【新】社会、経済が瓦解する。「国語力崩壊」の深刻な最終地
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国語力=考える力(論理的思考力)、感じる力(情緒力)、想像する力(想像力)、表す力(表現力)の4つの中核。「国語」という表現は変えた方がよいと思いますが、非言語と言語の行き来をする力を養うことが肝要だと思います。
ビジネスの世界でも、おもに対人関係や信頼関係をつくるうえで、議論だけでなく対話、論理だけでなく感情、言語だけでなく非言語はとても重要。その効用を軽んじて失敗してしまうケースはよくあると思います。
考える力や表す力はあとからでも養うことができるので、感じる力や想像する力は幼少期において大事。感じたもの・想像したものをアウトプットして表現してみることで、非言語と言語がつながり、コミュニケーションがゆたかになっていくのではないでしょうか。一口に国語力と言っても、その構成要素は多々あります。近年、国語力として強く期待されているのは、適切に文脈を読み取って、適切な言葉を選択して発信できる力です。
文脈には依存性があるので、知らないことや体験していないことを言葉から精確にイメージすることは困難です。だからこそ、体験や感性で様々な情報に触れることがベースとして必要です。
体験の格差は家庭環境の違いと結びついて、新たな格差を助長している側面がありますが、だからこそプラットフォームとしての学校の価値が高まります。
家庭で培われる感性や体験の重要性は変わりませんが、教育を家庭に閉じないことがより重要です。
子どもの国語力を嘆く前に、安易な言葉に逃げる大人の国語力と姿勢を恥じて改めることからではないでしょうか。様々な角度からの分析・指摘が含まれており、読み応えがあります。
「同質性の中で国語力は磨かれない」はその通りで、「察する」ことで伝わってしまう、日本のようなハイコンテクストな文化では尚更そうだと思います。
一方でローコンテクストの文化では明快で論理的なコミュニケーション(言葉できちんと伝える)は不可欠であり、英語はその最たるものです。
私は日本語の表現の繊細さや響きの美しさが大好きなので、話す人自体も着実に減っている日本語の未来を憂えてしまいます。それは同時に文化の喪失でもあるからです。