2022/7/8

【東京・長野】500人に急拡大。理念を明文化、社員が変わった

フリーランス 働き方専門ライター
下町の小さな町工場から始まった土屋鞄製造所は、ランドセルの第1想起で名前があがるほどのブランドとなりました。東京と長野に拠点を置き、日本のものづくりを大事に展開してきましたが、事業拡大や社員が増えるなかで、いかに会社の理念を浸透させてきたのでしょうか。

自然に共有されていた会社の理念を改めて明文化

1965年、東京都足立区で創業した土屋鞄製造所(以下 土屋鞄)には長年、明文化された社是や経営理念というものがなく、2021年に初めてミッション、ビジョン、バリューを策定しました。
事業推進本部 販促企画部部長の山田智子さんは、その経緯を次のように話します。
山田 「社内では『土屋鞄らしさってこうだよね』というものが自然と共有されている状態でした。ただ、企画、製造、販売、アフターフォローをすべて社内でやっていることもあり、職種も職歴も本当にいろいろな人がいるんです。拠点も増えましたし、社員が500人を超えるような規模になり、きちんと言語化した方がいいね、という話になりました。
それがないと、『何のためにやっているのか』とか『自分たちはどういうふうになっていきたいのか』といったことが伝わりきらないままにいろいろな物事が進んでいくことになります。逆に、みんなが目標を共有することで、お店のスタッフも工房の職人も、より強いチームになれると考えました」
事業推進本部 販促企画部部長の山田智子さん

「世界平和」と発言した社長の真意

ミッション、ビジョン、バリューを策定するにあたって、社内で10名ほどのメンバーが集められました。入社2〜3年と社歴の浅いメンバーもいれば、約20年近く在籍するメンバーも。職人、事業企画、商品企画、クリエイティブ、人事、店舗などさまざまな職種のリーダー、メンバーが集い、社長と一緒に半年ほどの期間をかけて検討しました。
山田 「本当はもっと短い期間で終える予定でした。でも、みんなが自分のこととして腹落ちして、それぞれの業務に落とし込めるようなものにすることが一番大事だと感じていたので、結果的に長い時間がかかりました。土屋鞄の昔のこと、今のこと、未来のことなど、行ったり来たりしながら話し合い、考えていきました」
議論の過程では、土屋成範社長から「世界平和」というキーワードも出てきました。
山田 「プロジェクトを支援してくれた会社さんから『こんなにメンバーが社長の話を聞かないチームは初めてだ』って言われたんですけど、社長が『世界平和』というキーワードを提案したときはメンバーは却下しました(笑)。壮大すぎて、『もう一歩手前まで来てください』と。
でも、みんな社長の言いたいことは理解できていたと思います。社長には『日本のものづくりを海外に広めていきたい』という強い思いがあって、その根本にあるのは、海外の方が日本のものを『いいな』と感じてくれたら、それをきっかけに日本に興味をもち、好きになってくれるかもしれないという期待です。社長自身、海外の料理をきっかけにその国が好きになり、深く知るようになったということをよく話していて、そういうことがつながっていけば結果的に世界平和になるのだと、そういう考えなんですよね」
2022年2月、新作ランドセルの記者発表会での土屋社長(左)と山田さん(右)=提供・土屋鞄製造所

“もの”ではなく“価値”をつくる、とした理由

最終的に、土屋鞄のミッションは「時を超えて愛される価値をつくる」という言葉になりました(ビジョンとバリューについては非公開)。
ここには、単に鞄やランドセルといったモノを提供するだけでなく、モノとともに人と人との間にかわされる思いや記憶という価値を届けようという、土屋鞄の意志が込められています。
山田 「以前に別のプロジェクトで、いろいろなものがデジタル化されて便利になっていく世の中で、有機物としてのモノだからこそできることは何だろう、と考えたことがあります。
たとえばランドセルって、単なるスクールバッグではないのですよね。ランドセルを買うときに、『このあいだ生まれたばかりだと思ったら、もう一年生か。無事に育ってくれてありがとう』という感謝の気持ちが生まれたり、『これからも元気に成長していって』という願いが込められたりする。そういう家族の思いが込められたランドセルには、単なる物質的なモノ以上の価値があります。
もし鞄としての役割を終えるときがきても、その家族にとっては大切な記憶として残っていきます。そういうことが、時を超える価値なのかもしれないと思うのです」
世の中では、ミッションやパーパスを作ることがブームのようになっている面もあります。しかし、「取って付けたような言葉だ」とか「きれいごとに過ぎない」と感じられるような言葉を掲げるなら、社員を結集させるどころか、かえってしらけさせてしまう危険もあります。
その点、土屋鞄のミッションは経営トップやコンサルタントが新たに持ち込んだものではなく、社員の間にもともと共有されていた思いを、社員自身が改めて見つめ直し、言語化したものです。
「時を超えて愛される」という言葉も、以前から自社のウェブサイトなどに掲げられていました。「時間を超えて愛されるもの」が従来から使われていた言葉でしたが、ミッションを検討する過程で「土屋鞄はモノだけでなく、体験や記憶なども提供している。だから『もの』という言葉を『価値』に置き換えよう」といった話し合いを経て、ミッションの言葉ができあがっていったのです。
土屋鞄ウェブサイトに明言されている言葉

就活生も共感した言葉

軽井沢の工房でランドセルの職人として働く跡部風花さんは、2021年春に商業高校を卒業し、土屋鞄に入社しました。
もともとは看護師を目指し、看護の専門学校への進学にも力を入れている高校を選んだ跡部さんですが、いろいろと思うところがあり進路を変えました。それでも「人に携わる仕事をしたい」という根本の思いは変わらず、その観点から土屋鞄に魅力を感じたのだそう。まだ同社のミッションが策定される前でしたが、就職先を検討する過程で土屋鞄のウェブサイトに掲載されている記事などを読み、まさに「時を超えて愛されるものづくり」という言葉に共感したのです。
跡部 「中学生のときにこの軽井沢工房ができて、オープン記念のイベントに参加したんです。そのときにいただいた財布を何年も使っているので、『時を超えて愛される』ってぴったりの言葉だと思いました。ランドセルも、6年間使うものを大切に作り、使ってもらうものなのだと考えると、すごくあったかいなと感じたんです」
軽井沢の工房で働く新人の職人、跡部風花さん
入社前後の印象のギャップもなく、むしろ仕事を通じてミッションの意味をより理解できるようになり、いいものを作ろうという思いを深めているとのこと。
このようなエピソードからも、土屋鞄のミッションは決して後付けのものではなく、もともと社内に持っていたものを丁寧に掘り出し、磨き上げたものなのだということが分かります。

ミッション、ビジョン、バリューをどう生かすか

ミッション、ビジョン、バリューを策定後、社内でそれを浸透させるための施策も積極的に行われるようになりました。
山田 「まだミッションを作って1年なので、これをどういうふうに活用していったらよいのかトライアンドエラーを重ねているところです。
特に各店舗は拠点がバラバラなので、ミッション、ビジョン、バリューを大いに活用して共通の価値観を業務に落とし込もうとしています。お店のバックヤードにいつでも目に入るよう張り出したり、その実践のために具体的に何ができたかを振り返り、今後の行動を考える時間をとっているほか、お店で独自のスローガンを作っているところもありますよ。
例を挙げると、ある店舗の『Anniversary Maker 〜始まりの記念日のあなたに〜』というものがあります。ギフトで買われるお客様が多い店で、購入体験自体が記憶に残り、その日が記念日になるように、という思いが込められています」
本部で働く山田さんも、明文化された理念があることでメンバー間の意思疎通がしやすくなったと感じています。
山田 「私はこの会社に入って10年目ですが、共通の言葉があることで、入社して1年目のメンバーとも『これが土屋鞄らしいよね』と通じ合えるものがあります。何をするにしても『何のためにこれをやるのか』が理解できるようになり、みんながひとつになれる機会が増えたと感じています」
入社1年目で広報担当を務める山登有輝子さんも、山田さんの言葉に大きくうなずきました。
山登 「新卒で入ったので、最初は土屋鞄の歴史だけでなく社会人として働くのがどういうことかも分からない状態でした。そんなときに、会社として大切にしている価値観を分かりやすく表す言葉があることは、とても助けになりました」
山田さん(左)と山登さん(右)。「ものづくりが好きでやわらかい雰囲気の人が多いですね」と社内の雰囲気を話す

ミッションを体現する新規事業

土屋鞄は2021年にリユース事業に参入しました。使わなくなった土屋鞄の製品を持ち主から引き取り、職人が修理、メンテナンスした上でリユース品として販売するというしくみです。
世に送り出した製品を長く愛用してもらうことにつながるもので、まさに同社のミッションに沿った事業だと言えるでしょう。SDGsや環境保護の文脈でも注目される取り組みですが、土屋鞄では数年前から構想して準備を進めてきました。
山登 「土屋鞄では昔から『長くお使いいただけるものづくり』を大切にし、鞄の修理や使い終わったランドセルのリメイクのサービスを続けてきました。リユース事業もその延長線上にあります。最近になって職人の人数も増え、修理を担当する体制などが整ったことで、新しい取り組みに踏み出すことができました」
職人による修理の様子。修理を経たものがリユース商品として改めて販売される (提供・土屋鞄製造所)
2021年には直営店舗内で期間限定という形でリユース品販売を実施。鞄の提供者からは「ライフスタイルの変化で使わなくなったけれど、思い入れのあるものを次の人に使ってもらえるのはありがたい」といった声が届き、購入者からも「土屋鞄の鞄を使ってみたかったので、新品と比較して安価に購入できるのがうれしい」など好評でした。
2022年はリユース品販売のほかに、自宅でのメンテナンス方法やケアアイテムの紹介、修理、リメイクと合わせて「CRAFTCRAFTS(クラフトクラフツ)」という名称でサービスを展開。ミッションを体現する新たな事業の柱となっていくのか、注目されます。