世界的なファッションデザイナー、森英恵さん死去…96歳
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先日の三宅一生さんに続き森英恵さんの訃報。とても悲しい気持ちで一杯です。
中野さんのコメントにある通り、まさに日本ファッション業界の牽引者でありました。戦後、注文服が中心の時代に自身のサロンを開き、そこから海外デビューをしたこと。1977年当時、パリでアジア人初、そして女性デザイナーとしてオートクチュール協会に加盟したことがどれだけインパクトがあったか。
プレタポルテを手がけ、 日本中のデパートにも「HANAE MORI」が普及したこと。ファッションを民主化した先人です。
また香水、食器やタオルなどライセンスビジネス、という新たなビジネスモデルを作られました。
当時表参道にあった、HANAE MORIビルは憧れの地でした。
最近は「Hanae Mori manuscrit」というブランドでデザイナー天津さんがショーをされた時に、現場で何度かお会いしました。
家族愛に満ちて、お美しくて、優しくて、本当に素敵な方でした。
時代を作られたデザイナーとしてだけでなく、働く女性のパイオニアような方。
その功績に感謝しかありません。
ご冥福をお祈りいたします。
注目のコメント
森英恵さんの訃報。戦後日本のファッションを国際的なレベルに高めた大功労者です。足跡のハイライトを記します。
森英恵さんは、1951年、新宿に洋裁店を開くのですが、米軍大尉の夫人が店を訪れた時、採寸のために夫人が脱いだ服を手に取ってショックを受けるのです、「服が丸い」と。
森さんはここで、洋服は立体であることを知り、立体裁断への独学の挑戦を始めます。戦後の日本ファッション史は、「平面から立体へ」という革命から始まったことがわかります。
50年代の日本映画全盛期には、数百本にのぼる映画の衣装を手掛け、ビジネスも好調だったのですが、当時の日本人の盲目的なパリ信仰、それと裏腹になった日本人デザイナー蔑視に失望し、日本を脱出します。
1965年にニューヨーク・コレクションに参加。蝶をモチーフにしたエレガントなドレスが人気を博し、「マダム・バタフライ」と呼ばれて有名になります。
アメリカでの成功を受け、パリコレにも進出。1977年にはアジア人として初めてパリ・オートクチュール組合への加盟が認められます。
パリ信仰、日本蔑視が根強い風土の中で自分を高く評価しない日本にいらだち、日本を脱出しながらも、故郷の島根に根ざす日本らしさをアピールすることによって世界に認められたパイオニア。その功績は、先日亡くなられた一生さんはじめ、続く日本人デザイナーたちに大きな自信を与えることになりました。
ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。森英恵さんといえば、表参道の今のApple の向かい側にあったハナエモリビルを思い出します。丹下健三さん設計の左右両翼からなる青っぽいガラス張りのビルは、あの辺りを代表するランドマークでした。タクシーで表参道にある店などに行く時、「モリハナエビルより原宿寄り」などと場所を伝えたら間違う人はいないくらいの場所でした。
今は、杉本博司さん設計の静かなエントランス空間を持つオーク表参道という新しいビルに建て替わっていますが、意図したのか周囲に溶け込みすぎてアイコン(目印)ではなくなっています。「モリハナエビルのあったあの辺」と説明すると初めてわかる人が結構いると思います。
ありがとうございました。御冥福をお祈りします。
https://www.tangeweb.com/works/works_no-62/