【独白】メンタルの病気を体験した僕が、気づいたこと
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注目のコメント
僕も双極性障害II型を発症し、1年間仕事を離れました。
・周りが楽しめていないと自分も楽しめない「世話焼き」気質がある
・能力を失い、能力主義に気づいた
・いかに効率的に時間を過ごすかからゆっくり時間が過ぎるのを楽しむになった
など、ほんと、上記に関しては與那覇さんとほぼ同じ過程を辿ったな…と。
・元の自分に戻らないといけないと思っていないか
・「多様性」のユニフォームを着せてないか
は、ハッとする指摘でしたね。やっぱり自分はどこかで前の自分に戻ろうとしている。違う道を、この記事をきっかけに歩んでみたいと思います。メンタルヘルスが現代人の最大イシューの一つである事は間違いない、それに取り組むスタートアップも多数生まれている。もっとも収益化には程遠い。米国にCalmなど一握りのユニコーンが産まれたが今となってはそれも過剰流動性による一時的評価額の様相で業績実態はまだまだである、つまりマネタイズはなかなか難しい。という事はまだ官セクターの役割は大きいという事になるだろう。
またアジアと西洋ではこの問題に対する広い意味でのパーセプションが大分違う。カウンセリングや薬が米国などでは珍しくないが日本はじめアジアではそこまでではない、その点の啓蒙の意味では地味だが意義深い特集記事だろうと思う。「能力が低下する病気」という表現が、とてもしっくりくる。
過去に一度、抑うつ症状が出ている、でもうつ病まではいっていないと、自分も言われた。それ以外にも、診断は受けていないが「その時と似ている」と思うことはその前にも後にもあった。
思い通りにいかない状態に期せずして突入し、責任感でめちゃくちゃ働き、心身が疲弊。幸い、働くことを少し抑えたり環境を変え、時間とともに治った。
その時に「頭がグルグルする」ような状態になった。普段ならば集中できる環境を整えれば、読んで咀嚼したり結論を出せることでも、読んではいるが頭に入ってこなかったり色々なことが気になって結論を出せない。集中しているのだけど、頭が膨張しているような感じで、その状態自体にもイライラするし、時間が経つのに焦る。
また、働き過ぎではないが、なんかやった方がいいと頭では思っているのに、行動が伴わない時期もあった。
これは「なんかやった方がいい」と「でもやる気がでない」の往復と、またそれを往復している自分に嫌気が指す悪循環。体は疲弊していなかったので、しばらくして環境が変わり、行動せざるをえない状況になって、気づいたら解消した。
おそらく「なんか」という焦りがある一方で、具体化できていないし切迫した課題があるわけではない状況の組み合わせ。適切な量のストレスは自分には重要で、必要に迫られるほどではないから行動に駆られず、でもそれが焦りの空回りにつながったと、今では振り返っている。
15年くらいでこういう期間が半年~1年くらい、何回かあった。
もやもや時期(なんか心身の調子がフルではない)と、能力・執行力が低下する(自分の場合は上記のように能力自体とやる気という2パターン)という2段階。
1段階目のなんか疲れているという状態に入ったら、それが悪化しないように環境を整えたりルーチンを決めるようにして、2段階目までに行くことをここ5年くらいは防げている。
自分のなかで大きいのが、自己状態の認識。短期的に自己状態を無理やり上げることはできるが、長期持続的には「育てる」というか息を吸うように維持・育てるものだと自分は捉えている。だから、下がりはじめたときに、下げる因子を減らす。上がらなくてもいいけど、悪くならなければ、季節のようにまた芽が育ち花開き、能力の低下による自己嫌悪の悪循環を止められると捉えている。