抽象的な話ばっかりになってしまいましたが…。
希望の「土壌」を耕そう
井上 たしかに、「希望」は抽象的な言葉で、「あれも希望だし、これだって希望だ」といくらでも広げて解釈できてしまう部分があります。
泉さんはそのウニの真ん中にある希望をどう定義するんですか?
泉 そこは、定義しません。定義づけた瞬間に、限定的になってしまう気がして。
井上 えっ?
いや…たしかに多面的であった方がいいとは思いますけど、それも中心にある希望の意味が明確で、そこでつながれているからこそ、じゃないんですか?
泉 それだって、人によって異なるはずのものだから。僕も自分のアングルから考え続けるけども、あくまでもそれはウニの1本のトゲでしかないわけですし。
井上 そうか。あくまで泉さんは1本のトゲで、ウニの真ん中にいるわけじゃないのか。
あー、たしかにそうだよなあ。僕は「『おれがおれが』の姿勢が強かったな」っていま、反省しました(笑)。
泉さんのスタンスには、グラフィックデザイナーの原研哉さんが無印良品の仕事で提示した、「
エンプティネス」の概念に近いものを感じます。
原さんいわく、「無印はエンプティである」と。お客さんによって無印の解釈はさまざまで、エコ、日本の禅の思想的なシンプルさ、安くて合理的なブランドなど、人によって捉え方がバラバラです。
それが成立するのは無印がエンプティだからであって、だからこそ、誰をも拒まず、いろいろな「見立て」ができるのだと。
無印の広告は、あえて語らないことであらゆる解釈の可能性を残している。
そして泉さんはNewsPicks編集部に、希望という輪郭しか与えない方が良いと考えた。
希望という言葉の枠組みを確定させずエンプティなうつわにしておくことで、いろんな価値観を入れられる。あえて、多様な解釈に対して開いておこうとしているんですよね?
泉 僕はもちろん、そこまでうまく説明できませんし、機能するかもわかりませんが、やっぱり解釈の余地がある方が面白いですよね。
希望という前向きなエネルギーを中心に、個々のクリエイターが自由にぶっ飛んだことをやり続けていく。
そうして作られたコンテンツをそれぞれの読者、視聴者が解釈し、共感していく。そうやって前向きなエネルギーが伝播していくと、うれしいです。
井上 同じ原さんの言葉に、「
欲望のエデュケーション」というものがあります。
デザインとは、ニーズの質、つまり希求の水準にじわりと影響をおよぼす緩やかなエデュケーションでなければならない。よくつくられた製品にこめられた美意識に触発されて小さな覚醒がおこり、つぼみがふくらむように暮しへの希求がふくらむ。ふくらんだ希求に呼応してものが生み出される、その無数の循環と連繋によって、文化の土壌が出来上がっていく。デザインとは土壌の質への関与なのである。
この「デザイン」を「メディア」に、「製品」を「コンテンツ」に置き換えると、僕らのやりたいことに合致しませんか。
泉 エデュケーションという言葉を教育というより「耕す」というニュアンスで捉えると、より共感できます。
まだ表に出てきてないんだけれど、地中深くに確実に存在している種が育つように、土にコンテンツという形で栄養を与えていく。そんな存在でありたいと思います。
井上 経済的観点ではアウトプットは数字で測られるので、ニーズを満たす限りにおいて是である、正義であると考えられがちですよね。
でも、その「どんなニーズでも満たせばいい」という態度から、「希求(潜在ニーズ)を膨らませる」ことに視点を変えてみる。
そのためには、「いい製品」、僕らでいうと記事や本が希求されるような土壌をつくらないといけない。
「こういうコンテンツなら、ニーズがあるだろう」という視点から、もう一歩先を見て、土壌をつくっていこうと。
泉 不安ではなく、希望の土壌をつくりたいですよね。
(写真:Albert Fertl/Gettyimages)
希望って、なんだ?
泉 最後に、希望を定義しないと言っておきながら、個々の視点でどう考えているのか、井上さんと話してみたいです。
いろんな側面がありますけど、いまの僕にとっては「兆し」です。これは、自分自身の病気とつながっていて。
ちょうどコロナが広がり始めた2020年の春に、腎臓の病気を患っていたんですね。1カ月くらい入院していて、手術もしました。
難病指定されている病気で、ある指標が改善しなかったらそう遠くない将来に、人工透析になりますと。大病は初めての経験だったので、ものすごく焦りました。
治療中、数字が改善するかしないかわからない期間は本当に苦しくて、ほとんど絶望していました。
改善しない日々は、勉強になるような本を読む気が全く起きません。知識を得ても、その使い道がないかもしれないから。
ところが入院中のある時、数字がちょっとだけ改善したんですよ。その瞬間から、勉強しようって気持ちになれたんですよね。症状が寛解する兆しが見えた途端に、気力が湧き上がってきた。
だから人間、「今日より明日がよくなる」方向への兆しが少しでも見えれば、希望が灯るんじゃないかなって。
自分自身が絶望から希望へのステップを踏んだので、兆しの大切さを認識しました。
井上 泉さんにも、苦しい時間があったんですね。
パブリッシングのミッション「大人に、新しい問いを。」に沿って言えば、僕はより大きな問い、まず「人間にとって希望とは何か」から考えてみたいなと思いました。「日本経済にとって」ではなく。
僕が思う人間にとっての希望とは、「今が満ち足りていて、未来においてもそれが続くと思えること」。
悩んだのですが、「右肩上がり」や「成長」や「変化」は、必ずしも希望の本質ではないと感じていて。
もちろん、「失われた30年」と言われる今、経済メディアが希望を語るなら、「変化」も「経済成長」も絶対に欠かせません。それは、僕も大賛成です。
でも、順番を間違えたくないんです。「今が満ち足りていて、未来においてもそれが続くと思える」状態をつくるためにこそ、日本は変わらないといけないんですよね。
泉 変化も経済成長も手段だから、変わる必要がない人、そのタイミングじゃない人にまで強要するものではないですよね。
仮にそれをやってしまうと、結局、唯一の正解、あり方を示す過去のスタイルに戻ってしまうわけですし。
井上 そう。僕は、人が希望を感じるにあたって重要なのは「居場所」だと思ってます。「変化が進んだ先の世の中に自分の居場所がない」と思ったとき、人は希望を失い、変化を拒み、結果として「時代遅れな人」扱いされてしまう。
病気と言えば、僕も一時期うつで半年ほど何もできない時期があり、今も体力が戻っていません。そんな弱い自分を経たからこそ(トピックス『
弱さ考』を運営中)、希望が「強者の言葉」として誰かを圧迫しないかと懸念もしているんです。
今、変化にギリギリ喰らいついている人からしたら、「希望」が「変化」と抱き合わせで語られると、「もう無理だよ」と苦しくなってしまう人もいる。
でも、泉さんの描く世界観はその逆で、誰もがオリジナルな形やそのトゲを生かして、自由に、多様に活躍できる経済をつくろうとしている。僕なりの言葉で言えば、そこには全員の居場所があります。そこは誤解なく伝わってほしいです。
画一的な「希望」はない。どんな人もそれぞれの兆しを感じられて、ぶっ飛んだクリエイターがつくった数々の「うつわ」から自分に合うものが見つかる。NewsPicksがそんな場になっていくと、いいですよね。
泉 年初から熱い話になってしまったけど、本気でそう思います。
NewsPicksは今年でちょうど10周年。まだまだ若いメディアとして、青くさく理想に向かって突き進んでいきたいですね。
構成:泉秀一、井上慎平
デザイン:國弘朋佳
写真:遠藤素子