ゼミに入れないのは「学習権の侵害」女子学生は声を上げた 開講減らした大学に改善迫る
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誰かが行動すれば変わるほど、大学のシステムは簡単に変わるものではないのかもしれませんが、変えようとしていた人がいるという事実が、悩みの渦中にいる人にとっては、せめてもの希望なのかもしれません。
ただ、これだけの年数かかって改善されないのはいかがなものかと記事を読んでいて思いました。
改善というより、大学側の考えや方針は最低限、示すべきではないでしょうか。
私も類似の問題を、以前在籍していた大学の教授と話題にしたことがあります。それは、ゼミの定員制についてです。
当時通っていた大学は、必修科目としてゼミがあったので“どこかしらのゼミには所属できる“環境でした。
しかし人数制限があり、希望のゼミに入れるとは限りません。また、選抜基準も非公開。
教授によると、希望通りのゼミに入れなくて、留年してしまったり学校自体を辞めてしまう学生もいるとのこと。…そんな学生がいる現状を維持してまで、ゼミの定員制は必要なのか?教授もそこには疑問を感じていました。
学費を払って勉強したいことを学べない環境は、学生にとって良くないし、指導教員としても意欲のない学生を指導するのは思わしくないとのことです。
教授は大学に言ったそうです。ゼミの人数制限は不要ではないかと。しかし大学側は、開講している研究室の存続を考えないといけない、教授のメンツを保たなければならないとかで取り合ってくれなかったとのこと。…そんなの大学の勝手な都合ではないかと聞いていて思いましたね。「学習権」という言葉自体は、日本国憲法には無くて、第26 条に「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、 ひとしく教育を受ける権利を有する。」とあります。
これは、「学習権があるから自分は東大の医学部に自動的に入れる権利がある」というようなことではなくて、「その能力に応じて」なので、選抜はあります。
大学の中でも、交換留学に行ける学生が選抜されたり、授業を受けることができる学生が選抜されることはあります。
1つ重要なのは、その選抜の基準が明確に示された方がいい、ということでしょう。
私立大学だと、学生数が教員数に比して多いところが多く、龍谷大学に限らず、ゼミの選考で希望通りにならない学生は多いです。
基本的には、経営状態の問題で、教員をどれだけ増やす(人件費を増やす)かの問題ですね。
この記事の最後に、退職した教員が、自分にゼミを開かせないのは不当だ、と大学を提訴しているとありますが、定年退職した元教員を再雇用しなかったからといって違法にはならないでしょう。
大学としても、どうせ雇うならもっと若い人を雇うでしょう。言いたいことは分からんでもないですが、ゼミに入れなかった子は選考で落ちたってことなんですよね?
それを「学習権の侵害」って言い出したら、大学に落ちた子も学習権の侵害になっちゃう気がするんですけど。
就職の選考で落ちたら労働権の侵害?
うーむ。悩ましいですな。
(何せ自分がゼミに入ろうともせず卒業したので、気持ちは全然分からない…)