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この文章でとりあげられていないことを2つほど。
・アメリカの大学の学部はliberal arts教育をやっていることが多く、「役に立つ」教育をはじめるのは大学院からだったりするケースがよくあります。
・まじめに勉強する東大生に比して、京大は「自治の精神」のもとに放任します。これをやると科目ごとの平均点はたぶん東大の方が高いケースが多いのではないかと思うのですが、突き抜けた人材を伸ばす上では京大の方が機能的なのではないかと思うことがよくあります。アベレージヒッターを作らず、三振ばかりの遊び人を作り出す一方で、ホームランだけを狙うタイプが存在を許される。ノーベル賞で、京大の方が圧倒的に数が多いのは偶然ではないと思っています。
ざっと読んだのですが、だいたい良いですかねぇ、

アメリカの大学 = スタンフォード、ハーバード、MIT
アメリカの大学院 = MBA
アメリカ企業 = テスラ、アップル、マイクロソフト

って理解で



まあ、仰りたい事はわかりますし、自虐目的に効果的なのもわかるんですが、イロイロちょっと古いです、正直。。。 例えば、成績で大学院合否が決められるなら、ワタシこんなに忙しくないですよ。。。 (ボヤキ)

いくつかのアジア諸国にくらべ、これがニホンの弱点なんですねぇ つまりメリケン信仰高い割に、フラットな視点で情報発信できるナカノヒト層が極端に薄いため、情報が狭い古いか、新しいけど浅い (別にエイゴ直接情報取れば良い話しなのですが、御存知のとうりそれも弱点)

ってまた自虐趣味に協力してしまいましたねぇ

ナマイキイッテスミマセン
この記事に取り上げられていない側面ですと、「誰が学費を払っているのか」も無視はできないですね。

日本では、保護者に学費を払ってもらっているケースが多い。米国においては多くの学生が学生ローンを組んででも大学に学びに行く。「自分で払っている」感覚が強い。

もちろん、米国の学生ローン問題は大きな社会問題だが、自分のお金で学ぶとなると、主体的に学ぶ意欲が生まれるし、授業の質が低いと大学に文句を言うし、改善が見られない場合は先生がクビになることもある。

日本の学生は「与えられた環境」感が強く、その風土が学びを受動的にしていると私はみている。
日本とアメリカの大学どちらも経験している身として確かに記事に指摘されている大学生が勉強する国アメリカ、勉強しない国日本という構図は正しい気がします。テスト前の図書館なんかは勉強するための場所探しで2フロア、3フロアを行ったり来たりしてやっと座る場所が見つかった…なんてこともアメリカでは経験しました。
しかし、「日本では初任給が一律なので、大学生が勉強しない」は少しばかり違う気がしました。日本の場合は大学受験がかなりハードでそこを超えることが出来ている時点である程度の選別が掛かっており、この大学を出た人間はこの程度の出来だろう、というイメージが世間に染みついていることが原因かと思います。しかし、4年も大学生活はあるので、大学入学時と大学卒業時でも同じ人間?と思えるくらい人が変わってしまっていることもありますし、成績が大きく変わっていることもあると思います(かくいう僕も大学入学後、特に3年、4年で成績を大きく伸ばした一人です)。
肝心なのは大学生活4年間をどのように評価するのか、だと思いますが、日本はどうしても勉強以外に大学生活で頑張ったこと、で評価することに対して、アメリカは大学生活の勉強で頑張ったこと、に評価の重きを置いているような感じがします。というのもアメリカの学生向けの就活サイトなんかを見てもGPAという大学の成績を入力する欄がありますし…日本では履歴書なんかで成績を入力する欄を見たことがありません。
もちろんこのGPAが高ければ高いほど勉強に精を出した人間になるわけなので、「大学」生活を評価したければこのGPA評価に重きを置くことは至極当然化のように思います。
日米の賃金の格差は学力というよりはそもそもの賃金の水準の違いにあるので直接的には関係がないと思います(勉強をしても初任給は変わりません)。
また、大学で単にいい成績を取ることだけを目的に勉強をするのも違う気がします。
大学は、社会に出た時に知識や経験やアイディアをどの様に活かせるか、その為に訓練ができる機会であると共に、生きる目的や夢を徹底的に考えたり語り合ったり、実践をしてみるなど広い意味での社会勉強こそが大事だと思います。
そういう意味では、日本でも海外でも同じであり、結局は仕事や社会経験の準備という意味での勉強など、どれだけ自分自身が生きることに真剣に向き合っているかという事が大事なのであって、それを「日本の大学生」と一括りで考えて、大学という箱や採用システムだけのせいにするのは本質ではない気がします。
今でもそうなんですかね。

ただし、私の時代の大学生が勉強しない度合いは今の学生さんどころではなかったと思います。
高校時代に先生から「今死ぬ気で勉強して合格すれば4年間の夏休みが待っている」と言われましたが、実際にそうでした。
あまりに暇なので同級生とボーリングばかりしていたら、そのボーリング場の月間最高スコアが出てしまい、賞品をもらいました。

そんな私も今は大学で講義をさせていただいておりますが、出席してもらっているだけでありがたいと感じてしまいます。
「日本の大学は入るのは難しいが、卒業するのは簡単だそうだ」
という英文が、基本英文700選にありましたね。
(英語も憶えていますが、書くのが面倒なので止めました。

米国の大学は入学に関しては日本より容易なはずです。
ところが、一流大学だと卒業するのが大変です。
ロースクールの成績で就職できるファームも異なってきます。

日本の学生を勉強させたければ、まず教師が変わることです。
教授という「上がり」のポストに安住して、研究も教育もやらなくなった人たちが教えている有様ですから。

(すべてではないかもしれませんが)米国の大学のように、学生からの評価に晒すべきです。
評価が低ければクビにする。

塾や予備校の講師の方が遥かに教育力が高いのは、受講生の評価に常時晒されているからです。
確かに中高の時の方が勉強に力を入れていました。大学に入ってからは選択肢や時間の幅が広がった分、自分のやりたいことを優先して勉強に割く時間が減っています。
それが普通だと思っていましたが、それは日本だけの考えと知り、大変驚きました。
新卒の給料は大学に関わらず皆同じだから、就職後に頑張れば良いと思っていました。
自分の情けなさを痛感します。。
中高はめちゃくちゃ勉強して大学に入ってからしないという人ももちろん居ますが、私の周りには夜遅くまで資格勉強している人、ボランティアに参加している人、部活動を頑張っている人など大学の勉強以外でも一生懸命何か取り組んでいる人は沢山居ます。
もちろん大学の勉強は大切なのでアメリカの制度のようにすれば、日本の大学生も勉強するようになり、世界での順位も上がるかもしれません。しかし日本のような制度だからこそ、自分の専門性を高める以外に好きなことにも取り組める環境づくりが実現していると思います。経済学部に行っても音楽にも取り組めるしバイトをして社会経験も積める、それも1つの大切な経験だと思います。「専門性を高めないと世界でやっていけない」と言われてしまうとぐうの音も出ませんが…。これは大学という機関を「専門性を高める場所」「自分自身の人生を豊かにする場所」など各個人の定義によって変わってくると思いました。
最近のアメリカのMBAトップ校は起業熱がすさまじいです。当然ですがファンディングと学校の成績は関係ありません。その意味でSaitou先生のご指摘通り、間違ってはいないかもしれないですが、古いことは間違いありません。