森氏、女性蔑視発言批判に不満 「本当の話をするので叱られる」
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男女の違いに対する偏見はもう置いておくとして、欧州で投資家が企業に求めているのは、多様性のある議論。あうんの呼吸や忖度でなく、多様でちゃんとした議論を時間をかけて行うことが、企業のイノベーションを生み、収益も上がる、ということです。こういった同質を求める発想こそが、日本の成長の足枷になっています。
男性性と女性性という概念がある。身体的な性別とは別に、心理的・精神的な部分における「男性らしさ」や「女性らしさ」のことで一般的には男性は男性性が強く女性は女性性が強いが、どちらも1人の人間の中に存在しており男女問わず誰しもが持っている性質であり人によりその割合や配分は違う。
男性性に分類されるのは、分析、評価、判断、論理、攻撃、支配、決断力、積極性などである。一方、女性性に分類されるのは受容、包容力、共有、調和、安定、直感、感覚、感性、柔軟性などだ。
東京五輪組織委員会の会長を務めていた森喜朗氏が「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という趣旨の発言をしたことが女性蔑視であるという非難を国内外から得て退任した。
本件に関して、東京都知事の小池百合子氏がマスコミに感想を求められて「話が長いかどうかは人による」と回答していたのが私には印象的だった。
そう、まさに人によるのだ。
女性性が発揮されると共感や調和を大事にするため話が長くなりがちだ。逆に判断や論理の性質を持つ男性性が発揮されれば結論を端的に簡潔に話せる。つまり森氏の発言は肉体的性別の「女性」と精神的特徴である「女性性」を混同したため非難を浴びたのだ。
「会議の時間は限られるから、男性委員も女性委員も発言時には『男性性』を発揮して臨んでもらいたい」と言えばおそらく問題はなかった。私自身感じていることですが、加齢は視野を狭くし、過去の経験を絶対化し、他者への想像力を損ないます。とりわけ「差別」をめぐる問題は、時々刻々のアップデートが求められますが、加齢はそれを阻んでしまいます。人種的マイノリティ、ノーマライゼーション、LGBTQ、ジェンダーと人類の歴史は差別を克服していくものだと私は信じていますが、その一方で、思ったことを口にして何が悪いという身も蓋もないような頑とした思想もあります。そして、トランプ支持者をはじめ多くの人がそれを信奉しています。SNS時代になって増えているとも感じます。
森首相に関して言えば、おそらくこうした失言はこれからも続くと思います。自分は愛情深き善人であるという確信の下、アップデートされない昭和半ばの価値観を守り抜くと思います。